内山高志が育ったジム
ファンの期待を背負って再起した内山高志。残念ながら判定で敗れたが、その姿は真っ直ぐで潔かった。12月30日に井上尚弥に挑んだ河野公平も、闘志を十二分に見せて散った。
今回は、彼らが所属するワタナベジム会長の言葉をご紹介する(文中敬称略)。
渡辺均が、東京都品川区五反田にジムを構えてから、丸36年が過ぎた。栃木県今市で6年間、選手を育成したが、「世界チャンピオンを作るなら東京に出なければ」と上京。その頃、渡辺は31歳の国鉄(現JR)マンだった。
ワタナベジムから誕生した世界王者は内山高志(WBAスーパーフェザー級)、河野公平(WBA世界スーパーフライ級)、そして大晦日に防衛を果たした現WBAライトフライ級チャンプの田口良一。
「東洋王者は10名くらい、日本王者は15名くらい生まれた筈だなぁ」と、渡辺自身の記憶が定かでない数となった。
ワタナベジムの特徴は、「口うるさい指導はせずに、選手の自主性に任せる」というものだ。
「東京でジムを開いて7年目に日本チャンピオンが生まれました。同じ日に2名。マイク・タイソンvsトニー・タップス戦の前座に出場した吉野弘幸がウエルター級で、同じ日の夜、ミドル級王座を大和武士が獲得しました。当時の私にとって最良の日でした。
ボクサーが成功するか否かというのは、簡単に判別できないものです。5年目に花が開く子もいます。ジムの会長は辛抱強く見守らなければならない。たとえ1カ月目に才能を感じても、粘り強く練習を続けられるかどうかは、分からない。ボクシングという競技は、じっくりじっくりやって強くなります。耐久力が求められるのです。
河野は努力家ですね。内山は遅咲きでしたが、身体能力がピカ一で、気持ちも非常に強く、そして努力できる選手です。この3つが揃うことは、滅多にありません。吉野弘幸は、身体能力は内山には及ばなかったですが、他の二つが良かった。
内山と吉野の共通点は、チャンピオンになってからも人間性がまったく変わらないことです」
確かに両者は、どんなに脚光を浴びても「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行っている。だからこそ、周囲に愛されるのだ。
「褒めることも叱ることも必要。3名の世界王者が生まれたことを見ても分かるように、頑張れば世界戦のリングに上がるチャンスが来る、というのがワタナベジムの売りです。もちろん、日本タイトル、東洋タイトルもそうです。
今市時代に選手を育てようとしたのですが、意欲が無かったり、続かなかったり、人が集まらなかったりと、厳しい現実を味わいました。ですから、ジムの会員には心から感謝しているんですよ」
そして、常々渡辺が心掛けるのは、「選手一人ひとりに、如何なるタイミングでどのような言葉をかけるか?」である。
「オイお前、頑張れよ! ではなく、どうすればその子がやる気になるかを考えなければいけません」
渡辺会長は、内山に、河野に、そして田口にどんな言葉をかけるのだろうか?