長期的視点とフラットな目線。「伝道師」が語る小さな野球大国・ドミニカ共和国から日本野球が学ぶべきもの
夏の高校野球がたけなわを迎えている。近年、この季節になると高校野球、ひいては日本の野球界のありようについての議論がヒートアップする。この夏は「本番」の甲子園を前に「令和の怪物」、佐々木朗希(大船渡高)の県大会決勝での登板回避を巡って多方面からの意見がなされ、さながら「炎上」状態となった。
そういう中、国外の野球をつぶさに研究してきた経験を活かした指導法が注目を浴びている人物がいる。大阪を拠点に活動を続けている阪長友仁、38歳だ。彼が最近注目を集めている理由のひとつに、現役選手の立場にありながら、球界に対する苦言を発信している横浜DeNAの主砲、筒香嘉智の存在がある。筒香は2015年オフ、ドミニカのウィンターリーグに武者修行に出かけたが、その時の経験から、最近球界への提言を盛んに行っている。その筒香をドミニカに導いたと言えるのが、阪長だ。彼もまたドミニカ野球を実見し、そこで学んだものを日本での指導に生かしている。彼の「ドミニカ流」の指導は、日本野球に対するアンチテーゼのようにも報道されているが、私はそのような報道に少々疑問を抱いていた。
「そんなに日本野球が悪いのか」と。
フィジカル面で劣りながらも、世界の強豪と言われる日本。本当に問題点が多いのなら、様々な世界大会での戦いぶりや、今やメジャーリーグに肩を並べようかというプロ野球の観客動員などは説明がつかないのではないか。
そんな思いを抱きながら、今話題の「ドミニカ野球の伝道師」、阪長に会いに行った。
「文武両道」。アスリートとしての阪長の原点
「勉強は大事じゃないですか」
野球の話を聞きに来たのだが、経歴について尋ねた途端、阪長の口からはこの言葉が出てきた。大阪郊外の町出身の彼が野球を始めたのは小学生の時だという。地元ボーイズリーグで中学までプレーし、その後進学先に選んだのは、新潟明訓高校だった。甲子園で勝つよりも府大会の方が過酷だと言われるほど強豪校がひしめく大阪。甲子園を目指す球児の中には、他県へ「野球留学」する者も多いが、阪長は自分のケースはそうでないと笑う。
「高校には普通に受験して行きました。国公立大学も目指せるような進学校に進みたいと思ったんです。もちろん野球はするつもりでしたし、部活で野球やっている以上は甲子園を目指したいという気持ちもありました。だから、勉強をしっかりさせてもらえる高校で、甲子園も目指せる、そういうところを探した結果が新潟明訓だったということです」
甲子園出場は最後の夏に叶えた。その一方、学業成績もしっかり残すという、まさに文武両道を地で行くような高校生活を送った阪長は、東京六大学の名門、立教大に進んだ。「高校で別にもうやめてもいいかな」とも思っていた野球だが、3年間の高校生活で、もう少しやりたいと言う気持ちが湧き、大学でも野球部の門を叩いた。準レギュラーどまりだったものの、キャプテンシーが認められ、4年時には主将を務めた。
サラリーマンの地位を捨て野球普及活動へ
大学卒業後も野球を続けたい思いがあったが、プロや実業団からの誘いもなかった阪長は、ユニフォームを背広に着替えることにした。
しかし、サラリーマン生活はたった2年で終わる。「野球界になにか貢献したい」、その思いだけで、会社に暇乞いをし、スリランカへ旅立ったのだ。野球とインドの沖にある島国、スリランカはすぐには結び付かないが、彼なりの考えがあった。
「野球に関わりたいって言っても、国内にはもう指導者はたくさんいらっしゃいますから。最初は、青年海外協力隊で世界のどこかで野球の普及活動をしようと思ったんです。あんまり野球の盛んじゃない国で普及活動をした方が、野球界のためになるんじゃないかって思って。でも、なかなか試験に受からなくって…。それで知り合いを通じていろいろ話を聞いて、スリランカにふらっと(笑)」
野球普及活動を行っていた協力隊員の手伝いを手弁当でしていると、やがてチャンスが巡ってきた。パキスタンで行われた大会への帯同が認められたのだ。そこで出会ったタイナショナルチームの日本人監督に声をかけられ、2006年、阪長はタイに渡る。押しかけていったスリランカとは違い、今度は誘われて行った身、寝床と食事だけは提供された。
それでも給与のない海外生活、貯金はどんどん減ってゆく。好きで進んだ道だが、生活ができねばどうにもならない。そんな時、アフリカから声がかかった。日本のNPOを通じて、北京五輪に向けて動き出していたガーナナショナルチームの指導者の話が舞い込んだのだ。渡航費と食費、生活費は面倒をみてもらえるという契約で、2007年、阪長は野球指導者として本格的な一歩を踏み出す。翌年には念願の青年海外協力隊の採用試験にも受かり、「野球隊員」としてコロンビアで2年、野球の普及に努める。
2010年3月、任期を終えて帰国した阪長は、一度野球から離れようと、今度は青年海外協力隊を派遣するJICAの企画調査員として、中米・グアテマラに赴任した。このグアテマラでの3年間に阪長はその後の人生の方向性を定めることになる。
休暇を利用してカリブ海地域の野球を見て回った。キューバ、プエルトリコ、ニカラグア、そしてドミニカを訪問した阪長は、日本の野球とは全く違う、さらに言えば、他のカリブ海諸国とも違うドミニカ野球に魅せられた。
何の情報も、予備知識もない。レンタカーを借りて道行く人々に尋ねながらの野球行脚。そこで目にしたものは、日本とは全く違う指導アプローチだった。
「ドミニカは、育成を最大の主眼にしてやっている国ですね。そこは、グアテマラとかコロンビアにいてもなかなか想像できないです。メジャー球団のアカデミーで育成世代の指導を見させてもらったんですが、メジャーリーグで金を稼ぐという動機は大きいんです。親がメジャーリーガーだから自分も、というケースもあるのでそれだけが動機というわけではないでしょうが。そういう背景があるから指導法も日本とは全く違います。例えば、17,18歳の子たちがいたときに、日本の高校野球だと甲子園が一番の目標でしょう。だから指導者の皆さんも、良かれと思って、そのためのアプローチ、指導をするじゃないですか。まずは勝とうと。だから18歳までにこれをできるように、という考え方ですね。それに対して、ドミニカの場合は、メジャーリーグという最終目標があるので、18歳時点でここまでいっていないとだめというよりも、そのメジャーに行ったときに何ができるか、そのために今はそういうことが必要で、そういうことはまだ必要じゃないという視点で指導していると思います」
ドミニカ野球の伝道師に
2014年、帰国した阪長は、ドミニカで見た野球を日本の指導者に伝える活動を仕事にすることにした。まずは、旧知の人物が代表を務めている堺ビッグボーイズで指導者として活動する場を得、それと並行して講演活動を始めた。SNSを通して自分の考えを発信し、自ら講演会を主催、彼の指導法は、やがて多くの指導者の支持を得るところとなり、今では様々なところから講演の依頼が舞い込むようになってきた。現場の指導者と新たな指導法の伝道師という二足の草鞋を履きながらの活動で多忙な毎日を送りながらも、新たな学びを得るため、阪長は今も頻繁にドミニカに足を運んでいる。
「やっぱり時代が、だんだんちょっとずつ動いていっていると思います。例えば、今盛んに言われている球数制限にしても、堺ビッグボーイズはもう10年くらい前からやっています。また、指導方法じたいもトップダウンじゃなくて、もっと子どもたちの目線に合わせた対話重視になっていったり、ここで指導していたり、海外でやっていることが徐々に広がっているように思います」
阪長の指導アプローチは、現役プロ野球選手の共感も呼んだ。堺ビッグボーイズのOBでもある横浜DeNAの主砲、筒香嘉智はそのひとりだ。彼は2015年オフ、ドミニカウィンターリーグに武者修行に行っているが、これも阪長が橋渡し役を果たしたものだ。
「ビッグボーイズの代表さんは何度もドミニカに足を運んでくれていたんです。それで、選手として、人としてのスキルアップを含めて、筒香選手の今後にプラスになるんじゃないかとドミニカウィンターリーグ出場を提案してみようということになりました。僕の方は、ドミニカの球団と交渉したり、通訳も含めて現地のコーディネートをさせてもらいました」
ドミニカで新しい野球に出会った筒香のその後については、今さら言う必要はないだろう。
ドミニカ野球はそんなに優れているのか?という疑問
この夏も「球数問題」が喧しい。近年、高校野球の球数制限に代表されるように、日本の野球界の問題点が指摘されている。最近ではプロ野球の「体罰問題」まで取り上げられた。一連の議論の中には、日本野球は旧態依然でダメ、それに比べ海外は…、という「優れた欧米(野球の場合ドミニカも含むのだろうが)、ダメな日本」の図式に落とし込む、「日本野球バッシング」の様相を呈しているものも出現している。私はそのような論調を見るたび、「ではどうして日本野球は世界の強豪であり続け、プロ野球は世界第2のパワーハウス足りえるのか」と首を傾げてしまう。ドミニカ野球について言えば、過去には、選手のスカウトの過熱化から薬物問題も生じているし、貧困から抜け出す野球というツールゆえに渡米のための戸籍の偽造や偽装結婚などの犯罪も起こっている。そもそも、「スポーツによる立身出世」という思考は、勉学によるスキルアップという通常のキャリアパスから若者を遠ざけてしまう傾向があることは、研究者からも指摘されているところでもある。そういう観点からは、目標をメジャーリーグのみに置くドミニカ野球のあり方は、野球を一種の職業教育のツールと化してしまい、娯楽・趣味というスポーツ本来のあり方と乖離してしまうのではないだろうか。この私の疑問に、阪長はこう答えてくれた。
「職業教育というか、どう言ったらいいんでしょうかね。野球選手である以上、物心ついた頃、中学生ぐらいになれば、まずは世界一の舞台であるメジャーリーグでプレーしたいと単純に思うじゃないですか。そのために何をするかというのがドミニカの指導の在り方なんです。実際、選手たちはそれしか考えていないです。娯楽としてプレーするなら、ここではソフトボールになります。高校、大学世代も基本的にみんながメジャーリーグを目指しています。もちろん簡単になれないんですけども、だからこそ指導アプローチも変わってくるんです。ここでは指導者は、メジャーリーガーになれると思ってやれと指導します。お前は駄目だなんて絶対言わないです。だから、どんどん積極的にチャレンジしなさいと。失敗を恐れなくていいと、ミスしても次は行けるというように指導するんです。その結果として、その中から何人かメジャーリーガーが出てくるんです。そういう指導でなかったら多分あんな人数は出てこないと思います。
もちろん、次のステップに行けない子とか、こっちでは16歳からプロ契約できるんですけど、せっかく契約してもそれを失う子は出てきますよ。でも、決めるのは球団であって、指導者としては、無理だと言う必要ないですよね。なので、ドミニカでは次のチャンス、次のチャンスと言うんです」
あくまでプロ、それも頂点のメジャーリーグを目指すのがドミニカ野球だということだが、そうなると、日本のアマチュア野球のようにレクリエーションとして楽しむ野球はないことになる。その疑問に対しても阪長はこう答えてくれた。
「プロを目指す中に楽しむという要素も入ると思うので、両立は可能かなとは思います」
大事にしたい日本の野球文化
阪長は長年の間、「球数制限」を推進すべしと訴えている。彼の主張が「制限派」のバックボーンのひとつになっていることは間違いない。その延長として、なにか彼の論は、「日本野球バッシング」の象徴になっている感もあるのだが、彼自身は決して日本野球に否定的ではない。
「日本の野球にも、いいところが結構あると思いますよ。だから、日本の文化は大事にしないといけないと思います。例えば、グラウンドをきれいにしようとか、道具を大事にしようとか、あいさつをしっかりしようねとか。そこは大事なところだと思うので、それは保ちながら指導していきたいと思っています。
でも、一方で、どうしても目先の指導になってしまう、短期的に結果を求めてしまう傾向はありますね。だから、やり過ぎてバーンアウトしてしまうとか、けがをしてしまうとか、指導者が抑えつけた結果、自発性がなくなってしまうとかそういう問題は出てくるんじゃないでしょうか」
「バーンアウト」とはアスリートの燃えつき症候群のことである。競技生活が終了したり、目標を見失ってしまったときに、精神的に参ってしまうことがアスリートにはままある。しかし、メジャーリーグという極めて可能性の低い目標に向かってプレーしていたドミニカ人の方が、その夢が絶たれた時、かえってこれに陥りやすいのではないか?この疑問に対しても阪長はこう返してくれた。
「日本みたいに朝から晩までずっと練習するということはドミニカにはありません。1日3時間の練習の中で少しずつ成長していくというアプローチですから、バーンアウトみたいなものはないです。もちろん、目指していたものを諦めないといけなくなった時のつらさとかはあると思いますが」
ドミニカにあるメジャー球団のアカデミーでは、教育と規律を重視した運営がなされていると阪長は言う。練習、試合は基本午前中だけで、午後は昼食と休憩の後、資格を持つ教員による英語などの授業が行われ、高校卒業資格も取れるよう教育サポートがなされている。
また、日本とはかたちは違えども、アメリカ社会にも「タテ」の関係は存在する。マイナーリーグでは、ユニフォームの着こなしなどにも制限があり、ひげの禁止、遅刻に対する罰金なども存在する。だからこそ、ドミニカの選手はプロとしての第一歩をアカデミーで過ごすのだと言う。つまりはアカデミーは単に野球だけをするところではなく、ディシプリン(規律)を身に着けるところでもあるのだ。
「結局、アメリカ社会に順応するために、アカデミーがあるんです。そこでできないと、自分の能力を発揮できないですから。17、18歳で躾をしましょうということです」
近年経済成長の著しいドミニカだが、まだまだ教育は行き届いていない。それゆえ規律面に問題のある選手も多いのだが、その規律面においては、日本野球の方が優れていると阪長は感じている。
「規律面はドミニカ野球にも必要だと思います。でも現実はなかなか簡単に手に入らない。社会全体において足りていませんから。逆にその点は、日本野球の指導者が大切にされてきた賜物だと思うので、大事にする必要はあると思います。道具を大事にする、時間を守る、そういう当たり前のことができる日本の野球界というのはすごいです。最近はドミニカでも規律についてよく言うようになってきたとは思いますね」
「あいさつの徹底。大きな声で返事。攻守交替は駆け足。グランド整備は丁寧に。率先して行動。周りに気を遣う。起床は自分自で」 阪長がコーチを務める堺ビッグボーイズのグランドのバックネットには、彼が日本野球の誇りとする規律が大きく掲げられている。
日本野球がドミニカから学ぶべきこと
グローバル化の中、ドミニカ野球も少しづつ変わってきていると阪長は言う。先述の規律面もそうであるし、技術面でも変わってきている部分がある。私自身、数年前、ドミニカのウィンターリーグの試合前、右打者がいわゆる「置きティー」で右打ちの練習をしているのを見て、とにかく来た球を思い切り引っ張るというラテンアメリカ野球のイメージを壊された経験がある。阪長もそういう変化は感じている。
「技術的にもやっぱり反対方向への打球というのは大事なんで。技術の進化に合わせて、プレースタイルも徐々に変わっていっていると思います」
阪長はドミニカ野球を体験したいという少年の橋渡し役も買って出ている。昨年も高校野球を終えて大学でのプレーまで間があるという少年を2か月、ドミニカに送った。その少年は、ドミニカでめきめきと上達し、プロのトライアウトを勧められるまでになったという。
最後に日本野球がドミニカに学ぶべき点ついて尋ねた。阪長は長期的視点と指導者のフラットな目線の2点を挙げた。
「確かに日本みたいに追い込んで限界までやってきた結果、体格で劣る日本人が世界の野球でも成功しているという面はあると思います。ただ、選手にはいろんなタイプがあるので、そうやってうまくいく子もいれば、逆に長期的視点でやっていれば伸びたはずの子が伸びてないというのもあると思うんです」
その典型例が金属バットだと阪長は言う。トーナメントの1勝を求めるあまり、日本のジュニア世代は「飛ぶバット」にどうしても頼ってしまう。
「日本人の長打力不足の大きな要因は金属バットですね。アメリカにも金属バットはありますが、打球が飛ばないんです。日本の金属バットというのはものすごく飛ぶんですが、それを高校まで使っています。また、その飛ぶバットで打たれるからピッチャーも球数が多くなって疲労が溜まってつぶれてしまう。やはり木製バットもしくは低反発バットでしっかり振ることを身につけないとダメだと思います」
もう一点の「フラットな目線」に関しては、昨今世間をにぎわせている体罰問題に直接通じることだろう。スポーツに留まらない日本社会の問題とも言える。選手主体の指導が大事だというのが阪長の持論だ。
「ドミニカでは、社会的にも誰もが対等に接しないといけないんです。上からものを言うとか、抑えつけるというのは、タブーなんです」
現在阪長は恒例のドミニカ野球行脚を行っている。今度はどんなものを日本に持ちかえってくるのだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)