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元世界ヘビー級チャンプが語る「アリの遺産」

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
デビュー後1年弱でアリのスパーリングパートナーに抜擢されたティム・ウィザスプーン

6月3日に永眠した元世界ヘビー級王者、モハメド・アリ。10日、故郷であるケンタッキー州ルイビルで葬儀が営まれた。

ジャパニーズ・メディアはアントニオ猪木との試合を引き合いに出して彼を語るが、アリにとって猪木戦は単なる「エキジビジョン」に過ぎなかった。ショーに参加するつもりで来日したところ、プロレスラーが本気で戦うと言い出したので面食らったのだ。米国であの試合は「酷いもの」としか扱われていないことを、ここに記しておく。

アリの真のライバルはジョー・フレージャーであり、ジョージ・フォアマンであり、ケン・ノートンだ。

グリーンボーイ時代にアリのスパーリングパートナーに抜擢され、その後2度、世界ヘビー級王座に就いたティム・ウィザスプーンに国際電話で心境を聞いた。 

「葬儀には行けなかった。彼の故郷、ケンタッキー州ルイビルは、ちょっと遠くてね。アメリカだけじゃなく、世界中が喪失感に打ちひしがれているよな。でも…俺はある程度心の準備はしていた。ずっと患っていたからね。

アリのアドバイスで記憶に残っているのは、『ポジティブに生きることを忘れるな。どんな時もベストを尽くして、万全のコンディションに仕上げておけ』っていうものだね。いつも、励ましてくれたな。会話は、ボクシングに関するものが中心だったけど、ベトナム戦争について語ったこともあった。『ベトナムには行くべきじゃなかった。人殺しなんて無益だ。何故、人が人を殺さねばならない? 何故、人間同士が殺し合わねばならないんだ? 命は大切なものだろう』って話していた。若かった俺も、平和や反戦、人と揉めてはならないってことを学習したよ」

ティムがスパーリングパートナーとなった時点でのアリは、引退から2年が経過し、リングに上がれる状態ではなかった。

それでもティムは、自身のアイドルと過ごせる時間に、幸福を感じた。

「キャンプでは、ボクサーとして、人間として生きるうえでの態度、謙虚さが大事だということを学んだ。アリは<人は常に謙虚であれ>と言っていた。『昨日より今日、今日より明日。より謙虚であれ』と説かれた。スタッフの一人が病気か怪我かなんかで倒れたことがあって、その彼を抱きかかえてベッドまで運んだのはアリだった。ファンに笑顔でサインしたり、手品を見せたり。いつも、その場の雰囲気を明るくさせる人だった。誰とでも楽しくフレンドリーに会話して、冗談を休みなくいって笑わせてくれた。ジョークの内容は覚えていないけれど、楽しいキャンプだったのを覚えているよ。アリの傍にいられるだけで、俺は幸せだったなぁ」

この時、ティムはスパーリングでアリを殴り倒すこともできたが、致命的なダメージは負わせず、忠実に練習相手をつとめ上げた。

「自分の仕事に集中しろ、他者を慮れ、弱き人の手助けをしろとも言われた。今でも実行しているよ。実際に接してみて、ますます彼を尊敬するようになったね。俺、アリの影響を受けて、モスリムになったもの。モスリムには愛すべき、謙虚な人が多いんだぜ。俺は世界王者になってから、ドン・キングにファイトマネーをピンハネされて散々嫌な思いをしたけれど、何度か、会場でアリと会ってさ、『ネガティブなことは考えるな』『体を作って、激しく戦え』って話してくれたな。つらい時にアリの言葉を思い出したもんだよ。なかなかアドバイス通りに生きるのは難しかったけれどね」

アリから学んだことで一番大きいものは? と訊ねるとこう答えた。

「精神の強さは肉体を上回るってことだね。とにかく気持ちの強い人だった。You can do it!, you can do it!, you can do it!! っていう言葉は忘れられない」

ティムは現在の心境をこのように告げた。

「アメリカンだけじゃなく、黒人だけでもなく、人類の遺産となる人だよね。彼の生き方は永遠に人々の心に残るよ。あれほど世界中に知られている人なんて、いないだろう。今、アリの言葉が蘇ってくるんだよ」

改めて、偉大な男を失ったことに気付かされている。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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