女郎たちの過酷な労働状況と末路が衝撃的過ぎた 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第1回
今度の大河は庶民の物語 いきなり田沼意次に物申す蔦重
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)がはじまった。
江戸時代中期、親なし、金なし、画才なし……ないない尽くしの蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)がやがて東洲斎写楽、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴などを世に送り出し「江戸のメディア王」となる。
第1回「ありがた山の寒がらす」は明和の大火(明和9年、1772年)が起こった年の1年半後。茶屋で働く傍ら貸本業を営んでいる蔦重が、吉原の場末で働く女郎たちの過酷な労働状況が見ていられず、田沼意次(渡辺謙)に物申しに行く。
本来、田沼意次に意見を直接言える立場でない蔦重の型破りな(タイトル的にいえば「べらぼう」な、というところだろう)行動力が発揮される。そこで田沼に言われたことに刺激を受けた蔦重はあることを思いついて……。
去年の「光る君へ」と今年の「べらぼう」は2作続けて文化系大河だが、2作の違いは、「光る君へ」は貴族の世界を中心に描いたが、「べらぼう」は庶民の世界を中心に描く。吉原で稼いでいる商人たちの中心「忘八」たちは現代でいえば新富裕層。彼らは贅沢な食事をしている一方で、働いても働いても楽になれない労働者(女郎)たちは貧困層。ここで働けば、食べ物だけはありつけると思って働きに出ているのに、最低限の保証もない。食べ物にも困る日々。なんだか、とても身近に感じる。
蔦重はこの不平等な世界で、アイデアをひねり出しながら、江戸のメディア王として成り上がっていく。庶民のドリームストーリーである。
スマホを持っている九郎助稲荷
身近といえば、冒頭、語りを担当している綾瀬はるかさんが、吉原の守り神・九郎助稲荷が化けた人間として登場する。UDA さんが施したメイクデザインおよびメイクによる艶やかかつキュートな姿の綾瀬さんに注目が集まった。
その九郎助稲荷がスマホの地図で、吉原と浅草一帯の距離感を示してくれたので、身近感はいっそうアップした。
江戸時代中期と現代では建物も服装も文化も違うけれど、ある地点からある地点までの距離は変わらない。昔の地図といまの地図を重ねてみれば、過去といまがレイヤーになっていることを実感できる。自分の足の下に歴史が眠っているのである。そんなことを感じさせてくれた第1回だった。
明和の大火で燃えそうになった九郎助稲荷をかむろのあやめとさくらに請われて蔦重が助けたことから物語がはじまるところも良い。稲荷神社は庶民の神様。商売繁盛の神様でもある。蔦重の運はここから拓かれたに違いない。蔦重の幼なじみの花魁・花の井(小芝風花)が「石だろ」と現実的なのに対して、蔦重は神様を大事にしている(あやめとさくらも)、その対比もいい。しかもこのとき、蔦重は祠を背負って逃げて、お稲荷さんは水(溝)の中に沈めて燃えないようにしていて、機転の効く人物であることがわかる。
横浜さん演じる蔦重は明るく爽やか。着物の青みのかったグリーンに味わいがある。
幼い頃から優しくしてくれた女郎の朝顔(愛希れいか)が過酷な労働状況下、カラダを壊して亡くなったときの無惨な姿(亡くなった女性たちが身につけているものを剥がされて地面にうつ伏せにされているという、インパクトのある場面であった)に涙する蔦重。
女性の哀しみを背負って、吉原に活気を取り戻させようと立ち上がるのだ。
花の井の生命力に満ち溢れた華やかさも魅力的だし、いかにも悪者顔の忘八たちもわかりやすく悪者なのがむしろ痛快。後の鬼平・長谷川平蔵(中村隼人)が従来の鬼平のかっこいいイメージと少し違うのもいい。田沼意次の息子・意知(宮沢氷魚)が女性に「若様なりませぬ」と言われ「良いではないか」と譲らない、例の時代劇らしいシーンかと思ったら……という脚本家・森下佳子のユーモアも楽しめる。
テーマやメッセージ性も内包しつつ、小難しくない誰でも楽しめるドラマだ。
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べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~
2025年1月5日(日)スタート
[総合]日曜 午後8:00 / (再放送)翌週土曜 午後1:05 [BS]日曜 午後6:00 [BSP4K]日曜 午後0:15 / (再放送)日曜 午後6:00
【作】森下佳子
【制作統括】藤並英樹、石村将太
【プロデューサー】松田恭典、藤原敬久、積田有希
【演出】大原 拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
【出演】横浜流星 安田顕 小芝風花 宮沢氷魚 中村隼人 石坂浩二 片岡愛之助 高橋克実 里見浩太朗 渡辺謙ほか