20年の時を経てフィールドで相まみえる元メジャーリーガーとさすらいの独立リーガー【九州アジアリーグ】
「中学の頃やったかな。一緒に遊んだこともありましたよ」
大分B-リングスの監督、小野真悟は対戦相手の福岡北九州フェニックスの「スキッパー」、西岡剛との思い出を語る。ともに37歳の「同級生」。少年時代から、ともに地元の英雄としてフィールドで切磋琢磨してきた間柄だ。
「でも、どうやろ。向こうは覚えていないでしょうね」
さすがに一緒に遊びに行ったことを覚えていないことはないだろうが、その後のふたりの野球人生は対照的なものだった。西岡は、周知の通り、今や高校球界最強とも言われる大阪桐蔭からロッテへ進み、稀代のスピードスターとして首位打者、日本一、そしてWBCで世界一の栄冠を手にし、世界野球の頂点であるMLBの舞台にも立った。
西岡は言う。
「もうトップレベルではやり残したことはないですね。いろんな欲もなくなりました。昔は女遊びしたいとか色々ありましたけど(笑)。今はもうオバちゃんのいるようなスナックで静かに飲むのがいいですね。でも、野球が好きだから。辞める理由が見当たらないで今も続けています」
一方の小野の野球人生は、「あと一歩」の連続だった。甲子園出場経験のある東海大仰星高校に進んだものの、大阪の高校野球シーンはPLの時代から、大阪桐蔭、履正社の二強時代に移り変わる端境期に入っていた。最後の夏、甲子園への夢を断ったのは、西岡擁する大阪桐蔭だった。高校時代からプロ(NPB)のスカウトにも注目されたが、結局、ドラフトにかかったのは同じリードオフマンタイプの西岡だった。大卒時のドラフト指名を期して地方大学に進むも、水が合わず中退。その後、野球から一旦離れたものの、その才能を惜しんだ周囲の後押しもあってスポーツ専門学校に進み、独立リーグに身を投じた。
西岡と同時期にアメリカでプレーしたが、その場は月給4万円という底辺独立リーグだった。それでも小野はプレーする場がある限りは続けようと、自身で事業を起こし、生活の基盤を整える一方、自分を必要としてくれる場を見つければ、メキシコや「野球不毛の地」のドイツなど世界中どこにでも出向いた。コロンビアではわざわざ足を運んだものの、結局、選手契約はならず、失意の内に帰国ということもあった。
少年時代、切磋琢磨したふたりのその後の野球人生は大きく違ったものになった。そのふたりが今、監督として独立リーグという場で相まみえている。
「こんな人間なんで、別に気後れとかはないですよ」
と小野は言う。NPB未経験者として二人目の独立リーグの監督。対戦相手の監督は当然のごとくNPBのビッグネーム。「部下」にもNPBを経験したコーチがいる。それでも、自身で道を切り開き、現在も会社を経営している小野は、過去の「肩書」が「今」にとってさほど役に立たないことを知っている。
それでも、野球の世界で頂点を極めたかつてのライバルに複雑な思いはあるのかもしれない。監督就任後、中学時代一緒に遊んだ「友」との接触は限られているという。
「まあ、北九州ともシーズンが始まるまで一緒になることじたいなかったですから。シーズン始まっても、会釈交わすくらいですね」
4月2日からの大分と北九州の三連戦。初戦は大分が制し、小野は監督として初勝利を飾った。3日の試合は前日はスタメンに名を連ねていた西岡が指揮に専念し(試合終盤に代走出場)、北九州が星を奪い返した。そうして迎えた第3戦は、中津市から臼杵市に場所を変え、肌寒い中、ナイターで行われた。
昨年シーズンは勝率.281という記録的な惨敗でシーズンを終えた大分だったが、小野はオフの監督就任後独立リーガーとしての経験を生かして積極的なスカウティングを行い、メンバーの半数以上を入れ替えた。これが功を奏して「戦える」戦力が整った。
この日の試合も、先発の江藤奨真(名桜大)がしっかり試合を作り、4回まで北九州打線に得点を許さず、打線も初回に1、2番の連打で作ったチャンスを確実にものにし、2点を先制。さらには3回にもタイムリーで1点を追加し、大分が試合の主導権を握っていった。
一方の北九州は1、2回はチャンスらしいチャンスもなく、ようやく3、4回にランナーを三塁まで進めるものの、あと一本が出ない。そんな攻撃陣にサードのコーチャーズボックスから戦況を見続ける西岡はベンチで声をかけた。
「落ち込むことはない。ジャブが効いてきているよ、そろそろ行けるよ」
その言葉通り、試合は中盤に大きく動いた。5回に両軍が2点ずつを入れると、小野は6回から継投策に出る。ところが2番手の左腕・來間孔志朗(神戸医療福祉大)が乱調で先頭に四球を与えると、この後長短合わせて5連打を浴び逆転を許してしまう。続くリリーフ陣もいったん火のついた北九州打線の勢いを止めることはできず、打者14人9得点の猛攻で北九州が試合を決めたかに見えた。
しかし、大分は昨年までの大分ではなかった。大逆転の後、西岡も継投策に出るが、7回、大分はこの回からマウンドに立った北九州の3番手塩満瑛人(九州産業大)から2点を奪い塁上をランナーで埋めた状態のままマウンドから引きずり下ろす。そして、なおも手を緩めることなく後続のふたりの投手からさらに2点を奪い反撃の狼煙を上げる。
そして、8回裏。1アウトランナー1塁からこの日先制の2点タイムリーを含む3打点をここまで挙げていた5番川上理偉(宮崎福祉医療カレッジ)がレフトに同点ツーランを放ち、試合を振り出しに戻した。
試合は9回では決着がつかず、延長タイブレークとなった。1アウト満塁からのスタートで、打順は自由。先行の北九州は、打順のまま3番松尾大河(元DeNA)を送ったが三振。2アウトとなった時点で、西岡が「代打オレ!」とばかりに打席に立った。
2ボール1ストライクからの4球目を叩いた西岡の鋭い打球はライト方面へのびていったがライトのグラブに収まった。
そしてその裏、小野はサヨナラのチャンスをこの日ここまで2安打2四球の4番今津辰吾(星槎道都大)に託した。9回からマウンドに立っていた松本直晃(元西武)が投じた4球目を引っ張った打球は西岡が放ったそれと同じようにライト方向へ飛んだが、芝生の上に転がった。
3時間56分の壮絶な試合は12対11というスコアで幕を閉じた。
「僕はさほど意識していないんですよ。でも、高校時代の仲間から、『大阪桐蔭の西岡のチームには負けるな』って言われるんですよ。周囲の方が熱くなってますよね」
1年目とあって今年は監督に専念の小野だが、「引退」はしていないと言う。
「僕くらいの選手に引退とかないですよ」
20年の時を経て、甲子園の舞台を争ったふたりが監督としてだけではなく、プレーヤーとしても相まみえる日はそう遠くないかもしれない。
(写真は筆者撮影)