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亡き親友との約束を果たすため、懸命にリハビリに励む一人のジョッキーの現在

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ドリームパスポートと写真に納まる納まるリハビリ中の高田潤騎手

無くなった首から下の感覚

 落馬して20日。滋賀に戻り、転院する前に、髪を切った。

 「デビュー時から仲良くしてもらっている美容師さんで、すでに美容院は閉めてしまったのですが、その後も髪を切ってもらっているんです」

 そう語るのは高田潤。2022年12月3日、メイショウアルトで臨んだ中山競馬場のイルミネーションジャンプSで落馬。大怪我を負っていた。

イルミネーションジャンプS、パドックでの高田潤騎手(緑帽)
イルミネーションジャンプS、パドックでの高田潤騎手(緑帽)

 「前走の阪神ジャンプS(J・GⅢ)では3着したように能力は高い馬でした。ただ、引っ掛かって難しいタイプなので、前日にスクーリングをするなど、注意を払っていました」

 その成果か、当日は「意外と落ち着いていた」。

 しかし、ゲートが開くと序盤は掛かった。

 「ただ、最後は確実に切れるので、障害をきちんと飛ばす事にフォーカスしました」

 その結果「良い感じでリズム良くしっかり飛べていた」。

 しかし、1周目、3コーナーの障害でアクシデントが起きた。

 「コーナーにある障害は難易度が高く、ミスしやすいところです。当然、注意して向かうと、完歩も合ってうまく行きました」

 うまく飛べた。そう思った直後の着地の時の事だった。

 「右手前で着地するのが理想だけど、左手前で着地しました。その結果、馬の頭は進行方向の右を向いているのに、体は逆になり、バランスを崩しました」

 パートナーの首がグッと下がり、見えなくなったと思った次の刹那、頭から芝に叩きつけられたのが分かった。

 「この規模の落馬だと、普通は記憶がなくなります。でも、この時は意識を失いませんでした」

 馬場に転がったため、立ち上がろうとした瞬間、愕然とした。

 「首から下の感覚が一切なくて、立ち上がるどころか動く事すら出来ませんでした」

パドックでの高田とメイショウアルト。この直後、まさかの大怪我に見舞われる事になるとは……
パドックでの高田とメイショウアルト。この直後、まさかの大怪我に見舞われる事になるとは……

諦めかけた騎手復帰

 駆けよって来た救護員に「大丈夫ですか?」と聞かれた。しかし、苦しくて言葉を発すのが大変だった。必死の思いで首から下が動かない事を伝えると、頭を固定された。

 「首の付け根の痛みが唯一の感覚でした。自分の体が一体どうなっているか全く分かりませんでした」

 医務室へ運ばれたが、首をやっているのは確実だったので、ベッドには移されず、担架に乗せられたまま、搬送出来る病院が見つかるまで待たされた。しんどいのと痛いので朦朧としたが、その間も意識が飛ぶ事はなかった。

 「沢山の人が次から次へと来て、心配してくれているのは分かりました。首から下が動かないし、僅かに感じる部分は尋常ではないレベルの痛み。何度も落馬を経験してきたけど、今回ばかりは下半身不随といった事態を覚悟しなくてはならないと思いました」

 やがて船橋の病院が見つかり、救急車で搬送された。

 「虫歯の時の歯の痛みが、後頭部にある感じで、クルマが少し揺れただけでも、激痛が走りました」

 こうして病院に運ばれたが、週末でもあり、医師は不在だった。しかし、事は一刻を争う事態。病院側が医師に連絡をすると、たまたま近くにいる事が判明。すぐに駆けつけてくれた。

 「幸運にも、その日のうちに診察してもらえました」

 CTスキャンを撮影した結果、第一、第二頸椎を骨折した上、脱臼している事が分かった。

 「折れてズレた骨が、呼吸をつかさどる神経のすぐ横まで来ていたそうです。もし、それが神経に触れていれば呼吸困難で命を落としていたかも、と言われ、ゾッとしました」

 すぐに、頭蓋骨をネジで留めて首から上を固定するハローベストを装着する事になった。

 「この時点では、正直、騎手復帰は諦めないといけないと思い、せめて命だけは助かりたいと願いました」

頭蓋骨に穴を開けてハローベストを装着し、頭を固定した高田(本人提供写真)
頭蓋骨に穴を開けてハローベストを装着し、頭を固定した高田(本人提供写真)

一縷の望みを懸けたワンチョイス

 最初の晩を迎えた。痛み止めを服用したが、ほとんど効果はなく、定期的に襲ってくる痛みで眠れなかった。固定されているため寝返りすら打てず、長い夜となった。

 手術は早くて10日後と言われた。早く手を施してほしくて、転院も考えたが、新型コロナの患者が増えている時期でもあり、病床に空きのある病院が見つからなかった。手術を待つ間の10日間は、体を起こす事も出来ない寝たきりの状態。首から下の感覚は少しずつ戻って来たが、そうなるとそうなったで、今度は痛みを感じる範囲が広がって行った。

 「マスクのゴムが耳に擦れるだけでも激痛が走りました。手足の痺れも酷いし、首がとにかく痛かったです」

 食事が出来ないという状況が、更なる追い打ちをかけた。飲み物とヨーグルトだけの毎日。24時間、点滴を打ち続けて栄養を摂取したが、日に日に痩せて行くのが分かった。

 「4キロ痩せて49キロまで落ちました。徐々に意識が朦朧として結構フラフラしていきました」

 その間も、痛みは続き「メンタル的に限界に近かった」と言う。

 そんな状況下での手術では、一つの選択を迫られた。

 「プレートを入れてガッチリ固定するか、それよりも強度は甘いけどボルトで固定するか、どちらが良いかと言われました」

 それだけ聞くと、ガッチリ固定した方が良いと思えたが、その後に続く言葉に唇を噛んだ。

 「『ガッチリ固定すると首が動かなくなるので、騎手復帰は諦める事になる』と言われました。そこで、ボルトだと復帰出来るのかを聞くと『それでも100%の保証はないけど、可能性は残される』と……」

 ワンチョイスだった。「騎手を諦めた時もあったけど、復帰の望みが少しでもあるのなら……」と、後者を選択した。

手術室へ運ばれる高田(本人提供写真)
手術室へ運ばれる高田(本人提供写真)

 「開けてみたらボルトを挿せないというケースもあると説明されたけど、結果的には成功しました。後頭部に痺れは残っていたけど、痛みは大分マシになりました」

果たされなかった約束

 術後10日ほどして、ようやく移動の許可がおりた。船橋の病院を出たのが12月22日で、新たに滋賀の病院に移ったのが24日。23日の空いた1日を利用して、昔からの知人に髪を切ってもらった。

 「まだ運転免許証のない頃に、所属厩舎の調教助手さんに連れて行ってもらった美容院の美容師さんでした」

 以来、25年、浮気する事なく同じ人に切ってもらっていた。

2015年に撮影した高田。当時、すでに同じ美容師にお世話になって十数年が経っていた
2015年に撮影した高田。当時、すでに同じ美容師にお世話になって十数年が経っていた

 「アクティブな人で、自分が悩んでいる時や苦しんでいる時に会うと、元気をもらえました。2年くらい前に美容院を閉めてしまったのですが、その後もお金を払って切ってもらっていました」

 美容院を閉めたのが55歳くらいの時。働き盛りかと思えたが、実は、病魔に侵されていた。

 「入院しなくてはいけないので、閉める事にしたと聞きました。でも、その後、退院されたので、定期的に髪を切ってもらっていました」

 落馬後、初めて顔を合わせると、互いの近況を報せ合った。

 「病気は完治していないようでしたが、頑張っている姿を見て、自分も負けていられないと思い、互いの復帰を約束し合いました」

 翌日から滋賀の病院に入ると、1日も早い復帰を目指し、リハビリを開始した。病院での年越しになったが、へこたれはしなかった。そんな1月中旬も過ぎた頃だった。その美容師から、LINEが届いた。

 「『病気が再発して手の施しようがありません。潤君と同じ時間を共有出来て幸せでした。今までありがとう』と書かれていました。なんて返して良いか迷いましたが、奇跡を信じて『お互い頑張りましょう!!』と返事をしました」

 その僅か3日後の事だった。人伝に、彼の訃報が届けられた。

 「復帰を見てもらいたかったのに、残念としか言いようがありません」

 言葉を失った高田だが、復帰へ向けた気持ちはむしろ強くなった。続けたくても続けられない人がいるのに、自らの意思で騎手を諦めかけた自分を恥ずかしく思い、心を新たにした。

散髪直後の高田(本人提供写真)
散髪直後の高田(本人提供写真)

果たす約束

 休養中には京都ハイジャンプ(J・GⅡ)を自らのお手馬であるダイシンクローバーが勝利。東京ジャンプS(J・GⅢ)はこれもお手馬であるジューンベロシティとメイショウアルトがワンツーフィニッシュ。「正直、複雑な気持ちにもなった」そうだが、ジューンベロシティに代打騎乗した西谷誠からはすぐに電話が入り「留守中は任せて」と言われた事で「救われた」と言い、更に続けた。

 「障害騎手は基本、仲が良くて、今回の事故でも皆、心配してくれています。1日も早くその輪に戻れるよう、もう少し頑張ります」

東京ジャンプSはいずれも高田のお手馬であるジューンベロシティ(手前橙帽)とメイショウアルト(中央青帽)がワンツー。レース後には勝った西谷騎手からすでに電話が入った
東京ジャンプSはいずれも高田のお手馬であるジューンベロシティ(手前橙帽)とメイショウアルト(中央青帽)がワンツー。レース後には勝った西谷騎手からすでに電話が入った

 滋賀から、リハビリ施設の充実した千葉の病院へ移ったが、7月初旬にはそこも退院。その後はセレクトセールに顔を出したり、牧場を訪ねてドリームパスポートに跨ったり、着々と日常を取り戻そうとしている。

 「日に日に回復しています。このままの調子でいけば、10月中にはトレセンへ戻れそうです」

 雲の上で見守る美容師との約束を年内には果たそうと、高田は今日もリハビリに励んでいる。

近影。7月10日に撮影
近影。7月10日に撮影

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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