2016年3月11日。東日本大震災発生後、丸5年が経過したこの日、ニッポン放送では『サンドウィッチマンのオールナイトニッポンGOLD』が放送された。宮城県にある東北放送のスタジオからの生放送だった。
サンドウィッチマンといえば、東北出身の芸人であり、震災の日はちょうど東北でロケをしていて被災した。そんな彼らは5年前の震災直後も『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めている。オープニングトークではそのときの心境を振り返った。
震災以後、テレビは各局地震情報などの報道特番が流れる中、いち早く芸人たちの声を届けけたメディアはやはりラジオだった。
以前、ブログ「てれびのスキマ」などで、あのとき芸人たちがラジオで何を語ったのかをまとめたが、震災から5年後というこのタイミングで改めて一部修正の上、掲載したい。また、のちに当時の心境を語ったオードリーのインタビュー等も加えて紹介したい。
あのとき、何を語ったか
■サンドウィッチマン
震災当時、気仙沼で被災したサンドウィッチマンは東日本大震災後、芸人の中において大きな役割を果すことになった。
いち早くテレビ出演を果たし、「被害状況の報道よりも避難所を写して!」「報道されていないところ(茨城北部等)で孤立している場所はまだまだある」「テレビの力を救助に使って」「自衛隊や消防など世界中から助けに来てくれた皆さんありがとうございます」「マスコミのヘリもついでに何か物資を運ぶなどしてください」などと呼びかけ、硬直化していた報道の以後の流れを少し変えることに。
そして3月18日。
急遽、『オールナイトニッポン』のパーソナリティに抜擢される。
『ANN』出演は著書『敗者復活』でも富澤の夢の一つだと語られている番組で、皮肉にもこんな形で夢が実現することになった。
OPからショートコントで始まるサンドウィッチマンらしい構成。
富澤が適度に小ボケを入れて「少しでも被災地の皆さんが前向きになるような放送に」と流れた一曲目は50TA(狩野英孝)。
「『濡れタオルで口を塞いでレインコートで避難して下さい』っていう専門家がいたんだよ。水がねえのにどうやって濡らすんだよ! 何も分かってねえんだよ」などと真面目な話をしたかと思えば、富澤が「二人で同じ経験をして、あれだけお前が喋ったら喋ることない。(『アメトーーク!』での)“二ヶ国語放送”のようなことは二度としたくない」などと笑いを挟むバランス感覚は絶妙だった。
エンディングもまた50TA。「ノコギリガール」をバックにラストはとんねるず風味に。
■伊集院光
TBSラジオ『JUNK』勢は3月14日からの一週間はお休み。その代わりに各パーソナリティが冒頭の数分だけメッセージを寄せるというスタイルになった。
その口火を切ったのは月曜日の伊集院光。
伊集院は被災者へのお見舞いの言葉を送った後、「個人的にしゃべることを仕事にしている者として葛藤もあります」とその心境を真摯に語る。「こんな時こそバカな話を聴きたいという声に心が……揺さぶられました」
そして翌週の3月21日。
「まー難しいよね」と始まった通常放送。
という宣言通りのくだらない内容を喋りつつ、ピエール瀧や宇多丸、山里亮太らのリクエスト曲をかけるという内容だった。
■爆笑問題
といつもの太田光のノリで始まったメッセージ。
「一段落したらねぇ、私がみんなに奢りますんで」と太田。
と、太田らしい独白で締めた。
■山里亮太
普段は下ネタばかり書いてくるリスナーの真面目なメッセージを「こんなちゃんとしっかりした文書けるんですね」と紹介し、こんな時だからこそ笑える放送が必要だというリスナーの意見に「ホントにそう思います」と同意した上でこう語った。
山里らしい愚直なまでの涙の訴え。
そして通常放送では、ビビりすぎて泣いてしまっていたことを反省。先輩の伊集院や太田のアドバイスに従って品川の「悪口(笑)」を展開。沖縄のリスナーとのエピソードなどを語っていた。
■おぎやはぎ
「僕から言わせてもらえば、絶対に大丈夫です」と「根拠はない」と言いつつ、何故か説得力のある矢作理論で語るおぎやはぎ。「最終的にはいい感じになる」と。
どこまでもおぎやはぎらしいマイペースなメッセージ。力は抜けているけど、ものすごく力強いメッセージだ。
■バナナマン
他のパーソナリティ同様、現状を説明、被災地に思いを馳せた後、設楽のリクエストという形でTHE BLUE HEARTSの『君のため』をかける。
と、裏の『オールナイトニッポン』の告知で締める設楽。
ちなみに、それを生放送中にリスナーのメールで知ったサンドウィッチマン。富澤は「これはちょっとやばい……」と言葉をつまらせる。伊達は一瞬の沈黙の後「マン一族ね! ……バナナマン、サンドウィッチマン、冷蔵庫マン!」
■ナインティナイン
「ガンバ!」というどなりの一言でスタートした『オールナイトニッポン』。
という言葉通りの内容に。
1曲目はこういう大変なときに必ず流れる渡辺美里「マイレボリューション」。
ハガキもいつも通り消化し、いつものように「スタッフに買い占め犯が二人いる」とスタッフいじりを始める。それが冤罪だと分かると謝罪する茶番で笑わせる岡村。
そしてエンディング。
そして、特別なときしか流れないホブルディーズ「月夜の星空」をBGMに「わーわー言うております」「お時間です」「さようなら」といつもの流れで放送を終えた。
■オードリー
番組冒頭、新作の漫才を披露するオードリー。
「オードリーを好きな人に向けて」放送すると決めたら、漫才から始めると決めたという若林。
漫才のネタ合わせのために若林宅に集まった話や、Twitter上で話題になった「春日作戦」に触れたりと、本当にいつもの仲良しバカ話。
番組中には、若林のあの音痴な歌声で収録されたウルフルズの「ええねん!」や春日がノリノリで歌う「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が流れる。
そして、エンディング。
若林は「立ってりゃなんとかなる。ここにいりゃなんとかなる」という春日の言葉を紹介し、「お前一番カッコいいカード切ってるぞ!」と笑いあう二人は最後にこのように番組を締めた。
あのとき、なぜ漫才だったのか
震災直後、マイクの前に立つことには様々な思いがあっただろう。大きな覚悟と勇気が必要だったはずだ。
自分たちの一言一言が思わぬ人を傷つけてしまう可能性もあることを誰よりも自覚せざるを負えない立場にいる。
そして「不謹慎」という強大な見えない敵と戦わなければならない。
なぜあのとき、漫才をすることを選んだのかをインタビューで問われ、オードリーは次のように語っている。
また若林はエッセイで、自分が苦境に立たされていた時、「大丈夫」と言われて救われた経験を綴り「大丈夫ということから大丈夫は始まる」と書いている。
そんな思いを込めてのエンディングでの「絶対大丈夫です」という言葉だったのかもしれない。
上に挙げた他にも数多くの芸人たちがマイクの前に立っていた。もちろんそれはラジオ以外の場においてもそうだった。
絶望的な状況という前フリは効き過ぎるほど効いていた。芸人たちは丁寧に言葉を選びながら、確かに笑いを届けた。それは「不謹慎」という同調圧力に決して屈しない大きな笑いの力だった。いや、思えば芸人は存在自体が不謹慎な存在だ。絶望を「大丈夫」だと笑い飛ばす、その不謹慎な存在こそ僕らの希望であり救いだったのだ。