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[高校野球]あの夏の記憶/決勝の9回2死から……日本文理、魂の19分 その1

楊順行スポーツライター
2009年夏の決勝。スコアボードが激闘を物語る(写真:岡沢克郎/アフロ)

 よしっ……と思ったそうである。

 2009年、第91回全国高校野球選手権の決勝、9回表。4対10と、中京大中京(愛知)に6点差をつけられた日本文理(新潟)の攻撃も、すでに2死走者なし。5回目の出場で夏の初白星を記録し、県勢として初めてベスト4に進出した文理の快進撃には、地元では号外まで出た。それも、あとアウトひとつで終わりとなる。

 いったん森本隼平にマウンドを譲っていた中京のエース・堂林翔太(現広島)が再登板を志願した9回。わずか6球で八、九番を料理した。流れは、明らかに中京だ。そういう野球の機微を、打席に入った一番・切手孝太も感じ取っていたのか。簡単に手を出せば、簡単に終わる……すんなりしたテンポを嫌い、追い込まれるまでバットを振らない。結局、一度もスイングせずにフルカウント。6球目、外角にショートバウンドするスライダーもきわどく見きわめた。四球、2死一塁。6点差に対しては蚊が刺したほどもないが、ネクストバッターズサークルの2年生・高橋隼之介は、よしっ! と感じたというのだ。

「ポンポンと2人アウトになったんですが、切手さんが出て空気が変わったんです。打ちたがりの切手さんが、自分を殺してボールをよく見た。また、ピッチャーが堂林さんに代わっていたでしょう。スピードもさほどじゃないし、僕にはタイミングがとりやすく、なんとかなるんじゃないかと思いました。現にそこまで3の3です。最後のバッターにはなりたくないから、とにかく後ろにつなごう、でも思い切り振ろうという思いでしたね」

毎試合二ケタのヒットパレード

 事実、高橋隼は粘って9球目をレフトへ二塁打し、5対10とした。新潟県柏崎市出身という同郷のよしみで、明治大卒業後の高橋隼とは、しばしば飲む機会がある。ただこのときは、いくら「よしっ」と感じたとはいえ、まさか1点差まで詰め寄るとは思いもしていなかっただろう。続く武石光司、ライトへ三塁打で6対10。まだ点差はあるが、マウンド上の堂林は気がついていた。微妙なタマはカットされ、ボールには手を出さない。甘くなれば痛打される。

 この夏の文理打線は、まさにヒットパレードだった。寒川(香川)との2回戦、日本航空石川との3回戦、立正大湘南(島根)との準々決勝とここまでの3試合はいずれも2ケタ安打で、3回戦と準々決勝は史上初の2試合連続毎回安打だ。県岐阜商との準決勝は2対1ながら、2ケタ安打は継続。そこまで33回の攻撃中、無安打は3イニングきりである。

 センバツで文理打線は、清峰(長崎)の今村猛(現広島)に完封されはしたが、豪腕から7安打を放ち、自信をつけていた。だがその後の練習試合では聖光学院(福島)、仙台育英(宮城)といった甲子園常連校の投手に手こずる。ヒットは出るが、点に結びつかないのだ。そこで取り組んだのが「1本バッティング」(高橋隼)だ。

「大井(道夫)監督は“ここ、というチャンスでヒットが出ないのは、精神的な部分だ”と。それでフルカウントを想定し、打っても見逃しても1球で終わり、というやり方を採り入れたんです。フルカウントなら、苦手だなんだという前に、どんなボールにも食らいつきますからね。あれで集中力と、勝負強さはついたと思います」

 文理の打撃練習量は、ただでさえハンパじゃない。朝6時からの打撃練習。放課後は2カ所が手投げ、1カ所はマシンによる打ち込み、練習終了後も自主練……08年に秀子夫人を喪い、一人暮らしをしていた大井監督がしみじみ語る。

「夜、酒の肴が足りなくなると、グラウンドのそばにあるスーパーに買い物に行くのよ。そうするとグラウンドには灯りがついていてさ、みんなバットを振っているわけ。気が散るだろうから顔は出さないけど、アイツら、まだやってんのか……って感心するよ」

 県内での“打の文理”という異名は、こうした日常の積み重ねだ。そして、新潟大会6試合で57点と打ちまくった勢いは、甲子園でも止まらない。9回2死走者なしから2点を返し、なおも2死三塁だ。

 ここで、2球目を打ち上げた吉田雅俊の打球は、三塁側ファウルグラウンドに上がる。終わりか……それにしても、甲子園での勝ち星は束になっても中京大中京の6分の1という新潟県勢が、見事な粘りだった……とスタンドが立ち上がりかけた。だが、上からたたきつけて強烈なバックスピンがかかった吉田の打球は、三塁ダグアウト前の三塁手・河合完治の後方に落ちた。ファウルボール……。気落ちした堂林はその直後、吉田に死球を与え、ふたたびマウンドに上がった森本も高橋義人に四球で2死満塁となった。

 4点差。つまり、かりに一発が出れば同点だ。なにかが起きるかもしれない……歴史的な試合の予感がスタンドを昂揚させ、次打者・伊藤直輝へのコールが自然発生した。

 イットッウ! イットッウ! イットッウ! こんなの初めてだな……打席に向かうときから、そのコールは伊藤の耳に届いていた。打席で足場を固め、森本に対峙すると、自分の名前を呼ぶ圧倒的な音量以外は耳に入らない。背筋がふるえた。同時に、根拠はないが“打てる”と確信した。最後まであきらめるな、とはいうけれど、それは言葉だけだと思っていた。でも、これが“流れ”というヤツか。野球ってのは、本当に最後までわからないよなぁ……。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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