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荒れた国土と土砂災害 カスリーン台風は、大水害だけの台風ではない

饒村曜気象予報士
利根川夕景(ペイレスイメージズ/アフロ)

 カスリーン台風から70年、関東各地で大水害対策が話題となります。しかし、カスリーン台風は水害だけが大きかった台風ではありません。土砂災害も大きかった台風です。

カスリーンという名前

 昭和20年8月15日の終戦後、日本の気象業務は連合軍総司令部(GHQ)によって管理されています。

 太平洋戦争末期、サイパン島に進出し、日本空襲を行っていた空軍の隊員が、台風に対して故郷に残してきた妻や娘の名をつけていました。これが日本に進駐した空軍に引き継がれ、昭和22年からは、アルファベット順に並べた女性名の表をあらかじめ作り、これに従って台風に名前をつけています。その後、昭和54年からは男性名と女性名が交互の表が使われるようになり、平成12年(2000年)からは、アジア各国が協同で作成した名前(人名でない名前が大半)が使われていますので、戦争の影響が色濃く残っていた時代の話です。

 昭和22年5月31日に出された「第43気象隊司令部覚書」により、中央気象台(現在の気象庁)で発表する台風情報は、アメリカ軍の第43気象隊の発表に合わせるように要請(事実上の命令)されています。

 このため、昭和22年から、台風に女性名をつけています。そして、昭和22年9月8日に、マリアナ諸島の東の海上で発生した台風は、「カスリーン台風」と命名され、台風の女性名を一躍有名にしました

カスリーン台風の大雨

 カスリーン台風は、9月14日には中心気圧960ヘクトパスカル、最大風速45メートルまで発達し、その後、衰えながら北上し、房総半島をかすめて三陸沖に進んでいます。

 台風による風は、山岳を除いて風速20メートル止まりでしたが、停滞していた前線を刺激したため、13日から16日にかけて、関東地方の西部および北部の山地で記録的な豪雨となっています。総雨量は山沿いを中心に400ミリを超え、秩父では600ミリを超えています。

 このため、多くの河川が氾濫し、堤防が決壊して大きな水害が発生していますが、中でも利根川堤防が埼玉県北端の利根町栗橋付近で決壊し、濁流が埼玉県東部を南下して東京都に流れ込み、葛飾区ではほぼ100%、江戸川区では67%が浸水するという大水害を引き起こしています(図1)。

図1 栗橋の堤防決壊による濁流の進路(点線は省線、現在のJR東日本線)
図1 栗橋の堤防決壊による濁流の進路(点線は省線、現在のJR東日本線)

 東京都は洪水が発生するまでの間に時間的余裕があったため、他県に比べて死者数は少なかったのですが、被災者数では圧倒的に多くなっています。

 しかも、長く水が引かなかったため、深刻な影響が長く残っています。このため、カスリーン台風は東京の水害という強いイメージを作っています。

 しかし、カスリーン台風の被害は水害によるものだけではありません。

カスリーン台風の死者

 カスリーン台風の死者・行方不明者が一番多いのは、群馬県の708名で、これは山津波や山崩れといった土砂災害の死者がかなり含まれています。

 群馬県の赤城山麓では、敷島村、富士見村、大胡町で死者271名、流失破壊家屋362棟等の被害が発生したという記録もあります(図2)。

図2 群馬県赤城山麓の山津波の被害地域
図2 群馬県赤城山麓の山津波の被害地域

 また、埼玉県では、秩父地方を中心に509名が、栃木県でも437名が死亡したり、行方不明になっているのも、多くは土砂災害によってです。

 表は、カスリーン台風の関東・東北・北海道の被害を「日本台風資料(昭和25年3月建設省河川局)」より著者が抜粋したものです。「日本台風資料」は、建設省(現在の国土交通省)河川局が刊行していますが、省庁の壁を越えて作られた資料です(その後、死者数等の見直しが行われていますので、数値が多少変わっています)。

 つまり、カスリーン台風の死者の多くは、堤防決壊などによる大水害によるものではなく、土砂災害によるものです。

表 カスリーン台風の関東・東北・北海道の被害
表 カスリーン台風の関東・東北・北海道の被害

土砂災害が多かった原因

 カスリーン台風で、大きな被害が発生した要因として、山間部を中心に雨量が異常に多かったことがあげられます。

 このため、山間部で土砂災害が多発し、山間部に降った雨が平野部に流れ込んで大規模な水害が発生したのですが、被害、特に人的被害が拡大した原因の一つに、戦争による山の荒廃が考えられます。

 太平洋戦争遂行のため、多数の木材の濫伐があり、加えて、石油の代替として松根油をとるために松の大量伐採などが行われていました。加えて、山の手入れを行う人たちが兵隊として招集されたことなどから、山の荒廃が進み、山の保水力が小さくなっていました。

 また、食料増産のため、堤防が畑になり、堤防補強のために植えられていた樹木は燃料として切り倒された結果、災害に対して弱い場所が増えていました。

 

山林の荒廃は?

 カスリーン台風は、記録的な大雨をもたらした台風ですが、このような台風が再び襲来するかもしれません。

 そのときに備えて、カスリーン台風の教訓を、もう一度思い出す必要があると思います。

 カスリーン台風の災害拡大は、戦後の特殊事情によるものと考えるわけにはゆかないからです。林業従事者の減少や高齢化などという理由は違いますが、山林の荒廃が進んでいることについては、同じであるからです。

 災害に強い国土を作るためには、堤防の強化などの洪水・浸水対策に加え、山林の荒廃を防ぐ対策も必要と思います。

 その意味で、カスリーン台風は、「大水害ももたらし、土砂災害で多くの人が亡くなった台風」という認識が必要と思います。

図の出典:饒村曜(1997)、カスリーン台風から50年、気象、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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