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【深読み「鎌倉殿の13人」】菅田将暉さんが演じる源義経は、あんなに自由奔放だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源義経は、あんなに自由奔放だったのか。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」10回目では、菅田将暉さんが演じる源義経が自由奔放だった。本当にあんな態度をとっていたのか、深く掘り下げてみよう。

■ドラマのなかの義経

 源義経の人間像を探るのは、非常に難しい。『平家物語』では、義経と梶原景時が作戦などをめぐって盛んに衝突し、挙句の果ては、景時が頼朝に義経の素行を讒言した。ここで描かれる義経像は、年長者をも蔑ろにする、生意気な奴ということになろうか。

 「鎌倉殿の13人」の過去の回でも、義経の言動はいささか常軌を逸脱している。たとえば、猟師と獲物の取り合いになったときは、遠くまで矢を射かける勝負をしたにもかかわらず、義経はいきなり猟師を矢で射てしまった。騙し討ちである。

 とにかく奔放なのは、以後の回でも同じで、野生児そのものである。初めて頼朝に対面したときは、「顔が似ているでしょ!」と盛んにアピールしていた。しかし、『吾妻鏡』で描かれる二人の対面は感動的なもので、その状況は安田靫彦『黄瀬川陣』で見事に再現された。

 10回目では、義経が政子の側に近寄り、甘えて膝枕をしてもらっていた。実際に、こんなことがあったのか否かは不明である。あまりの馴れ馴れしさに辟易とする。

■改めて考えてみる

 養和元年(1181)7月、鶴岡若宮宝殿で上棟式が催し、頼朝以下、多くの御家人が参列した。その際、頼朝は大工に馬を与え、義経に馬を引くように命じた。

 驚いた義経は、暗にそれを断ろうとしたが、頼朝は「馬を引く仕事が卑しいので、断ろうとしているのではないか」と手厳しく叱責した。義経は頼朝の強い態度にたじろき、渋々馬を引いたのである。これはいったい、何を意味しているのか。

 頼朝は、いうまでもなく源氏を率いる棟梁である。彼の配下には、東国の有力な豪族たちが集まっていた。ただし、配下とはいえ、彼らの力なくして、頼朝の存在はあり得なかった。

 一方、義経は頼朝の弟とはいえ、地盤や郎党さえ持たない新参だった。頼朝と同じ源氏の血を引くとはいえ、いきなり大抜擢するには、ほかの諸豪族の兼ね合いもあり、躊躇するところがあったと考えられる。

 それは、義経も承知していて、不満があってとしても、頼朝に従わざるを得なかっただろう。頼朝から義経を見れば、弟というよりも、諸豪族のなかの一人だったのではないか。 

 ドラマのなかでは、義経が佐竹氏の出陣に従い、ふざけた態度をとっていたが、そもそも出陣したことすら確認できない。仮に、出陣していたとしても、あのような態度では頼朝から殺されていたのではないか。ましてや、政子の膝枕などありえない。

■むすび

 ドラマのなかで、登場人物のキャラクター付けは非常に重要である。しかしながら、ある一線を越えると、感情移入がしにくくなる(しらける)。そういう点に配慮いただけると、非常に見やすいのだが。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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