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センバツ高校野球 第7日のお気に入り/東海大相模、決勝進出確率は8割……かな?

楊順行スポーツライター
春夏3回の優勝がある東海大相模・門馬敬治監督(写真:岡沢克郎/アフロ)

「相手の先発・山内(龍亜)君の情報がほぼなく、なにかしらアクションを起こさないと糸口をつかめないと思いましたので」

 持ち前のアグレッシブ・ベースボールで鳥取城北との接戦を制し、ベスト8進出を決めた東海大相模・門馬敬治監督はホッと胸をなで下ろした。2回、敵失で出た走者が盗塁を決め、直後に佐藤優真の左前打で先制。それが虎の子の1点となり、相模が1対0で接戦をしのいで2018年以来6度目の8強入りを決めた。

 出場12回目の相模。今回のように、一大会2勝を挙げた過去5回はすべてベスト4以上で、そのうち4回は決勝まで(優勝2、準優勝2)進出している。つまり単純にいえば、センバツで2勝したときの相模は、8割の確率で決勝まで進んでいるわけだ。もっといえば相模には、夏も合わせて準決勝進出が7回あり、負けたのは18年春が初めて。つまり、4強まで進むと7分の6の確率で決勝まで進んでいる。

 そういう強豪と互角の戦いを演じた鳥取城北・山木博之監督は、

「私よりも選手たちが一番悔しさを感じているはず」

 と話しながら、手応えはつかんだようだ。なにしろ先発した山内が、強打のイメージが強い相模打線を9回途中まで4安打1失点、打線は相模を上回る7安打を放っているのだから。山木監督は続ける。

「山内は昨秋の公式戦では2イニングしか投げていませんが、どこかで投げさせたい……と思うくらい、この冬は頑張ってくれた。球速はありませんが変化球の制球がよくなり、相模打線に対してうまくはまれば、という期待はあったんです。それが、こちらがびっくりするくらいのナイスピッチング。期待以上でした」

私は監督の器じゃない 

 なるほど。「この冬は頑張っていた」という起用理由で、思い出したことがある。かつて山木監督に、自身の指導哲学を聞いたときだ。

「正直、私は監督の器じゃないと思います」

 いきなり、そういう。2010年に母校の監督となって以来、12年春夏を皮切りにこれが6度目の甲子園というのに、だ。「コーチ時代から、すごく充実していたんです。ですから監督になっても、あれもこれも自分が仕切るのではなく、コーチ陣がいかにやる気と責任を持って指導できるか、環境を整えることが自分の役割」。少なくとも、「ごちゃごちゃいわず、オレについてこい」の監督ではない。

 大体大卒後、一般企業に勤務しながら、オール枚方ボーイズの指導を手伝った縁で02年、江の川(現石見智翠館)のコーチに。03年夏には、島根県勢80年ぶりのベスト4に進出するなど甲子園を2回経験し、09年には隣県の鳥取城北で部長となった。するとその夏すぐに、母校の甲子園初出場を経験。監督としては12年夏に甲子園1勝を挙げ、この大会1回戦ではセンバツ初勝利も記録している。

 その山木監督には、忘れられない一戦があるという。13年夏の1回戦。熊本工に3点をリードされながら7回に1点、8回も連続三塁打が出て1点差とし、1死三塁で打席には三番が入った。同点のチャンス。打撃のいい左打者で、県大会ではほとんどバントの経験はない。ただこの日は、相手のサウスポーに手こずっていた。そこまで無安打、このチャンスでも初球、タイミングの合わないハーフスイングで空振りだ。決断は、スクイズ。三塁走者は俊足だし、相手はスタートの見えにくい左投手……。

 だが、インハイの速球に空振り。飛び出していた三塁走者が憤死し、チャンスがついえたチームはそのまま敗れた。翌日。その三番打者は、号泣しながら後輩たちにこう絞り出した。バント練習は、いつもたっぷりしていたつもり。だけどあそこでスクイズを決められるだけの毎日を、過ごしてこなかったということだから、もっと死ぬ気でバント練習をしていればと後悔している。オマエたちは、同じ後悔を繰り返さないでほしい……。

「押せ押せの場面ですから、スクイズを疑問視する声もあり、打たせてやればよかったかな、という思いもありました。だけど彼は、もしサインが出なくても、自分の判断でセーフティースクイズを考えていたらしい。実際にスクイズのサインが出たとき、"よしっ"と思ったのは、それだけ、練習してきた自負があったんでしょう。結果はたまたま失敗でしたが……。

 私に指導哲学があるとしたら、そこです。どれだけの思いで毎日を積み重ねるか。ダッシュ1本、キャッチボール1球かもしれないけれど、その先にあるものを真剣に見つめて、1日を完全燃焼してほしい。試合で勝つ、負けるにこだわるのではなく、まずは生き様を見せてほしいんです」。

 昨秋2イニングしか投げていない山内を先発させた理由が、過去のこの取材を振り返ればよくわかる気がする。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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