Yahoo!ニュース

飛び降りをけしかけた野次馬〜19歳女性の自殺で浮かんだ中国社会の病理

宮崎紀秀ジャーナリスト
19歳女性の自殺を報じる中国の新聞。改めて「道徳心」が問われている

 19歳の女性が飛び降り自殺した事件が、中国で大きな波紋を呼んでいる。この事件には、今の中国社会が抱えるいくつもの病理が交錯しているからだ。「衆人環視」の中で起きた事件でもあり、地元警察が急遽、記者会見を開き、経緯を説明する異例の事態にもなった。

4時間近い説得。19歳女性の最後の決断は・・・

 警察の発表や中国メディアによれば、事件の詳細は以下である。

 事の始まりは6月20日。甘粛省慶陽市にあるデパートで午後4時前、8階部分の窓の外側、外壁についた出っ張りのような所から、若い女性が飛び降り自殺を試みた。消防隊などが駆けつけ、思いとどまるよう説得する。膠着状態が4時間近く続いた。女性は最後には、出っ張りに両手でぶら下がり宙吊りになった。

 救助隊員の1人が近づき腕を伸ばして、女性を掴んだ!と、思った瞬間、彼女の身体は、その腕の間をするりと抜け、一直線に地面に落下した。

生中継された飛び降り自殺

 病理の1つは、この過程がインターネット上で生中継されていた点である。中国ではスマートフォンを使って素人が撮影した映像を、そのまま生中継したり、あるいはほぼ同時にアップロードできたりするサービスがある。動画アプリである。

 その普及ぶりは地下鉄に乗ればよくわかる。若者がスマホを見つめている光景は日本と大差ないが、中国では多くがゲームに興じているか、この動画アプリを見ている。

背景には過激化する動画アプリ

 新たに定着したエンターテイメントではあるが、アクセス数を稼ぐために、内容が次第に過激になっているという問題が度々指摘されている。鍋いっぱいのラー油を飲む、などという馬鹿げたパフォーマンスが登場したまでなら、まだ笑って許せたが、暴力やセックスシーン、動物の虐待などまで投稿する輩もいる。

 若い女性が飛び降り自殺する様子を、スマホで撮影し、不特定多数の人に拡散させようとする行為は、決して趣味が良いとは言えない。これは投稿動画が過激化する最近の風潮の先にあったと言える。生中継のみならず、多数の映像が動画アプリにアップされた。

 その結果、女性がビルから落下し地面に叩きつけられる様子まで一般の人の目に晒されてしまった。

自殺した女性はセクハラ被害者だった

 2つ目の病理は自殺の原因である。

 この女性が高校時代に、教師からセクハラを受けていたことが自殺の遠因だった。

 女性は近くに住む19歳。彼女はうつ病を患い、過去にも自殺未遂を起こしたことがあった。そのうつ病の原因となったというのが、3年前、まだ高校生だった頃に、担任の教師から受けたセクハラだった。

 中国では今、子供に対するわいせつ行為や学校でのセクハラが社会問題となっている。

 世界中で動き出した「#Me Too」の流れが、中国にも及び、これまで口を閉ざしていた被害者たちを突き動かした。その結果、今年に入り名門大学でのセクハラも相次いで明らかになった。

名門北京大学でも

 中でも20年前に自殺した女性が、北京大学の指導教授から性的暴行を受けていた疑いが告発されたケースは象徴的だった。

 北京大学は日本で言えば東大、名門中の名門である。考え方も開放的な学生が多い。そのため、私は少し期待し、そのニュースが中国内で騒がれていた頃に、北京大学に通う学生に尋ねてみた。周囲でセクハラ被害の噂や告発を聞いたことがあるのではないか?

 しかしながら、「そういう話は聞いたことはないです。あったとしても、西洋の女性と違い、中国では女性はまだ弱い立場で、おそらく言い出さないでしょう」という反応だった。

 中国で学校や教師はまだまだ権威である。現実にはほとんどが泣き寝入りなのだろう。

 自殺した女性の場合もそうだった。

セクハラ教師は不起訴。女性はうつ病に

 19歳の女性の自殺事案に戻るが、セクハラから半年以上経った後、経緯を知った父親が告発した。担任は当時、10日間の身柄拘束を受けるものの、結局、不起訴処分となる。女性はうつ病を患い、病院に通うようになる。父親は、学校に対し謝罪を求めたが、35万元(約595万円)の賠償金と引き換えに訴訟を諦めるよう要求されたと、メディアに吐露している。

「まだ飛び降りないのか」とヤジが

 この事件で浮かび上がった中国社会の病理の極め付きは、民度の低さである。

 女性が説得を受け自殺を思いとどまっている時に、ビルの下で見ている群衆から「まだ飛び降りないのか!」「1秒で問題は“解決”できるぞ!」などと複数のけしかけるような野次が飛んだのである。さすがの中国でもこれは顰蹙を買った。警察は野次馬2人を身柄拘束し、野次が飛び降りの直接の原因になったかどうかなどを調べている。また、ネット上にも「どうせ飛び降りるのだったら、何をためらっているのだ」などの書き込みがあり、警察は書き込みに関しても6人を調べているという。

「道徳心の欠如」(40代女性教師)

 この事件について、中国人の40代の女性教師と話し合う機会があった。彼女は野次を飛ばした輩に対し「人間性が全くない。腹が立った」と怒りを露にした上、「一部の中国人は道徳心が欠如している」と嘆いた。

 その原因は何だと思うか、と尋ねてみた。もちろんこれは彼女の個人的な考えにすぎないが、こう答えが返ってきた。

「改革開放以来、親たちが金儲けばかりを気にかけ、子供達を放ったらかし、教育をしなかったからだと思う」

 19歳の若さで自ら命を絶った女性は、セクハラを受けた挙句、心を病んでいた。追い込まれて脆くなった心が、最後に聞いた言葉は、人間性のかけらさえ感じられない野次だったかもしれない。そう考えただけで胸が痛む。

 中国社会はこの事件を決して忘れないでいてほしい。

 

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

宮崎紀秀の最近の記事