「今が一番悔しい」。「テンダラー」が30年かけてたどり着いた思いと、目指す拍手のカタチ
どんな劇場でも必ずお客さんを笑わせる。それを積み重ねてきた漫才コンビ「テンダラー」が30周年を迎えました。節目を記念した全国ツアーも6月28日の大阪・なんばグランド花月公演からスタート。歩みは加速するばかりですが、これまでの道のりは決して平たんではありませんでした。「つぶれてもおかしくない」試練の時代を乗り越えられた理由。白川悟実さん(53)と浜本広晃さん(50)ともども口にするのが「当たり前をサボらない」という真理でした。
30年続けてきたこと
白川:30年、早かったなぁと思いますね。他のコンビの30周年と聞いたら「すごいなぁ…」と思うんですけど、自分のことになるとホンマにあっという間だったなと。ホンマに30年やってたんかと思うくらい(笑)。
浜本:やってることは全く変わらないですからね。日々劇場出番で漫才をやって、毎年単独ライブもやり、お客さんに来ていただく。この積み重ねなんですよね。
白川:ホンマにそれの繰り返しでしたね。
浜本:今から考えると、本当にそれだけだったなと。そして、代わり映えしないことを続けてきたことに、全く無駄がなかったんだなとも思います。
芸歴のめぐりあわせ的に、僕らは「М-1グランプリ」には4回しか出られなかったんです。その出場資格がなくなって、僕らはもう「М-1」には出られないけど、周りには「М-1」というシステムを使ってどんどん新しいスターが誕生していく。
そのあたりの5年。ここは一番しんどい時期だったと思います。ただ、その5年も出力を弱めることなく、ずっと単独ライブは開催してたんです。
テレビに出ているわけでもないし、注目を集めているわけでもないし、節目でもないし、サボろうと思えばいくらでもサボれる。理由をつけて、漫才以外のことをやっていても誰も何も言わない。それでもやってたんですよね。
白川:単独をやっても、ライブが始まったらマネジャーはいつの間にか別の現場に行ってましたしね(笑)。期待感がなかったのか。ライブ後に手ごたえバッチリやったと思ってが楽屋に戻っても、僕ら二人しかいない。コンビだけで「良かったな…」と握手するのも気恥ずかしいですし、喜びを味わうことなくそのまま帰るということも何回もありました。
浜本:それくらい注目はされてなかったのに、それでもライブをやっていた理由。それは一つです。チケットが売れるから。これのみです。ライブをすれば、お客さんが来てくださる。そこがあるからこそ、芸人を続けていました。
チケットを買ってくださるということは、まだ自分たちを待っている方がいてくださるということ。どんどん人気者は生まれているし、逆に僕らはテレビにも出ているわけでもない。それでも楽しみにしてくださっている人がいる。時間を作って、お金を払って劇場に来てくださる方がいる。その一点で救われました。本当に。
そうなると、これはね、言葉にすると本当に薄っぺらくなるんですけど、お客さんへの感謝。行き着くところ、特に僕らはそれしかないんですよ。
待ってくださるお客さんがいらっしゃるんだったら、次もまたやらないといけない。次をやるためには新ネタを作らないといけない。そのサイクルで30年やってきました。逆に言うと、今でも単独の度に「チケット売れるかな」と不安になりますね。今の自分たちに需要があるのかと。
相方への思い
浜本:そうやってネタを作り続ける中、一番しんどかった「М-1」後の5年でできたのが“必殺仕事人のネタ”でした。それが数年後に「THE MANZAI」(フジテレビ系)でビートたけしさんに評価していただいて世界を変えてくれた。自分たちのことながら、いろいろ感じる流れだなとは思いますね。
白川:何も無駄なことはない。それも思いますし、どこかで止まっていたらその後は何もなかったんだろうなとも思います。
そう考えると、単独をやるにしても、そこで「やろう」と引っ張ってくれるのは相方でした。幸い、相方がそういう人間で良かったと思いますし、間寛平師匠からも「浜本にちゃんとついていったら大丈夫や」と言っていただきました。コンビという根本のめぐりあわせにも恵まれていたのかもしれません。
浜本:それでいうとね、こちらこそ、よく付き合ってくれたと思います。僕はものすごく細かいんです。「もっとこうしてくれ」とかもし僕自身が言われたら確実に腹立つやろうなと思うことも、山ほど言ってきたと思います。
ネタの中のニュアンスなんて感覚的なものなので、僕にしか分からないことを「こうしてくれ」と指示されても分からんところも多々あっただろうし、どこかで「もう、やってられへんわ」となってもおかしくなかったとも思います。ただ、そうならずに30年が経った。本当にありがたいことだと感じています。
白川:…。
劇場の意味
浜本:最近になって「当たり前は当たり前じゃない」ということを強く思うんです。当たり前みたいに僕らも劇場に出してもらってますけど、そもそも、劇場があるのも当たり前ではない。
連日満員御礼のなんばグランド花月でも、これまでの先輩方が来る日も来る日も面白かったから残っているんだなと。面白くなかったら、とっくにつぶれてますから。今そこに立っている。その意味をより一層、噛みしめるようになりました。
なので、一回一回の舞台で「悔しい」と思うことがどんどん増えてきたんです。今が一番悔しさを感じているとも思います。
例えば、お客さんを見て「今日はこのネタが合うだろう」と思ってやったとしても、その目論見が外れていてウケがイマイチだったとします。
しっかりとウケた時の空気がどんなものなのかは自分たちが一番よく分かってますから、そうならなかった時には「あっちのネタにしておいたら良かった」「本当は他の面白いネタもあったんですよ」という思いがこみ上げてくるんです。
やる側からしたら、また明日も立つ舞台かもしれませんけど、お客さんにとってはそれが最初で最後の生の漫才かもしれない。だからこそ、仕損じはできないし、毎回面白いと思ってもらうことがまた次の世代に劇場を残すことにもなる。なので、一回一回本当に大切にしないといけないなと思っています。
あとは、ステージに出てくる時の拍手よりも舞台袖に戻る時の拍手のほうが大きくなる。これも毎回そうなることを目指してやっています。
正直な話、テレビとかで今を時めく人気者が出てきたら、それだけで大きな拍手が起こります。旬の人を見られたといううれしさや期待値がありますから。
それも舞台を楽しんでいただく大きな要素ではあると思うんですけど、ハケていくところの拍手こそ、その日の満足度だと思うんです。なので、そこで一番大きな拍手がもらえるよう、心掛けてはいますね。
白川:なんというのか、30年経って、やっと「漫才をしています」ときちんと言えるようになったなと思います。胸を張って。
40周年に向けて思うことですか?それはもうね、ここからは健康しかないです(笑)。それがなかったら何もできないですしね。そこはしっかりとケアしたいと思っています。
浜本:もう二人とも50代ですし、オッサンど真ん中ですからね。ただ、この前、舞台袖で桂文枝師匠から歳を聞かれたんです。お答えしたら「若いなぁ、僕80歳やで」と言われまして。確かにそう考えると、まだまだまだまだ若いなと(笑)。
オッサンでもあるんですけど、まだまだこれからもある。それも噛みしめながら、積み重ねを続けていきたい思います。
(撮影・中西正男)
■テンダラー
1970年11月1日生まれの白川悟実さんと1974年2月15日生まれの浜本広晃さんのコンビ。ともに大阪府出身。大阪・難波のショーパブ「アランドロン」で働いていた浜本が同僚の白川を誘い、94年にコンビ結成。コンビ名の表記は結成以来「$10」だったが、2009年に「テンダラー」に変更した。11年、12年とフジテレビ系「THE MANZAI」で決勝進出を果たし、一躍ブレーク。15年には上方漫才大賞を受賞した。MBSラジオ「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」などに出演中。30周年記念の全国ツアーを開催。6月28日(大阪・なんばグランド花月)、8月24日(広島・中国新聞ホール)、9月19日(米ロサンゼルス・James Armstrong Theatre)、10月12日(愛知・中電ホール)、12月13日(東京・浅草公会堂)とまわり、12月25日(大阪・なんばグランド花月)にファイナルを迎える。