悪徳プロモーターの息子が殿堂入り
ドン・キングの義理の息子(妻の連れ子)で、ボクシングのマネージャーを長年務め、放送局でも働いてきたカール・キングがフロリダ州ボクシング殿堂入りを果たした。
カールは言った。
「プロモーターやマネージャー仲間、メディア界の友人、そしてファイターたち、またボクシングというスポーツにおいて多くの偉人たちに囲まれ、私は幸運だ。信じられないほどの栄誉であり、心から興奮しています」と。
カールは50試合近くの世界タイトルマッチにマネージャーとして関わり、200以上のファイト中継でアナリストをこなしている。そして今、父親の足跡を継ぐことに興味を持っており、近い将来ボクシングのプロモーターになりたいとも話した。
カールは付け加えた。
「8歳の時からボクシングに夢中になったんです。父が私にボクシンググローブを買ってくれて、それで遊びました。私は中学1年で、『ヘビー級ボクシングの歴史』という論文を書き、A判定を受けました」
カールはオハイオ州クリーブランドで生まれ、同州オーウェル近くのグランドバレー高に通い、そこでバスケットボール、野球、フットボールに打ち込んだ。バスケットボールの奨学金で大学に進学することもできたが、学業とビジネスに集中するため、オハイオ州ベレアにあるボールドウィン・ウォレス大学に入学。そこで、経営とマーケティングを専攻した。さらに、電気通信も学んだ。
大学1年生にしてマイケル・“ダイナマイト”・ドークスと契約し、史上最年少のボクシング・マネージャーとなる。彼はドークスをプロデビュー後、世界ヘビー級チャンピオンになるまで傍らにいた。
ドン・キングがプロモーターとして世界戦を組み続ける傍ら、カールは幾人ものファイターのマネージャーとなり、父親と一緒にカネを稼いだ。とはいえ、全てはドンがいたからこそ、得られた地位である。ボクシング中継でアナリストの役職を与えられたのも、父の後ろ盾があったからこそだ。
筆者の盟友であるティム・ウィザスプーンをはじめ、グレッグ・ペイジ、トニー・タップス、トニー・タッカー、フランキー・ランドール、ジェームズ・”ボーンクラッシャー”・スミス、トレバー・バービック、フランソワ・ボタ、ジュリアン・ジャクソン、アズマー・ネルソン、リカルド・マヨルガなどのマネージャーに君臨し、カールはしこたまカネを稼いだ。その多くの場合、選手を手荒に扱うことでキング家は財をなした。
カール・キングのフロリダ州ボクシング殿堂入りは手放しで称えられるものではない。こうした賞も、やはり政治力がモノを言うようだ。