カーニバルと旧市街が魅力・初春のデュッセルドルフ
ドイツで日本人が一番多く居住する街デュッセルドルフは、経済と芸術文化が豊かな街だ。(画像・特記以外は筆者撮影)
デュッセルドルフは、独16州の中で一番人口が多いノルトライン・ヴェストファーレン州(NRW)の州都。3月はじめ、「春の訪れを待ち望むカーニバルを見たい」という夢を実現すべく、デュッセルドルフに出向いた。
デュッセルドルフは、日本企業の進出も多く、国内で一番日本人が居住する街だ。ドイツの空の玄関フランクフルトからデュッセルドルフまでドイツ国鉄ICEでおよそ1時間15分。
成田からデュッセルドルフへの直行便はこれまでなかったが、今年3月30日より独ルフトハンザ航空加盟のスターアライアンスネットワークANAの就航が開始されるそうだ。デュッセルドルフ国際空港は世界170都市以上へ運航する拠点として主要空港にアクセスできるドイツ国内第3規模の空港だ。
また国際列車ICEを利用する旅なら、例えばデュッセルドルフより隣国オランダのアムステルダムまでわずか2時間ほどで到着する。
今まで、デュッセルドルフへは日帰りで訪問していた筆者だが、今回は宿泊して地元民と一緒にカーニバルを楽しむ機会を得た。カーニバル中の宿泊予約は難しいと独りよがりの想像をしていたが、デュッセルドルフ市観光局によれば、カーニバル直前でも手ごろな価格の空き部屋はあるそうだ。
デュッセルドルフ・カーニバルの特色
第五の季節と呼ばれるカーニバル期間は11月11日11時11分に始まる。何故11なのかは前回説明したので省くが、この日、デュッセルドルフでは、カーニバルの精霊ホッペディッツ(Hoppeditz)が目を覚まし、カーニバルシーズンの幕開けとなる。
典型的な宮廷道化師だったホッペディッツの目覚めるセレモニーが市役所前で同日11時11分に開始する。
市庁舎前はパレード開始数時間前から大混雑
そしてクリスマスが終わると、カーニバルのパレードで登場する山車の制作やその年のカーニバルの王子と王女が選定され、いよいよ祭りにも本腰が入る。
1月6日(Heilige Drei Koenig)から灰の水曜日(今年は3月5日)まで、連日連夜、カーニバル協会や団体主催の仮装パーティや仮面舞踏会などがいたるところで延々と開かれる。
ちなみに、デュッセルドルフカーニバルのプリンスは、毎年カーニバル協会や団体グループから一人選ばれるそうだ。プリンセスはプリンスによって選ばれ、ベネチア(Venetia)の名で呼ばれるのが恒例だ。
カーニバルも最高潮に達する「汚れた木曜日」は女性のカーニバル。この汚れた木曜日(Schumutziger Donnerstag)は、本来、脂ぎった木曜日(Schmotziger Donnerstag)に由来しています。断食前に食する脂っこい食べ物をはじめ、カーニバルに必ず食する揚げパンベルリーナーなど、油を使った料理をすることからこう呼ばれるようになったという。
カーニバルの最高潮、「バラの月曜日」には、ケルンやデュッセルドルフ、マインツなど各地で盛大なパレードが行われる。
日本語ではバラの月曜日というが、実は Rosen はバラの花ではなくRasenつまり暴れるから来た言葉とも言われる。街の様子は、非日常的な服装を身にまとった市民たちがこの日を待っていましたとばかり思いっきり無礼講を楽しむので、確かに「暴れる」はぴったりだ。
バラの月曜日パレード・仮装より武装をお勧め!
カーニバルの山車は、3月3日月曜日12時30分に始動、市役所前には13時に到着し、いよいよ本格的なパレードのはじまりだ。72の山車は、市内5キロほどをキャンディーやグミ、ボールペン、中にはTシャツやチューリップ・バラの生花も配りながら行進する。この日集まった見物客は100万人ほど。
パレード開始と同時に、スイーツ類をわれ先にゲットしようと人ごみも最高潮となる。山車の乗った人やパレード行列参加者にへラウとデュッセルドルフで使われる掛け声をかけると、スイーツが見物客めがけて飛んでくる。
見物客は頭上に飛んでくるスイーツやボールペンをゲットしようと夢中だが、実はこれが頭や指に当たるととっても痛い。当日、仮装はもちろんだが、武装も兼ねた服装をしたほうが無難かもしれないと本気で思ったほどだ。
旧市街にある世界一長いバーカウンター
デユッセルドルフといえば、ファッションの発信地として知られる高級ショッピングストリート「ケーニヒスアレー(Koenigsallee」が人気。
旧市街は、このケーニヒスアレーの西側からライン川までを指すが、なかでも多くの居酒屋やバー、レストランが立ち並ぶボルカー通り(Bolerstr.)は、「世界一長いバーカウンター」と呼ばれており、カーニバル時期はもちろんの事、天候の安定する春から益々人気の高まる一角だ。
画像提供・Duesseldorf Marketing & Tourismus GmbH
デュッセルドルフの地元ビール・アルトビールはこの街ならではの飲み物。特にブラウハウス「シューマッハー(Schumacher)」は、1838年にアルトビールを最初につくった元祖店だ。さっそくボルカー通りのシュマッハー支店「イム・ゴールデネンケッセル(Im Goldenen Kessel)でビールと食事を。
シュマッハー本店は、国鉄デュッセルドルフ駅から歩いて8分ほどのオスト通りにあり、ここに醸造所もある。
もちろんボルカー通りだけでなく、旧市街のあちこちに作りたてのアルトビールが飲めるブラウハウスがあるので、時間をとって是非一度飲んでほしい。
茶褐色のアルトビールは、中世修道院の自給自足が原点という。
当時ビールは、巡礼者や修道士達が飲むために自給していたが、とりわけ春の断食期間や、食料の在庫がそこをつく秋の収穫前には不可欠な飲料だった。ビールは飲むパンと言われ、修道士達の質素な食生活を補う貴重な栄養源だった。
冷却装置のなかったその昔、天候による温度差に左右されることのない常温で短時間発酵を行う上面発酵という醸造方法でつくったのがアルト(古いの意)ビールの由来とのこと。
豊かな経済と芸術文化が魅力
ライン河畔に位置するデュッセルドルフは、市財政が黒字というドイツ国内でも希有の経済安定を誇る都市だ。
さらに、デュッセルドルフは、ライン・ルール地方の産業中心地として金融、ファッションや芸術文化、見本市都市として知られる。陸・水・空というビジネス環境が充実していることから日本企業も400社以上も進出している。
ウィキぺディアによると、
「デュッセルドルフは、西ヨーロッパの中で『ブルーバナナ』と呼ばれる、経済的にも人工的にも特に発展した地域内に位置する」 と記されている。
デュッセルドルフの魅力はカーニバルやアルトビールだけではない。この街出身ドイツを代表する詩人ハインリヒ・ハイネにちなんだハイネの家(旧市街ボルカー通り)、新名所として注目を集めているメディエンハーフェン、ランドマークのラインタワーや通称K20、K21と呼ばれる州立美術館をはじめ見学したいスポットは多数ある。
天気がよければオーバーカッセル橋から旧市街に沿って州議会議事堂まで続く2キロほどのライン川プロムナードの散歩もお勧め。
画像提供 Duesseldorf Marketing & Tourismus GmbH
毎年5月末あるいは6月はじめの土曜日に開催される「日本デー」は、日本人だけでなく地元市民が楽しみにしている大イベントだ。日本文化の紹介や伝統スポーツのデモンストレーション、ライン川プロムナードには屋台が立ち並び、夜11時から行われる花火大会で「日本デー」は幕を閉じる。
ライン川の支流デュッセル川が市街を流れており、それが「デュッセルドルフ」の名前の由来だといわれる(ドルフは村の意)。1960年代から日本との交流が深まり、「ラインの日本」とニックネームがあるほど。
前回紹介したケルンと今回のデュッセルドルフはカーニバルにしても地ビールにしても双方ライバル意識が強く、互いに皮肉を言い合う関係だ。旅行者の目で見た限りでは、両都市とも特色があり、見所満載で優劣はつけがたい。思い切って両都市を訪れて、あなたならではの判定をするのはいかがだろうか。
画像撮影協力・ドイツ観光局