奈良京都、油吹きつけ事件の犯罪心理学:落書きとの違い・模倣犯の防止
■奈良京都の文化財に連続油吹きつけ事件発生
奈良の重要文化財、国宝に油が吹き付けられた事件に続き、京都の世界遺産二条城でも、同様の油拭きつけ事件が発生していたことがわかりました。
■落書きとのちがい
文化財をに危害を加える行為として多いのは、「落書き」です。小さな落書きをする人の多くは、あまり罪の意識がないでしょう。その文化財がどれほど価値があり、人々が大切にしているかを理解していません。軽い気持ちで、本人としては、ユーモラスないたずら心で行うでしょう。
落書きは、一種の「マーキング」です。ですから、犯罪行為なのに、自分の名前を書く人もいます。自分がここに来たという証拠として、絵やメッセージを残します。
今回は、自分の行為が違法行為であると意識していたでしょう。ユーモラスな気持ちなどはなかったでしょう。
スプレーで大きくいたずら書きをするような行為は、もっとあからさまな破壊行為だったり、その人なりの芸術表現だったり、ある種のメッセージ性があるでしょう。
破壊行為という点では、スプレーの落書きと似ていますが、それほどのメッセージ性は感じません。また、スプレーでの落書きは時間がかかりますし、目撃されれば目立ちます。今回は、目立たないように、一瞬で行われたでしょう。
ちなみに、大学のトイレの落書きに関する社会心理学の研究によれば、「落書き厳禁(学長)」と張り紙するとかえって落書きが増えたという実験もあります。「落書きはやめよう(校内美化委員会)」の張り紙は、落書きを減らしました。大学のトイレに落書きする人は、上から強く禁止されると、かえって心理的に反発するようです。
■ペンキとの違い
何かに強く抗議するときに、看板などにペンキを投げつける人もいます。たとえば、最高裁判所の結論に強く抗議し、正しいあるべき最高裁ではないという思いを込めて、最高裁の名前にペンキを塗りつけます。
今回は、そのような強い抗議という意味もないでしょう。また、ペンキはすぐに大きく目立ちますし、自分にペンキがつくこともあります。油は、すぐには目立たず、自分についても目立ちません。ペンキよりも、油をつけるほうが、簡単にできるでしょう。
■社会への不満か
社会の中で生きているのに、何かが上手く行かない不満、不全感があるとき、その社会の中で上手くいっている人やもの、その社会が大切にしているものへの攻撃心が生まれます。この事件の犯人も、社会への不満があった考えられます。ただし、きちんと整理された不満や抗議内容ではなく、何となく不満に感じているのでしょう。
大きな破壊行為をするような技術も度胸も覚悟もなく、しかし社会の人々を困らせたり、目立ちたいと思ったとき、文化財に油を吹き付ける行為は、ちょうど良い行為だったのでしょう。簡単に、一瞬に吹き付けられますが、油の跡をきれいに消すことは難しいでしょう。文化財ですから、簡単に削るわけにもいきません。
日常生活で不満を感じている人は、たくさんいます。酔って、電車内の人に絡んだり、看板をけとばす人もいます。その人や看板に恨みがあるわけではありませんが。
ただ、今回の犯人は、その場で衝動的に犯行に及んだのではありません。どこかで油を仕込み、いくつかの場所を回って、実行したのでしょう。本人としては、ちょっとした知能犯きどりだったのかもしれません。ただし、本当のルパン三世やネズミ小僧のような、すごい犯罪者では決してありません。
■模倣犯を防ぐために
簡単に実行できてマスコミが騒いでくれるような犯罪行為は、愉快犯としての模倣犯が出やすい犯罪です。模倣犯を防ぐためには、犯人の一日も早い逮捕が必要ですが、簡単にはいかないでしょう。
模倣犯を防ぐ方法としては、まず警備を厳しくして、簡単にこんなことはできないと伝えることです。軽い気持ちの行為としても、逮捕されれば大事になると伝えることも良いでしょう。
そして、こんなことをしても、世間は少しも感心せず、敬服もしないと伝えることでしょう。こんな行為は、割りに似合わず、そしてとてもかっこ悪いとわかってもらうことが、類似犯罪の防止につながるでしょう。
*補足6/2
容疑者に逮捕状が出ました。