「師匠、明日にでも行きまっせ」。取材メモから振り返る桂ざこばさん
落語家の桂ざこばさんが亡くなりました。
これまで幾度となく取材をさせてもらってきました。周囲の人からこれでもかと話を聞いてきました。
僕などが主観をアレコレ綴るのではなく、周りの人の言葉、そして、ご本人の言葉を淡々と綴ることがざこばさんという人のなんたるかを示すとも思うので、取材メモを振り返ってみます。
2021年11月、弟子の桂あおばさんの拙連載取材時のメモ。
僕は落語を全く知らずに師匠に入門したんです。「探偵!ナイトスクープ」とかを見て、ただただ「この桂ざこばというオッチャンは面白いなぁ」という感覚だけで入門しました。
最初、弟子入り志願で師匠の仕事場に行った時から「兄ちゃん、どこから来たんや?これ、交通費や」と1万円くれたんです。こんな簡単に1万円くれる人いるんやと…。最初から心奪われました(笑)。
ただ、本当に何も分からず、しかも完全に甘い考えで入ったので、当然食らうべき厳しさには直面しました。それでも、弟子入りして桂ざこばがもっと好きになりました。テレビで見たらいつも怒ってるのに、こんなに気を遣う人なんやと驚きました。
失敗も数えきれないほどしていた弟子でしたけど、それでもずっと受け止めてくれた。僕の失敗なのに、僕のために頭も下げてくれました。
ホンマに師匠のことが好きになり過ぎて「毎日迷惑をかけてるし、なんとか役立つようなことをせなアカン」とさすがに思ってたんです。そんな中、楽屋で師匠からいきなり言われたんです。
「お前、勘違いしてるやろ。オレの役に立とうとか、用事をうまいことこなそうとか思ってるやろ。そんなんちゃうねん。お前がオモロイ落語をしてくれたり、売れてくれたりしたら一番うれしいねん。それを頑張れや」
以前、師匠と病院に行った時に待合室のテレビに僕が出演している番組が流れてたんです。僕が映る度に「お前、映っとるぞ!」とすごく喜んでくれて。こちらが恥ずかしいくらい大きな声で何回も何回も言ってくれました。
2017年5月、出演予定だった大阪松竹座の舞台のけいこに向かう途中で脳梗塞の症状で緊急搬送された際に関係者を取材した時のメモ。
松竹座に到着した時には壁伝いでないと歩けないほどの状態で、すぐに救急車を呼んで、搬送されました。最悪の事態を回避できたのは3つの幸運が重なったからだと聞きます。
1つ目は症状が出たタイミング。けいこに来たところで症状が強くなっていたので、すぐに周りが気づいて対応できたこと。
2つ目は症状が出た場所。搬送先の病院は大阪で最も有名と言っても良い脳の専門病院。その病院と松竹座は目と鼻の先。搬送までの時間が極めて短かった。
3つ目は電車移動だったこと。たいてい、ざこばさんは自分の車で仕事先に行くが、この日はたまたま電車で劇場に向かっていた。いつものようにハンドルを握っていたら、事故につながっていた可能も高い。
つくづく幸運としか言いようがないし、まだまだいなくなったらダメな人だということだと痛感しました。人に何かをしてきた分だけ、いざという時に救いの手があった。そうとしか思えない流れでした。
2016年1月、師匠・桂米朝さんの逝去から約10カ月後、ざこばさんの拙連載取材時のメモ。
今も、落語のマクラで師匠の話をしてますからね。しゃべってたら、そこにいたはるようなもんですから。寂しさいうのは、ないですね。ホンマにない。
幕間にフラッと師匠が来はったらですか?ま、兄ちゃん(故桂枝雀さん)もいるから寂しくはないと思いますけど、兄ちゃんとやったら、ちょっと話が重たくなるでしょ。「僕みたいなクッションがいた方がエエんちゃう?」とは聞きますね。ほんで「どうしても来てほしい」と言うんやったら「明日にでも行きまっせ」と。
米朝さんの話をする時にも、サラッと、こちらが聞き逃してしまうくらいの軽いトーンで語ってらっしゃいました。
ホンマのことなんて、殊更言うもんでもない。せやけど、ホンマのことやからウソつくもんでもない。
そんな美学や照れ隠しが込められた言葉に聞こえました。
今頃、米朝さんから「早すぎるわ」と叱られているのかもしれません。ただ、最後には「しゃあないやっちゃなぁ」と言われているざこばさんの姿も頭に浮かびます。