女性教師のプライベートセックス動画が流出。彼女の学校追放処分は妥当で、男性教師ならお咎めなし?
映画が始まったその瞬間から賛否を呼ぶといっていいのが、映画「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」だ。
ルーマニアの鬼才ラドゥ・ジューデ監督が手掛けた本作は、冒頭、いきなり男女の本番セックスシーンで始まる。
でも、自己検閲版は、このシーンが見られないように別の映像で上塗り。
その中で、「殺人シーンはOKで、フェラはNGだって?」など、この検閲版に対する監督の辛辣なつぶやきともいうべきメッセージが文字で表記されて、物語が始まる。
もう、これだけで物議を醸す印象を抱くことだろうが、作品は第71回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞!
その後も、ニューヨークタイムズが選ぶ2021年ベスト10の第2位に選出されるなど、世界中で大反響を呼ぶ。
有名校の女性教師の夫とのプライベートセックス動画がネットへ流出してしまったことで起きる騒動から、現代社会を鋭く問う本作は何を映しているのか?
ラドゥ・ジューデ監督といくつもの作品でタッグを組んできたプロデューサー、アダ・ソロモン氏に訊く。(全四回)
ひとりの女性が直面する社会や異性との摩擦に言及する内容
わたしにとっても重要なテーマ
前回(第一回)の脚本を読んですぐに「これは語られるべき」とすぐに制作に動き出したと語ったアダ・ソロモン プロデューサー。
具体的にはどこに惚れこんだのだろうか?
「前にお話した通り、ほぼ出来上がった脚本で、今回の作品においても変えたところはほとんどない脚本だったんです。
その中で、わたしが一番強い印象を受けたのは、やはり女性に焦点を当てていること。
しかも単に女性の焦点を当てて描くのではなく、社会においての女性の立ち位置や存在がいまどのような状態にあるのかということでした。
これまでの作品からも、ラドゥがフェミニストであることはわかっていたんですけど、今回の作品で改めて実感しました。
『彼ほどのフェミニストはなかなかいないんじゃないか』と。
実は、前作に当たる『野蛮人として歴史に名を残しても構わない』も、女性のアーティストが主人公だったんです。
ひとりの女性演出家が、第二次世界大戦中の1941年当時にルーマニア軍の最高指導者だったイオン・アントネスクが起こした「オデッサの虐殺」(※ルーマニア軍によるユダヤ人大虐殺)を再現して、改めてその負の歴史を検証するショーを企画するもののトラブルが続出するという物語でした。
ここで描かれたのもひとりの女性が直面する社会や異性との摩擦のようなことだったんです。
こういう女性だけが除外されたり、ないがしろにされたりする問題はわたしにとっても重要なテーマ。
わたしにとっても重要なテーマというのは、プロデューサーとしてかかわる理由が見いだせる。
自分にとって興味のあるテーマというのは、出資してもらう人にも自信をもって提案することもできる。
そして、なにより観客に届けたいという気持ちを持てる。
そういうことを、この脚本には感じたということです。
ただ、自信をもって提案はできたんですけど、正直なことを言うと、資金集めは大変でした。
監督が明かしていることですが、この脚本の出発点は実話です。
ある女性教師のセックス動画がネットに流出してしまって、生徒の目にも触れ、彼女は最終的に学校を追放されてしまった。
一方で、動画は18歳未満禁止のサイトでしかみられないものだったのですが、みた生徒はとくに問題視されることはなかった。
この事件について、ラドゥ監督が数人の友人と議論したところ、意見が分かれた。
女性教師がすべての責任を負うのはおかしいのではないか?もしかしたら、男性教師だったらお咎めなしだったのではないか?
女性教師が辞めさせられる処分は妥当なのか?ほんとうに罰するべきことは別のところにあるのではないか?
そもそも、セックスは不謹慎なことなのか?
いろいろな論点が出て、それがことごとく意見が分かれた。
この作品の主題は、そういった論点をあげて、問題提起するところにある。
ただ、みてもらえれば、わかると思うのですが、『女性教師のセックス動画の流出』といったことがまず強いインパクトとして入ってきてしまうので、『大丈夫か?』と躊躇われてしまうことが多くて、プロジェクトを成立させるためには苦労しました(笑)」
冒頭のセックスシーンに関しては監督と議論を尽くしました
先で触れたように本作はいきなり本番のセックスシーンからスタートする。
プライベートのセックスビデオ流出が物語のキーになっているので、必要不可欠なシーンではある。
ただ、ここまであけすけな形でなくともいうぐらい具体的で日本ではそのままの上映は完全NG(※日本のみならずほとんどの国でもNG)となってしまった。
「冒頭のシーンに関しては、いろいろな意見があると思います。
この作品において大きな意味を持つと同時にテーマを浮き彫りにするシーンでもあるので欠かせない。
わたし自身も、ほんとうに必要か、もっとやわらかい表現でもいいのではないかなど、考えを尽くしました。
監督とも何度も話し合いました。
で、最後は監督を信じることにしました。
わたしとラドゥ監督が最後に選ぶのは、安全な道ではなく、厳しい道で、チャレンジを恐れないこと。
お互いの関係においても、作品作りにおいても、新鮮さや大胆さ、斬新さを失いたくない。
大きなリスクがあるかもしれないですけど、チャレンジすることにしました。
結果としては、この作品が内包するテーマを決定づけるシーンとして受け止めてくれる方がほとんどでよかったです。
だから、仕方ないことなのですが、今回は<検閲版>で(冒頭のシーンが)おみせできないのはちょっと残念ですね」
(※第三回に続く)
【アダ・ソロモン プロデューサー 第一回インタビューはこちら】
「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」
監督・脚本:ラドゥ・ジューデ
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
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