Yahoo!ニュース

いまだに驚くべき波紋を投げている三浦春馬さんの死への関心の大きさを考える

篠田博之月刊『創』編集長
三浦春馬さん最後のドラマ『カネ恋』をイメージした切り絵(海扉アラジン作)

 7月18日の三浦春馬さんの突然の死はいまだに大きな波紋を広げている。10月下旬に三浦さんのミュージカル『キンキーブーツ』の動画がネットで公開され、大きな話題になった。遺作となったTBSドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』、通称「カネ恋」は、いまだにファンの間で語られている。

 月刊『創』(つくる)12月号は11月号に続いて海扉(かいと)アラジンさんの切り絵を表紙にしたが、素材はその「カネ恋」だ。この記事の冒頭に掲げたのがそれだ。また『キンキーブーツ』の切り絵はカラーグラビアで紹介した。

 おかげさまで大きな反響が寄せられている。注文も殺到しており、既に在庫切れ(時間をおけば再び在庫を確保できる可能性もあり)。既にいただいた注文の発送もあまりの多さに遅れてご迷惑をおかけしている。

 その12月号に掲載した空羽(くう)ファティマさんの文章は、下記ヤフーニュース雑誌に公開した。雑誌の方にはこの記事ともう1本空羽さんの原稿が掲載されている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bd54302530aee4167c18d5441151a834dc2c5f8b

三浦春馬ー死を超えて生きる人 空羽ファティマ/海扉アラジン

7月以降、女性の自殺が増えたこととの因果関係は

 三浦春馬さんの死に衝撃を受け、いまだに涙を流しているという多くの女性たち、しかもこれまでずっと三浦さんのファンだったという人だけでなく、多くの人にある種の「共振」を起こした背景は何なのか。それはたぶん今という時代の一断面を象徴しているはずだから、さらに考えてみる必要があると思う。

 明らかなことは、そうした「三浦春馬現象」ともいえる反応を示したのは、ほとんどが一定年齢以上の女性だったことだ。そのことと7月以降、女性の自殺が増えていることとの間に何らかの関係があるのかどうか。『創』では、それについての精神科医の香山リカさんと松本俊彦さんの対談も掲載した。

 三浦春馬さんの死に衝撃を受けた女性の多くが、自分の哀しみの奥に死を意識したことも気になるところだ。この間の取り組みは、そういう人たちに死ぬことを踏みとどまってほしいという思いも込めて行っている。

 この間、読者からたくさんのメールや手紙をいただいた。ツイッターにも例えばこんな投稿があった。

《春馬くんの記事読ませて頂き涙が止まりませんでした。私もあの日から色々な事がloopして、すんでのところで留まっていますが、死んでしまいたいです》 

 慌てて《死ぬのだけはやめて。残された人が悲しむから》と返答した。

 今回もそんな読者からのメッセージのごく一部を紹介しよう。前回までは名前を伏せてそのまま掲載したが、今回は連絡がとれる方には連絡し、お住まいや年齢などお聞きして記入した。どういう方がどういう受け止め方をしたのかというのも、大事な情報だからだ。

 全体の傾向として、三浦春馬さんの死に激しい衝撃を受けながらも、3カ月経って少しずつ落ち着いてきた方も多いような印象を受ける。でも”三浦春馬現象”とでも呼ぶべき一連の経緯は、いろいろな角度から検証していく必要があると思う。

 このヤフーニュース個人には9月末以降、三浦春馬さんの死について3本の記事をあげている。まだ読まれてない方のために下記に3つの記事のURLを掲げておく。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200831-00196020/

いまだに衝撃が収まらぬ三浦春馬さんの死を私たちはどう受け止めるべきなのだろうか

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200906-00196860/

三浦春馬さんの死への社会的関心の驚くべき大きさと事務所が新たに公表した情報について

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20201008-00202095/

「カネ恋」最終回も話題に。収まらない三浦春馬さん追悼の声と竹内結子さん「死」の衝撃

事務所「アミューズ」と12月公開映画『天外者』

 上記の記事で三浦さんが所属していた事務所「アミューズ」の対応については何度か言及した。そのアミューズが11月5日に「インターネット上における誹謗中傷、デマ情報について」という文書を公表した。ネット上に誹謗中傷やデマ情報が載っていることに警告を発したものだが、そこに「デマ情報を発信しているWebサイト」と題して、幾つものサイトが実名で公表されている。大半が三浦春馬さんの死をめぐるサイトだ。

 これまでもマスコミが遺族に取材をかけたりすることに警告を発してきたし、ネットの情報を誤りが多いと指摘してきたが、具体的なサイト名をそのまま公表するというのは、事務所がいかに苦慮しているかを示すものだろう。

 週刊誌はいまだに折に触れて様々な情報を発信している。最近でも例えば『女性自身』12月1・8日合併号が「三浦春馬さん 納骨どころじゃない…離婚両親が”遺産バトル”4カ月!」という記事を載せている。

『天外者』c:2020 「五代友厚」製作委員会
『天外者』c:2020 「五代友厚」製作委員会

 そして来る12月11日からは三浦春馬さん主役の映画『天外者』(てんがらもん)が全国公開される。私も都内のマスコミ試写に足を運び、後日、監督の田中光敏さんにインタビューした。その内容は『創』1月号に掲載し、ヤフニュースにも公開する予定だ。三浦春馬さんがこの作品にどんなふうに取り組んでいたか、田中監督には興味深い話をたっぷり聞いた。

 『天外者』2020年12月11日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。公式ホームページは以下。

 https://tengaramon-movie.com/

読者からの悲痛な投稿を今回も公開する

 さて、今回も『創』編集部に寄せられた読者投稿のごく一部を公開しよう。投稿は『創』に掲載したりヤフーニュースに公開するので、ぜひ今後も送ってほしい。メール投稿は下記の創出版宛に送ってほしい。

[ mail@tsukuru.co.jp]

●心身ともに打ちのめされたままです

《三浦春馬さんが旅立たれてから、もうすぐ3カ月が経とうとしていますが、もうこの世に彼が存在しない、という事実に心身ともに打ちのめされています。毎日が気分が上がらず、どうしようも無い虚無感とやるせなさと取り返しのつかない恐ろしさに支配されています。

 私にとって生前の春馬くんは横顔の美しい上品なキラキラした俳優のひとりでした。

 逝去後の今、もう取り戻すことの出来ない唯一無二の存在に、癒されることのないこの哀しみに、声もなく流れ落ちる涙に…自分の感情がコントロールできません。

 人間は表裏一体。表に放つ輝きが強いほど、影は深く濃くなるという。放つ光が強ければ強いほど、周囲の人々はそのまぶしさに目が眩み、裏にある影を見落としてしまう。

 ねぇ、春馬? そういうことだったのかな?

 毎日、彼しか知りえない答えを天空に問いかける日々です。

 人知れず、あの仔犬のような笑顔の裏で何かに悩み、あんなに痩せるほど命を削りながらも最後まで素晴らしい作品を沢山残してくれたこと、おそらく、三浦春馬そのものまでを演じ切って、30年間生き切ってくれたこと、本当にほんとうにほんとうにありがとう。

 でもね、春馬?

 私はただ、ただ…あなたにここに居てほしかったよ。表に出る人じゃなくなってもいいから、存在していてほしかったんだよ。

 ねぇ、春馬? この哀しみが癒される日は来るのかなぁ?

 あのね、春馬…? どれだけの眠れない不安な夜を、一人で過ごしていたのかな? いったい、何があったの。今はもう届かない、あなたへの賞賛の声、賛美の嵐…

 助けてあげられなくて、ごめんね、ごめんなさい。手を差し延べて、引き上げて、抱きしめて、一緒に泣いてあげたかったよ。

 もう大丈夫だよ、春馬は春馬でいいんだよ、安心してね、って言ってあげたかった。

 今年は私の残りの人生、辛い1年の始まりとなりそうです。彼の旅立ちに関して真偽の定かでないたくさんの情報が、ネット上で飛び交っています。どうか、どうかこれ以上辛いことが続きませんように。

 今、気持ちの真ん中にあるどっしりとした大きな石に押しつぶされそうな日々が、いつもの日常を取り戻せるように。

 彼が私たちに残していった沢山の宿題を私なりに一つずつ紐をといて、昇華させて生きていきたいと思います。彼の作品を愛しながら。》

(北海道 かんなおさん 53歳)

●三浦春馬さんを十数年見守ってきた

《三浦春馬さんに関する篠田様の記事を読み、涙が止まりませんでした。あの日以来嬉しい・楽しいという感情を無くしたままで、救われた気持ちになった事はそれ以降で初めてでした。感謝の気持ちをお伝えしたいと思いメールをお送りした次第です。

 三浦さんを十数年、ずっと見守ってきました。彼の出身地の近くに住んでいたので、田舎特有の口さがない人から、彼の家庭環境の詳細を聞き心を痛めていました。品があり美しいけれどどこか影がある彼の佇まいには、その影響が多分にあると思いました。一俳優の作品を追うというより、上記の事から、彼が一人の人間として幸せであるようにとメディアで見かける度に願いながらずっと見守ってきました。あの日最後に彼が選んだ道を知った時、悲しみとともに何故という思いだけがありました。それは今も両方とも消えておりません。

 応援をしても、それは彼が生き続けられる力にはならなかった。ならばせめて彼が感じていた苦しみを、死後であっても理解し彼に寄り添いたいと願うのが彼を長年思ってきた人々の気持ちだと思います。彼自身のコアな部分に触れることは望んでいません。ただ、彼の周りの人々があの日まで彼にどう対応して来たのかが知りたいのです。何故という気持ちに動かされ、縋る気持ちで色々な報道を片っ端から見ました。が、その疑問に対する答えになるものは今まで何一つありません。(略)

 自死ではなく、この様な事がまかり通る社会に、彼は命を奪われたのだと思っています。そして自分もその社会を構成する一員である事に、私は日々彼に申し訳なく思い過ごしています。

 このままの社会ではいけないという事に、皆心のどこかで気づいてはいるのだと信じたい。自分と異なる政治的意見に、右寄り左寄りと批判し、自分には何の関係もない芸能ゴシップの当事者を寄ってたかって吊し上げる。日本はいつからこんな不寛容な社会になってしまったのでしょうか。

 三浦さんはそれについてもSNSで声を上げていました。それとは別に、出演した作品を見た人が心の中に何かを得てくれたらと多くの取材で述べています。

 この社会を、人々をよりよくしようといつも思っていたのです。彼は現状を変えたかったのです。でもそれもかなわず去ってしまった。

 残された私に何ができるか、一生かけて実際に行動し、考えていくべき問題だと思っています。彼から貰った、この世での宿題と考えます。》(よしばさん 48歳)

●春馬さんのいない世界が痛くて苦しい

《初めまして。私は何かの記事にコメントしたり、芸能人のSNSにメッセージをしたりしたことは一度もないのですが今回はどうしても気持ちを吐き出したくなりメールをさせていただきます。

 三浦春馬さんのことはとても大好きですが熱心に追いかけたり、舞台を見に行ったりしたことはありません。ですがやっぱり春馬さんがいなくなってしまったあの日から私の心の中は変わりました。

 空気も変わってしまった気がするほどです。

 春馬さんのお友達や共演者さんやスタッフさんからの春馬さんとのエピソード、プライベートの春馬さんと不意に会った一般の人のエピソードを見ると春馬さんは本当に努力をし、一生懸命勉強をし、表面上だけじゃない優しさを持ち、人を想い、美しくきちんと生きた人だとつくづく感じました。なかなかそんな生き方を出来る人はいないと思います。

 そんな春馬さんが生きられなかったこの世界に絶望してしまっています。清く正しく美しく生きる事は所詮綺麗事なのでしょうか。子供達にどんな大人になってほしいと願えばいいのでしょうか。春馬さんのような美しく人を想えるきちんと生きられる人になってほしいけど…そんな人が生きるには苦しい世界なのでしょうか。

 それと同時に、自分勝手に親不孝をしながら大した努力もせず生きてきた私は生きていていいのか…生きる価値があるのか…と考えるようになりました。

 あの日から涙が流れない日は1日もありません。春馬さんに逢えないからこんなに痛くて苦しいのではないのです。

 春馬さんがいないこの世界が痛くて苦しいのです。

 せめて今は春馬さんが全てから解放されて春馬さん自身のために生きていてくれることをいつも願っています。春馬さんの記事がなくなってしまうことがとてもとても辛いです。また記事を拝見できることを願っております。》(京都府 麻里子さん 39歳)

●両親、長兄を亡くした時以上の喪失感が

《貴殿の月刊誌を読み、悩んだ末にやはり、この思いを伝えたくお手紙を書くことにしました。空羽ファティマさんの記事は、特に興味を持たせて読ませていただきました。

(クローゼットの話はいささか共感できません。自死の場所にそこを選ぶのはおかしいとは思いません。もし、私でも他の部屋より狭い部屋を選びます。他の部屋には吊るせるところないと思いますが…考えるだけでぞっとしますが)

 他の話はとても共感し、感動しながら読ませてもらいました。命は長さではなく濃さというくだりもよかったと思います。ただ、本心は生きていてほしかった……(略)

 三浦春馬さんが亡くなり早くも3カ月が経とうとしています。

 私は、若い時から、彼のドラマはよく見ていましたが、ファンというよりそのドラマの内容で見たり見なかったりという程度のものでした。

 あの7月18日、たまたま携帯を開いたとき、そのニュースに愕然としました。

 しかし、そこまでは多分あまり芸能界に興味のない人も、同一感情ではあったと思います。

 それから、今までの月日がこんなにつらいものだとはその時には予想もしてませんでした。

 1週間後にミュージックステーションでの彼のMVを見た時にあまりに歌も踊りも素晴らしく「もったいない…なぜ?…」

 それから、YouTubeを調べていくと彼の真面目に取り組んでいる姿、インタビューでの真摯な答え方、舞台では、ドラマと違う生き生き動く体、すべてが魅力的で、どうしてという喪失感に一気に落ち込んでしまいました。そんなに生きづらい世界だったのか、と。

 DVDやCDを買い、四十八都道府県に載っていた近県まで足を運び、対応していただいた人の話で号泣し彼自筆の台帳に涙ぐむ始末でした。

 彼の残した本「日本製」にも前向きな言葉ばかりで胸が痛んでしまいます。

 歌声を聞くと素晴らしく、私も歌の個人レッスンを受けてますが、「アベマリア」「千の風になって」を歌うと涙が溢れてしまい、歌うことができなくなってしまいます。

 2カ月程間の間は、あちらには春馬さんがいるから行こうかなと思うくらい危なくなってました。

 週刊誌に載っていた彼の自筆の手紙 丁寧にお礼が書かれ内容も素晴らしく、またしてもどうしてこんな人が、悲しい結末を選択しなくてはいけなかったのかと落ち込み、身内でもないのに、身内以上の感情になり、深い悲壮感に陥ってしまいました。

 考えると涙が溢れ、苦しかったろうな 辛かったろうとか思い、テレビを見ても内容に興味がなくなり、寝ても覚めてもネットで春馬記事を探す自分がいます。

(前ほどではありませんが、それはまだ止められません…)

 きっと多くのファンや、そうでなかった人も、そんな状態になっていらっしゃったと思います。

 私は、20代前半に両親、長兄と続けざまに亡くしましたが、その時以上に喪失感が半端なくあります。

 身内はしっかりと別れという儀式をして、新たな一歩を踏み出さなくてはという覚悟があるからでしょうか。……

 死んでも、世の中は変わらない。それも悲しすぎます。

 でも、三浦春馬さんを忘れないでほしい。

 生真面目に真摯に俳優という仕事を通して、表現者として努力を惜しまず、人への思いやりと笑顔のすばらしさを伝えてくれ、いろんな人生があることをドラマで伝えてくれたこと、ありがとうございました。(略)

 今、希望にあふれた世界とは言えません。でも人間は、生きて存在することに価値があります。

 やっと私は、この気持ちまでに戻ることができました。それは何人もの友達にこの状態を泣きながら話しました。(家族にはさすがに言えませんでした)

 同年代の友、若い年代の友、みんな親身に聞いてくれ、さらけ出すことができました。

 彼の死を受け止めることが、どうにかできるようになりました。彼の作品を見て、物語の内容に没頭することができるようになりました。

 彼の作詞作曲の歌を、歌いこなして発表会に出ようかと思うようにまでなりました。

 春馬愛に変わっています。空の上で見てくれることを信じて、濃ゆくなくてもいい、細く長ーい人生を生きていきたいと思ってます。》

 最後の女性の投稿は封書で、丁寧に書かれた文字が心情を反映していた。家族を亡くした時以上の喪失感を三浦春馬さんの死によって感じたという、壮絶な内容だ。多くの女性たちが感じたこの喪失感とは何であるのか、今後もフォローを続けたい。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事