『ファイブ・デビルズ』(11月18日公開)にみるファンタジーならではのストーリーテリング能力
11月18日公開の『ファイブ・デビルズ』はいろいろな意味でおススメだ。特に、ファンタジーが持つ、ストーリーテリング力をフル活用したのが素晴らしい。
主人公はある特殊な能力を持っている。
魔術であり超能力である。
その能力は、日本人で、ある一定以上の年齢なら、「ああ、あれと同じだ」と思い当たるものなので斬新というわけではないのだが、この設定によって作品はファンタジーとなった。
だが、もしファンタジーでなければどう見えていたのだろう?
■人種、性別、性指向、外見による差別を扱う
『ファイブ・デビルズ』を見た人の多くは、この作品を「人間ドラマ」と形容するはずだ。
登場人物たちは、いろんな社会的な問題の渦中に生きている。
人種差別、同性愛差別、女性差別、ルッキズム、いじめ……。誰もが大なり小なり傷付けられて苦しんでいる。
そんな息が詰まるような物語をファンタジー抜きで見せられたら、おそらくこちらも息が詰まっていた。
しかし、主人公が特殊能力の持ち主であることで、堅苦しくなりがちなテーマを面白く見られた。
例えば、過去にさかのぼることは、フラッシュバックという手法だが、この特殊能力は“いくらでも過去に飛んでもいい”、“お話の順番をいくらでもいじってもいい”というお墨付きを与えることになった。
■時系列の必然的混乱と謎解きへの興味
フラッシュバックによって時系列は混乱する。
お話がわかりにくくなる反面、謎解きの楽しみが生まれる。
いくらぶち切りで、現代と過去と未来がごちゃまぜでも、見ているこちらが頭の中で整列すれば、最終的には筋の通ったお話になっているはずだ(なっていない作品も中にはあるわけだが……)。
“さて、どうオチを付けてくれるのか”というお楽しみである。
で、謎の雲が晴れて、“ああ、そういうことか”と納得する。
↑よくできた予告編だが、どんなにうまく作っても狭義のネタバレはあるので、見ない方がいいかも
人間ドラマを味わいつつ、その味わいとは別に謎解きのお楽しみがあって、“一粒で二度おいしい”状態、作品を二重に、二倍に楽しめる。
これはファンタジーにしたことのメリットだろう。
■口に苦い良薬の糖衣=ファンタジー仕立て
もちろん、重苦しいテーマを正面から描いたドキュメンタリーのような群像劇にしても良かったのだが、そうした場合、とっつきにくい、見る者を選ぶ作品になった可能性が高い。
苦いメッセージを呑み込んでもらうためには糖衣で包み込んだ方がいい。口に苦い良薬を甘くしたのが、この作品の場合、ファンタジーだった。
しかも、素晴らしいのは、物語的にも特殊能力を持たせる必然性があったことだ。別の言い方をすれば、主人公にこの特殊能力がなければ、お話自体が成立しなかった。
ファンタジーは面白くするためのただの手法ではなかったわけで、この仕掛けによって作品の説得力と完成度ははるかに増した。
■“こんなはずじゃなかった”と生きるのが人生
タイムパラドックスに納得しない人もいるだろう。
私も引っ掛かった。“なんで?”と疑問に思っている部分もある。ファンタジー仕立てにしたマイナス面である。
だが、マイナスよりもプラスの方がはるかに多かった。
物語の中身について最後に一言だけ。
子供よりも大人が楽しめるアニメ『おかしなガムボール』で、主人公が「人生というのは、誰もがわずかに不幸で、不満を抱いて生きていくもの」と喝破するシーンがあるのだが、まさにそんな内容である。
登場人物たちも、あなたも私も、“こんなはずじゃなかった”という思いを胸に仕舞って、生きていかねばならないのである。
※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭
※ファンタジーで語ることについては↓にも書いた。