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仏新聞社銃乱射事件 殺された漫画家を知る人々が明かす「風刺で闘う理由」

堀潤ジャーナリスト
エチエンヌ氏が手にするのは殺された漫画家が1993年に日本の文化風習を描いた画集

フランスの新聞社が襲撃され12名が亡くなった事件。共に日本を旅行するなど、殺された風刺漫画家の1人、ベルナール・ヴェルラックさんをよく知るジャーナリストのエチエンヌ・バラールさん、殺された漫画家達と共に平和貢献活動を続けてきた漫画家の山井教雄さんにインタビュー。風刺漫画家達が闘う理由を聞いた。

1992年の日本旅行。左がエチエンヌさん、右がベルナールさん
1992年の日本旅行。左がエチエンヌさん、右がベルナールさん

■パリ出身のジャーナリスト、エチエンヌ・バラールさん

(堀)

ご存知だと伺っていますが襲撃の一報を受けてまず何を思いましたか?

(バラール)

悔しいの一言です。殺された中の一人、ベルナール・ヴェルラックさんが昔からの知り合いで、一緒に福岡県で温泉にも入った仲です。昔から平和のための漫画を描いたり、平和貢献の活動に参加していて、1992年に、日仏文化交流の企画に参加して知り合いになりました。

(堀)

おいくつ位の方ですか?

(バラール)

57歳です。

(堀)

風刺画に関しては、もともとイスラムの風刺に関して反感の声も大きかったと聞いていますが。

(バラール)

理解してほしいのは、日本にはなかなか無いジャンルの出版物なんですけどフランス人にとってこういうような、シャルリー・エブド誌というような週刊誌は風刺漫画を中心に構成されていた雑誌で漫画家達を中心に雑誌ができていたんですね。彼らの売りはその時のニュースを風刺漫画を通じて表現すること。彼らにとってユーモアと、表現の自由とかある程度刺激になるのが彼らの目標というか使命だったんですね。彼らのフランスにとっては、その表現の自由やプレスの自由はとても大事な要素であって、今、イスラム教に関する風刺漫画が指摘されているんですけど、この雑誌には別にイスラムだけではなくてあらゆるところの風刺を描いていて、ユーモアのセンスがなかったのが(今回犯行に及んだ)イスラム系と思われる人だったということです。

(堀)

亡くなられた漫画家の方はどういう思いで、風刺漫画を描いていた方なのでしょうか?

(バラール)

彼がよく言っていたのが、笑わせてくれる微笑みを与えてくれるような漫画がいい漫画、考えさせてくれるような漫画が素晴らしい漫画という名言があったんですね。だから、漫画を通じて読者が考えさせられるような役割を果たしたかったんです。

※このインタビューはTOKYO MX「モーニングCROSS」内で電話で伺ったもの。本日午後およそ1時間にわたり、エチエンヌさんに別途インタビューをしているので後ほど追記します。

■風刺漫画家・山井教雄さん

パレスチナの壁に絵を描く、山井教雄さん
パレスチナの壁に絵を描く、山井教雄さん

(山井)

友達と一緒に鍋を囲んで漫画家は危ない商売だと話したばかりだったんですよ。

(堀)

というのは?

(山井)

2005年にムハンマド漫画問題というのがありまして、デンマークの新聞が12枚、ムハンマドの漫画を掲載したんです。それが世界的に問題になりイスラム教徒の皆さんから反発があって、世界中で暴動がおきたんです。世界各国にあるデンマーク大使館が焼き討ちになって100人位が亡くなったんじゃないかな。それを受けて、2006年のはじめに国連、当時はアナンさんが事務総長だったんですが、アナンさんが漫画家20人位を呼んで、表現の自由と各国の文化の尊重ですね、この時は特にイスラムの尊重を話し合う会議を開いたんですよね。国連で。その時に僕が発言したのは、僕は仏教徒で、だけどもブッダの漫画を描くのに何ら気後れもしないと、僕なんか小さな漫画家なので、巨大な存在のブッダの漫画をどう描こうが巨大な存在を傷つけることはないんだという話をしたんですよ。もしムハンマドも偉大な人間であればね、普通のちっぽけな人間が何を書こうとも彼の偉大さは揺るぎないだろうという話をしたんです。その話、会議がきっかけになって「CARTOONING FOR PEACE」というNGOをつくることになったんです。スウェーデンとスイスが出資して、その基金で毎年、世界およそ20都市で展覧会とシンポジウムを開いてきたんです。メンバーになっているのは、世界の100人位の漫画家なんですけどね。こういうことがないようにと活動をしてきたんですね。その会場が中東である場合はものものしい警戒の中で展覧会とシンポジウムが行われてきたんですが、漫画家はみんな勇敢で毎回表現の自由について話し合いが行われてきました。

(堀)

今回襲撃を受けて亡くなられた漫画家の方々も参加している?

(山井)

参加しているうち4人が亡くなったのですが、その内のウォリンスキやティグノスなど3人とは友達です。

一緒ん色々な活動をやった仲間です。

(堀)

最後にお会いになった、言葉を交わしたのはいつですか?

(山井)

それぞれ別々なのですが、さき一昨年、フランスの南部で(CARTOONING FOR PEACEの展覧会を)やったのが最後です。

(堀)

風刺に関して弾圧が加わったわけですが、お三方はどういう思いで風刺画を描いてこられたのでしょうか?

(山井)

表現の自由を守るというのが一番大きかったと思いますね。彼らの漫画というのはとってもきついんですね。2005年にムハンマド問題がおきましたよね。次の週の漫画雑誌の表紙はですね、ムハンマドの顔で「俺、馬鹿に愛されちゃって困っちゃうよ」というコメントのついた漫画でした。すごくきついです。

(堀)

そのきつさの中にどういった思いを込めて活動を続けてきたのでしょうか?

(山井)

本当に表現の自由ですね。やっぱりかなりフランスで人気あるんですね。日本ではとても発表できないような漫画が、向こうでは発表されると。ここまで表現できるんだというのを守りたかったんだと思うんですよ。

(堀)

様々な反発があってもそうしたことでメッセージを投げかける意味というのはどのような意義を見出してきたのでしょうか?

(山井)

続けることが彼らにとっての意義だったんだと思います。3年前に火炎瓶を事務所に投げ込まれて全焼してしまったという事件があったんですね。その映像はNHKの国際ニュースの中で報道されましたが、その部屋の前で呆然とした表情で立っていた映像の人物が、ティグウスさんといって僕の友人です。それでもめげずにやる。いろんな訴訟を起こされたり、色々な圧力があるんですけども、それでも言いたい事、言いたい人の思うがまま描くというのが彼らの意義だったと思います。

(堀)

それぞれの漫画家の皆さんの様子で印象に残っている言葉や様子というのはありますか?

(山井)

例えばですね、セキュリティの問題などでチェックが厳しい会場なんですけども、亡くなられたティグウスさんはね、紙と鉛筆が持ち込めないような会場があるわけですが、そうした会場ではポケットの中に、紙と小さい鉛筆などを入れておいて、ポケットの中でその場のスケッチを描いたりしていました。

(堀)

すごい高い技術ですね。

(山井)

すごいなということで、印象に残っています。そうした特殊なシチュエーションでも描き続けてきたんですね。

(堀)

弾圧や脅迫に対してどう挑むのかというのはお三方はどう話していました?

(山井)

普段は飲んで騒ぐだけでしたけど、彼らの生き方や態度、漫画を毎週発表するとかはねそれで表現しているんじゃないかな、彼らが脅迫されたり襲われたりするのは報道で知るんですけどね、彼らはそうした状況にあっても明るく、楽しげに批判していたと。

(堀)

風刺漫画家の方々でつくる「CARTOONING FOR PEACE」は今後どういう役割を果たしていきたと思っていますか?

(山井)

ともかくいろんな力による弾圧をはねのけたい。やめたらこっちの負けだということです。危険が伴うんですね。ジャーナリスト、政治漫画家はジャーナリストだと思うんですが、ヨーロッパやアメリカのジャーナリストはよく過激派に捕まったり、殺されたりしますよね。日本のジャーナリストは安全なところにいてそういうことにはなりませんよね。日本の漫画家でも全く同じで、戦場にいく漫画家はいないと思います。僕は現場にいきたいと。現場で漫画を発表したり、お話したい。でも、呼ばれるといつも怖いんですよね。ビビるから。会場での自爆テロだとかありうるんでね。でも僕がいかないで会場にいた漫画家などが殺されたりしたらものすごく後悔するだろうなと、なので恐々参加している状態です。怖くなくはないです。

(堀)

日本で想像する漫画家とは少しニュアンスが変わってきますね。

(山井)

もっと行動しますね。それにもっと政治的な発言に関し、歯に衣着せぬ表現をします。

(堀)

あらためて今回亡くなった彼らは政治的にはどんな社会を目指して、どういった体制を目指して活動を続けてきたのでしょうか?

(山井)

自由な表現がしたいということですね。例えばですね、僕は原発事故に関して、世界で36ヶ国から200枚ほど漫画を集めたのですが、その中には、日本ではとても発表できないものがいっぱいありました。ティグウスさんが描いたものでいうと、原発事故によって首が二つある人が討論している様子であったりね、そういったものは日本では敏感ですよね。あとは子供の甲状腺癌の問題。僕は正確なものが発表されているとは思わないですが、そういったデリケートな問題をあえてやるということですよね。

山井さんが事件を受け今朝描いた風刺画
山井さんが事件を受け今朝描いた風刺画

(堀)

あえてやるというのは、読者に考えるきっかけを一つつくることにつながるんでしょうか?

(山井)

日本ではそうした問題が討論にならないですよね、国民的な議論にならないですよね。そういうちょっと過激だけれど、そういうのを投げかけてね、それで考えるきっかけとか、討論するきっかけにしていると思うんですよね。

(堀)

その部分が例えば神やムハンマドに対する冒涜であると、凶行のきっかけになったわけですよね。

(山井)

だから、批判を許さない社会というのを批判しているということですよね。

(堀)

今回、身を呈して表現の自由を守ったということになるのかもしれませんが、あらためて今回のテロについてどのような思いでいらっしゃいますか?

(山井)

負けないでやっていくしかないと思います。

(堀)

負けない?

(山井)

負けない。一歩譲るとズルズルといってしまうかもしれませんよね。

ジャーナリスト

NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。2012年、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。2013年、NHKを退局しNPO法人「8bitNews」代表に。2016年(株)GARDEN設立。現在、TOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」キャスター、Amazon Music「JAM THE WORLD」、ABEMA「AbemaPrime」コメンテーター。2019年4月より早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員。2020年3月映画「わたしは分断を許さない」公開。

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