[訃報]フュージョンを牽引したトップ・ランナー、ジョー・サンプルさん逝去
クルセイダーズのメンバーとしてフュージョンの隆盛に貢献しただけでなく、ソロ活動でもリリカルな音楽観を表現したピアニスト&キーボーディスト、ジョー・サンプルさんが亡くなった。享年75歳。
クルセイダーズといえば、フュージョン・サウンドを決定づけたユニットのひとつとして歴史に名を残している。
1939年米テキサス州ヒューストンで生まれたジョー・サンプルさんは、5歳でピアノを始める。ハイスクール時代の友人、ウィルトン・フェルダーとスティックス・フーパーとともにザ・スウィングスターズというバンドを結成。
テキサスサザン大学に進んでピアノを学んでいたサンプルさんは、そこで知り合ったウエイン・ヘンダーソンらをザ・スウィングスターズに加えてジャズ・クルセイダーズとして活動を開始する。時代は1950年代から60年代へ移ろうとするころで、ハード・バップを牽引するジャズ・メッセンジャーズがジャズ・シーンで注目を集めていた。
ロサンゼルスに拠点を移して活動した彼らはレコーディングの機会にも恵まれ、“東のジャズ・メッセンジャーズ”に対して“西のジャズ・クルセイダーズ”と呼ばれる人気を博すようにになる。その一方でメンバーたちは個々の活動にも精力的で、サンプルさんも1969年に最初のソロ・アルバム『Fancy Dance』をリリースするかたわらスタジオ・ワークも手がけるなど、ポピュラー音楽界の最前線で活躍するようになっていた。
1972年にジャズ・クルセイダーズをクルセイダーズと改名すると、エレクトリック楽器を導入してサウンドを一新。これによってジャズの枠を超えた商業的な成功を収めることになった。しかし、この成功はメンバー間の音楽観に溝を作ることになり、このあとクルセイダーズの分裂を招いてしまう。
1980年代後半はウィルトン・フェルダーとの2人体制でゲストを迎えながら続けていたクルセイダーズも1991年に活動を停止。再びクルセイダーズのメンバーとしてサンプルさんの名前が出たのは2002年だった。
クルセイダーズでの活躍もさることながら、ジョー・サンプルさんの名前は『Rainbow Seeker(邦題:『虹の楽園』)』(1978年)と『Carmel(邦題:『渚にて』)』(1979年)の2枚のアルバムによって日本のファンの記憶に残っているだろう。ファンキーなサウンドでブラック・コンテンポラリー・ミュージックの先駆けとなったクルセイダーズのサウンドとは対照的なリリカルでメロディアスなピアノ・プレイを披露して、スムース・ジャズの先鞭をつけたと言っても過言ではない。
この10年ほどはアフリカン・アメリカンのルーツ・ミュージックを織り交ぜた活動にも熱心で、ボクが観たステージも大学の講義を聴いているように好奇心を刺激しつつ彼のファンキーなピアノを堪能できるエキサイティングなものだった。
ご冥福をお祈りします。
At 9:50pm (Houston,TX time), September 12, 2014, Joe Sample passed. His wife Yolanda and his son Nicklas would like to thank all of you, his fans and friends, for your prayers and support during this trying time. Please know that Joe was aware and very appreciative of all of your prayers, comments, letters/cards and well wishes.