定子の邪気を祓うため彰子(見上愛)入内。道長はキラキラを背負って石山寺へ。「光る君へ」第26回
明子(あきこ)と彰子(あきこ)、ごっちゃになる〜。藤原姓だけでも多すぎて情報処理が追いつかないのに女性の名前までかぶっていて途方にくれる。
道長の娘・彰子を入内させる話が持ち上がる
まひろ(吉高由里子)と宣孝(佐々木蔵之介)が結ばれた直後、日蝕と地震が同時に起こった。
ときに998年〜999年にかけて。大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合)第26回「いけにえの姫」はベテラン黛りんたろう演出で高濃度。ひとつひとつのカットが決まり、そこには欲望が油絵の具のようにこっくりした色味を成している。各回、演出家によって印象がまるで違って見えるからおもしろい。
(☆以下ネタバレありますので、放送をご覧になってからお読みください)
サブタイトルの“いけにえの姫”とは道長(柄本佑)の娘・彰子(見上愛)で、数々の天災で弱る都のため一条天皇(塩野瑛久)に入内させられる。
まだ幼く、社交性もない彰子を嫁がせることに道長は気が進まないが、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は一条天皇から中宮を離すことが必要と説く。
平安時代の人たちは迷信に囚われているようにも思えるが、実は、極めて現実的でもある。安倍晴明の考えは、左大臣の道長の子を帝の妻にすることで、道長の力をさらに強くすることなのだろう。
道長もほんとうはわかっている。だからこそ、大事な娘を権力闘争の渦中に巻き込みたくないのだ。
「帝が乱心されたのです」
「出家とはあの世に片足を踏み入れること。もはや后たり得ぬ中宮さまにより帝が乱心されたのです」
安倍晴明のセリフはいつもかっこいい。第14回の「今宵星は堕ちる」とかもよかった。
あの世に片足を踏み入れながら戻ってきた中宮、それはまるで生霊のようではないか。「源氏物語」に出てくる六条御息所の生霊を思い出す。源氏を強く想いながら、年上だという引け目も感じている。高貴な身分ゆえのプライドもあり、様々な感情が渦巻いて、生霊と化し、葵上を襲う六条御息所が=中宮ではないと思うが、いろいろな女性のどろどろした思いを紫式部が煮詰めて物語化したのだろうと思うのだ。六条御息所の執念深さは詮子(吉田羊)にも通じるものがある気がする。
「道長もついに血を流すときが来たのよ」
彰子に入内させたくなくて困っている道長に詮子が「身を切れ」と苦言を呈する。道長はこれまでずっと、面倒なことから逃げてきて、たまたま高い地位を手にいれた。藤原家はみなそれぞれ傷つき、手を汚してきたのにと詮子が言うのは説得力がある。彼女こそ円融天皇に入内し、みごと御子を生み(一条天皇)、力を得たが、そこに至るまでには天皇に愛されなかった苦い経験がある。
詮子はこれまでさんざん失い尽くしてきた。だから、「道長もついに血を流すときが来たのよ」と。
でも道長だって身を切られる思いを味わっている。まひろを選べなかったことはどれほど痛いことだろう。
詮子は中宮は邪で一条天皇を色香でたぶらかしていると悪く思っている。幼い頃から仲の良いふたりを妙に嫉妬していた。中宮は別に何かやっているわけではなく、ただただ、一条を愛し求めているだけで、一条もそうで。惹かれ合う何か相性の良さがあるのだろう。そういう男女の機微を詮子は知らない。
それに、傍から見ると、中宮が何か一条に意図をもって接しているように見えなくもない。演じ方や映し方も、単に純粋なひとにはしていないような気がするし、兄・伊周(三浦翔平)からさんざん藤原家のために行動するように言われているので、どこまで無欲の愛なのかはわからない。純粋なだけなのに中宮かわいそうと同情することをためらわせる、邪念みたいなものがかすかに感じられるような余白がある。ききょうこと清少納言(ファーストサマーウイカ)は、中宮を太陽と称し、軽々しく近づくと火傷されますわよという。単純な平安恋愛ものではなくておもしろい。
倫子(黒木華)は娘の入内を「負けの見えている勝負」と心配する。倫子は、できるだけいい男性、好きな男性の正妻になることが女性の幸せであり、それを勝ち取らなくてはいけないと思っているのだろう。
政の道具にされるのではなく、好きな人と幸福になることを望んでいる。逆にいえば、中宮と一条天皇がベストパート―ナ―だから、邪魔してもしょうがないと思っているのではないか。それでいうと、道長とまひろの関係性に倫子は入っていけないのだから、お気の毒でなる。
倫子の母・穆子(石野真子)は、中宮(高畑充希)も年をとっていくのだから、彰子が有利になる可能性を主張する。かつて詮子が年をとり容貌が衰えていくことの焦りを感じていた描写もあったので、抜群の説得力である。
そして、入内が決まる。裳着の儀のときの劇伴がパイプオルガンの荘厳なもので、とても重々しく響いた。
「おまえのかわいげのないところに左大臣様は嫌気が差したのではないか」
朝廷で権力闘争が繰り広げられているとき、まひろはのんきに新婚生活を満喫しているかと思いきや、早くも宣孝がまひろよりも若い女性を作っていた。
「お盛んねえ」とむくれるまひろ。彼女も若い女と自分を比較して苛立ちを感じていた。また、宣孝が自分の手紙をほかの女性に見せていることも不満。
なんだかうまくいかないふたり。
「おまえのかわいげのないところに左大臣様は嫌気が差したのではないか、わかるなあ」と宣孝に言われてブチ切れたまひろは、香炉の灰をぶっかけてしまう。
いと(信川清順)は、まひろに、自分を曲げて寄り添うことを説く。賢い女は正論を振りかざしすぎるというのだ。
気分転換に石山寺にまひろが行くと、その晩現れたのはーー。
第25回のラストは、まひろが手紙を送って、やってきたのは誰――となかなか宣孝の顔を映さなかった。第26回も、戸が開いたとき、一瞬、誰が来たのかわからない。どっちもうすうすわかるのだが、すこし焦らすのがエンタメ感。
現れたのは、道長。ここでまた道長なのだ。しかも背後にキラキラが舞っていた。
第10回、まひろと道長が廃邸で結ばれたとき、空から光と共に銀粉が降り注いでいた。「月から滴る雫がほしい」と黛りんたろうがリクエストしたものだったという。今回もやっぱり黛りんたろう演出だった。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか