名古屋めしの象徴・八丁味噌ブランド問題の「なぜ?」
多彩な「名古屋めし」を生んだ地域固有の豆味噌
ご当地グルメとして今や全国的に知られる名古屋めし。味噌カツ、味噌煮込みうどん、ひつまぶし、手羽先、きしめん、台湾ラーメンなど、バラエティに富んだ料理の数々は、名古屋を象徴する文化であり、最重要の観光資源といっても過言ではありません。
その肝というべきが豆味噌です。大豆と塩のみを原料とする豆味噌は、生産も消費も名古屋をはじめとする東海地方にほぼ限られる、地域特有の伝統的調味料です。全国を網羅する米味噌や、九州などの麦味噌と比べてうまみがとびきり濃く、かつ煮込んでも風味が損なわれないという他の味噌にはない特性によって、独特かつ多彩な名古屋めしの基盤となってきました。
八丁味噌はこの豆味噌の代名詞ともいうべきブランド。“豆味噌”には耳なじみがなくとも、“八丁味噌”と聞けば“名古屋(周辺)の辛口の味噌のことね”とピンと来る人も多いのではないでしょうか。(ちなみに「赤味噌」と称されることもありますが、米味噌の中にも赤味噌と呼ばれるものはあり、東海地方の味噌は豆味噌と呼ぶ方がより正確です)
農水省のお墨付き「GI」マークとは?
この八丁味噌が先ごろ、農林水産省の「地理的表示(GI)」制度に登録されました。
GI制度とは、産地の風土や伝統的製法にもとづいて作られる食品に地名を冠してブランド化して保護するもの。運用初年度の2015年以降、「夕張メロン」「但馬牛」「市田柿」「特産松阪牛」「西尾の抹茶」など58品目が登録されています。登録されると、国のお墨付きであるGIマークを付けて販売することができ、一方で非登録品の不当表示に対しては行政が取り締まりを行います。農水省のガイドラインによると、産品の評価の維持と向上、その産品に対する消費者の信頼を保護することが目的とされています。
八丁味噌が登録されたのは昨年12月15日。しかし、年が明けての新聞各社の報道に、地元では「えっ?」という驚きの声が上がりました。八丁味噌の登録生産者団体と公示されているのは愛知県味噌溜醤油工業協同組合で、元祖と広く認知されている愛知県岡崎市の「カクキュー」「まるや」(社名はそれぞれ「(資)八丁味噌」「(株)まるや八丁味噌」)の老舗2社はここに含まれていないのです。
2社はGIマークを使うことができず、以前より輸出をしていたヨーロッパで「八丁味噌」を名乗れなくなるといいます。この措置に対して2社は国に不服申し立てをする構え、とも。これは一体どういうことなのか? 名古屋めしに関してあちこちで書いたり話したりする機会が多い筆者としては看過するわけにはいきません。早速、当事者に詳しい事情をうかがいました。
岡崎の元祖2社がこだわる江戸時代からの伝統製法
「今回、GI認定を受けた『八丁味噌』は、私たちが長年守ってきた製法、伝統とは大きく異なる。これではお客様との信頼関係が崩れてしまい、私たちも今までの作り方を守れなくなってしまう。結果として八丁味噌のブランド力が低下してしまうと危機感を抱いています」
こう憂慮するのは「まるや」の浅井信太郎社長。八丁味噌の名称は徳川家康が生まれた岡崎城より八丁(約870m)西の場所で作られることに由来し、カクキューとまるやの2社が江戸時代からここに蔵を構えてきました。大きな木桶に石を積んで2年以上長期熟成する昔ながらの製法が独特の深いコクを生み、それこそが八丁味噌の個性であり消費者が求めているものだと主張します。
農水省が2015年にGI制度の登録申請受付を始めた際、2社による八丁味噌協同組合は真っ先に申請をしていました。食の伝統とその産地を守るための制度だと考えたからです。一方で県内の幅広い生産者で構成される愛知県味噌溜醤油工業協同組合も「八丁味噌」で申請を行います(先に申請があったため意見書扱い)。
この段階で、岡崎2社と愛知県の組合の考える八丁味噌の定義には相違がありました。主な違いを分かりやすくいえば、前者は産地は岡崎のみで木桶と石積みで2年以上天然醸造で仕込む、後者は産地を愛知県とし熟成期間は一夏以上とする、というものです。この段階から農水省は、生産地を愛知県とすることを重視し、岡崎2社に申請内容の変更を要請。2年にわたって協議を重ねるものの折り合いがつかず、結果的に県の組合の申請が登録されることとなりました。
「GIブランドが目指すのは“地域ブランドの保護・活用による地域の活性”“伝統的な食文化の継承”のはず。我々2社が八丁味噌のオリジナルであることは農水省も認めていて、にもかかわらず我々の考える八丁味噌とは異なるものが登録された今回の裁定は大変遺憾です」
「カクキュー」の早川久右衛門社長は首をひねりながらこう続けます。
「八丁味噌がメディアで紹介される場合、木桶に石を積んだ我々2社の蔵の様子が紹介されることがほとんどで、消費者は“こうやって作っているんだ”と思って製品を手にして購入してくれる。しかし、そうではないものにGIマークが付けられて出回ると、イメージと異なる八丁味噌を知らずに購入してしまう可能性がある。これは消費者にとって不利益になるのではないでしょうか」
八丁味噌は“愛知県の共有財産”ととらえる県の組合
続いて愛知県味噌溜醤油工業協同組合にも意見を求めました。すると、こちらも困惑した表情でこう切り出しました。
「岡崎の2社が外された、と報道されたことで誤解が広がり、私たちも困っているんですよ」
こう語る同組合・富田茂夫専務理事はさらに続けます。
「あくまで産品としての八丁味噌がGI登録されたということであり、我々の組合が登録されたわけではありません。報道ではカクキューさん、まるやさんがあたかも除外されたかのような印象を受けますが、農水省との協議の結果、岡崎の2社さんが自ら申請を取り下げたのであり、あらためて申請してくだされば登録を受けられると、農水省からも発表がありました」
岡崎の2社が県の組合に加盟していないのは、やはり過去に八丁味噌の商標に関して折り合いがつかず、2社が脱退したといういきさつがあります。先にも記した通り、もともと両者の間では八丁味噌の定義について見解の相違があるのです。
「岡崎の2社が元祖である、ということはもちろん誰もが認めるところ。一方、業務用が主なので一般には知られていませんが、県内には戦前から『八丁味噌』の名称で生産をしてきた業者が何社もあります。また、実際に豆味噌=八丁味噌のことだと認識されている消費者も多く、私たちとしては八丁味噌は今では普通名詞化しており、愛知県の共有財産だととらえています。八帖町で作られたものだけが八丁味噌と登録されることはその実情とはそぐわず、また八丁味噌を長く作ってきた県内の蔵の不利益にもつながってしまいます」
県の組合は、岡崎2社とはまた異なる視点で、味噌生産の展望に危機感を募らせています。
「食生活の洋風化、多様化で味噌の生産・出荷量は長らく減少傾向にあります。しかも豆味噌の市場規模は味噌全体の20分の1程度に過ぎません。加えて味噌づくりというのは大変な重労働ですからこの先ますます人手不足になっていく。機械化や新しい方法も取り入れて、作業負担を減らすことで価格を抑える必要がある。木桶の代わりにステンレスの桶を使い、天然石を積まなくとも、現代の技術で補えば八丁味噌の名にふさわしい製品を作ることはできる。また、ヨーロッパに市場を求めて販路を拡大しようと考えた時、特定の生産者だけでは対応しきれない恐れもあります。GI登録を機にブランド力をより高めて、愛知県の豆味噌の魅力を広めていくことが、将来的にこの地域の味噌づくりの発展につながると考えています」
県の組合の見解の通り、「名古屋・愛知の味噌=八丁味噌」と認識している人が多いことは確か。つまり、八丁味噌が普通名詞化している実情を踏まえた上でその定義を定め、国の登録によって名称の乱用を防ぎ、品質を保つことができる、さらには産業としての可能性も広げられるというのが組合の考えです。
“岡崎クオリティー”で絶対的な存在価値を
伝統に重きを置く岡崎の2社の愚直な姿勢は、広く共感を得やすい力があります。一方で業界全体の将来を考える組合の方針も方向性としては理解できます。農水省としては、特定の生産者により守られる伝統と、ある程度の数の業者が参画しての産業振興をてんびんにかけ、後者を優先したということになるのだと思います。
それでも、今回の問題では岡崎の2社の圧倒的なブランド力もあらためてクローズアップされることになったと感じます。「八丁味噌といえば岡崎でしょう」。そんな声がネットで数多く上がり、また産地を愛知県に広げたいと考える組合と農水省もまた「発祥は岡崎」と認めています。八丁味噌の枠組みが広がったとしても、カクキュー、まるやはその中でも別格の“岡崎クオリティー”を十分に周知させていくことができる、それだけの信頼の蓄積を既に獲得していると感じます。
農水省や県の組合が促しているようにカクキューとまるやがあらためてGI申請するのか、あるいは独自の路線を進むのか、現時点では答えは出ていません。しかし、これまでと変わらぬモノづくりを貫いていくことが2社にとっての何よりのブランディングにつながることは、これまでの評価を見ても明らかです。2社がブレない姿勢を見せていくことが、消費者の理解を得る一番の近道ではないかと感じます。
いわゆる名古屋めしの味噌系グルメを提供する飲食店や食品メーカーは、味はもちろん価格も含めて自分たちの商品に合った豆味噌を選んで使用しています。「カクキューの八丁味噌じゃないとダメだ」という店もあれば、「うちは他社の豆味噌に決めている」という業者もあります。私たち消費者も、岡崎クオリティーの八丁味噌、GI認定を受けた愛知県産の八丁味噌、そしてそれ以外の豆味噌、それぞれの特徴や個性を実際に自分の舌で確かめた上で、自分なりのお墨付きを与えることが大切なのではないでしょうか。
(写真撮影/筆者)