最も応援されるべきスイマーの1人。瀬戸大也は発想力と情熱で苦難を乗り越える
東京五輪を目指す全てのアスリートが衝撃を受けた「1年延期」の決定。それまで重ねてきた苦労と努力が多ければ多いほど、選手たちが感じたショックは大きかった。
日本の競泳陣でただ1人、東京五輪の代表に内定している瀬戸大也(26=ANA所属)は、延期決定から約2週間後の4月10日、SNSに「喪失感で抜け殻になりました」と率直な気持ちを吐露した。それから3カ月あまり。今は自身の気持ちが再燃してくるのを待っている時期のようだ。
7月25日は、瀬戸が1つ目の金メダルを狙う競泳男子400m個人メドレー決勝の1年前。「365日後の覇者」を目指すエーススイマーは爆発すべき日に備えて静かに前進している。
■20年は自己ベスト連発でスタート。最高の調整を続けていた
2016年リオデジャネイロ五輪男子400m個人メドレー。表彰台には2人の日本人がいた。真ん中に立ったのは萩野公介。3位になった瀬戸は、中学時代からの好敵手を称えつつ、銅メダルにとどまったことを素直に悔しがった。
「努力が足りなかったから金メダルを獲れなかった」と言い、「4年後は絶対に金メダルを獲る」との覚悟で日々のトレーニングに邁進していった。
その決意通りに着実な成長を見せた瀬戸は、19年世界選手権で200mと400mの個人メドレー2冠を達成し、2種目で東京五輪の代表内定を得た。同12月23日には短水路の400m個人メドレーで3分54秒81の世界記録を樹立した。
勢いは“五輪イヤー”が明けてからなおも加速していった。20年1月18日には、中国で行われた大会の200mバタフライで、松田丈志が08年北京五輪で出した1分52秒97の日本記録を12年ぶりに更新する1分52秒53(世界歴代3位)をマーク。
さらに1月25日には北島康介杯の400m個人メドレーで、萩野がリオ五輪で金メダルを獲得した際に出した日本記録に0秒04差まで迫る4分6秒09の自己ベストを出した。順風満帆以上と言える最高の仕上がりぶりだった。
だが、それから2カ月で世界は一変した。新型コロナウイルスの感染拡大により、東京五輪の1年延期が決まった。
■持ち前の発想力と工夫がピンチを乗り越えるエネルギーに
苦しいのは延期になったことだけではなかった。トレーニングそのものができなくなっていた。だが、黙って状況を見つめているだけというわけにはいかない。
緊急事態宣言まっただ中の4月下旬、瀬戸は自宅の庭にビニール製の簡易プールを設置し、腰につけたチューブで後ろから引っ張りながら、クロールを泳ぎ続ける動画をSNSにアップした。
「これで自宅でも軽く泳げるようになりました(笑)。水をキャッチする感覚や泳がないと動かない細かい関節や筋肉があるんです。だから泳がないと」というコメントも合わせて投稿。ピンチを工夫で乗り越えようとするガッツあふれる姿勢に、3万を超える「いいね」がついた。
豊かな発想力は子供の頃からだ。瀬戸が中学生だった時のこと。ある大会に出て、クールダウンのためにサブプールで泳いでいると、銀色の排水パイプに自分が映っているのが見えた。
「あ、水中映像みたいだ! 練習中にこれを見たいな」
家に帰った瀬戸は父に「プールに鏡を入れたら良いんじゃないかな」と話すと、父は「じゃあ、つくってあげるよ」と約束。通っていたJSS毛呂山に提案し、コーチと協力しながら長さ180センチほどのアクリル板3枚に鏡のように映るテープを貼って、プールの底に沈めて貼った。長さの合計は約5・4メートル。
「スイミングの練習はプールの中をずっと行ったり来たりしているので単調じゃないですか。それができてからは泳いでいるフォームが見えるようになって、すごく良かったです」
■両親から授かった前向きな性格
子供がやりたいことをつねに全力でサポートしてくれる両親に育てられた瀬戸は「反抗期はなかったと思います」という。発言はいつも前向き。その理由を尋ねると、このようなエピソードを語ってくれたことがあった。
「父親がすごくポジティブで、子供の時からネガティブな発言すると『ダメだぞ』と言われて育ちました。良いことを口にするとそれが言霊になって、実現していく。だから、ポジティブにいろいろな言葉を発したり、ポジティブに考えなさいと言われてきました。母もすごく明るい。僕が根っからポジティブな理由は両親のお陰だと思います」
ちなみに瀬戸家では「無理」は禁句だったそうだ。
「父から一番言われるのは『無理って言うな』でしたね」。瀬戸はそうやって諭されることがうれしかったようだ。
■「強い気持ちを少しずつつくっていく」
東京五輪の1年延期が決まってからしばらく沈黙していた瀬戸が、ツイッターに率直な思いを書き込んだのは、4月10日だった。制限された文字数では足りないと、長文のコメントを画像にしての投稿。そこには素直な言葉が並んでいた。
「自分の中で来年に向けて気持ちの整理ができず、今までコメントを出せずにいました」
「覚悟を持ってトレーニングや調整をしてきたからこそ、前向きな発言がえきませんでした」
「喪失感で抜け殻になりました」
「自分はすぐ気持ちを切り替えて来年頑張りますなんて言えなかったし、今でもまだ完全に切り替えられてない日々が続いています」 原稿用紙にして1枚以上、約450字。揺れる心を吐露した。
そして、文章の最後は「絶対に金メダル獲ってやると強い気持ちを少しずつつくっていき、また再スタートします」と結んだ。
緊急事態宣言中の4月、瀬戸は思いきった決断を下した。長年、教えを受けてきた梅原孝之コーチのもとを離れ、埼玉栄高時代の同級生である浦瑠一朗氏を新コーチに迎えた。
7月には個人契約を結んでいるスポンサーと組んで、ジュニアのためのオンライン水泳大会「DAIYA SETO SMILE CUP‐ARENA ONLINE SWIM MEET‐」を企画した。新型コロナウイルスの影響で夏場の大会が中止になり、つらく悲しい思いをしている小中高校生が、普段使っているプールで100m個人メドレーを泳いで、その記録を大会事務局に提出し、オンライン上で順位を確認することができるというものだ。
瀬戸は、ポジティブになれる状況を自分自身でつくり出していくことで、再び情熱を生み出していきたいと考えているのだろう。焦って気持ちをせかす必要はない。時間はある。1年後、力強いストロークで突き進むエースを誰もが待っている。
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【連載 365日後の覇者たち】1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、依然として困難もつきまとっているが、アスリートの目は毅然と前を見つめている。この連載では、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、7月21日から8月8日までの19日間にわたり、「365日後の覇者を目指す戦士たち」へエールを送る。