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「ザ ツネハッチャン」が「2700」に再改名。どん底で語った覚悟。

中西正男芸能記者
コンビ名を「2700」に再改名した八十島宏行(左)と常道裕史

 「右ひじ、左ひじ、交互に見て!」などのリズムネタで一世を風靡したお笑いコンビ「2700」。昨年8月、テレビ番組の企画でコンビ名を「ザ ツネハッチャン」に変えましたが、今日8月5日から「2700」に再改名することになりました。八十島宏行さん(34)、常道裕史さん(36)が絶頂とどん底を味わった中、決意のリスタートとなります。「今がどん底です」(八十島)と現在も迷いと苦しみの霧に包まれた中でのインタビューとなりましたが、思いを絞り出すことで霧を振り払うように、ぽつりぽつりと今の気持ちを文字に置き換えていきました。

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迷いの中のインタビュー

八十島:「2700」に名前を戻すのは、もう一回、リズムネタをやりたいなと…。リズムネタをするなら「2700」の方がいいだろうなと。ま、うーん、もう一回「2700」に戻すにあたって、本3冊分くらいの思いがありまして(苦笑)。正直、今もまだ思いがまとまっていないところもあります。ただ、簡単に言うと、また自分らしくお笑いをやりたいし、それが周りも一番求めているものなんじゃないかなと。1カ月くらい前に戻すことを決めました。

常道:番組の企画でほぼ1年前にコンビ名を「ザ ツネハッチャン」に変えたんですけど、なんというか、自分たちで飲み込めてなかったんです。もちろん、番組でそういう機会を与えてもらえるのはありがたい話ですし、何とか、新しい名前を自分たちに染みこませていこうとは思ったんですけど、なかなか入っていかなくて…。

八十島:1年前、名前を変えた時も、仕事は低迷期で、何か面白いこと、引っかかることで、世に出るきっかけになるのであればと。そう思って、変な言葉ですけど、軽はずみというか、すぐに名前を変えることを選んでしまったというか…。改名が注目される一つのきっかけであることは間違いないですから。ただ、多くの方から「何で変えたんや」とも言われました。そういう周りの言葉の影響もあったとは思いますけど、しっくりこない感覚が正直、ずっとあったんです。

常道:今に至るまでそうですけど、1年前も仕事量は本当に少なくて…。週に1回あるかないかくらいでしたから、とにかく何かを変えなきゃいけない。その思いが強かったです。

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相方が不動産会社に就職

八十島:「もう一回やるぞ!」というきっかけが欲しかったというのはあったと思います。何となく、日常に自分たちが埋没するというか“なあなあ”にもなっていたし。ただ、いざ名前を変えてから、すぐに結構な動きがありまして。1カ月半ほど経って、相方が不動産会社でサラリーマンとして働き始めましたしね。

常道:仕事が週に1回あるかないかの状態で、家族もいる中、さすがに生活できない。ここ数年は、本当に芸人を本気で辞めるということを考え続けた日々でもあったんですけど、知り合いの会社とのご縁をいただいて。もちろん、芸人をやりながらフルタイムで会社員をするというパターンはほぼなかったですし、その是非もあると思います。もちろん、それもイヤというほど考えました。ただ、現実問題、本当にどうしようもない。僕が極度の心配性というのもあるのだとは思いますけど、事実、もうそうするしかなかった。なので、今は月曜から金曜まで会社員の生活をやりながら、主に土日に芸人の仕事をやるというパターンになっています。

八十島:ま、もちろん誰にでも生活がありますから。ただ、平日は不動産業をやるとなると、週末しか芸人の仕事ができない。そうなると、コンビとしてはこれはこれでキツイので、それならば、もう解散をしようかと。そんなことが名前を変えて2~3カ月で一気にやってきて、とにかく毎日が不安で不安定。そんな日々でした。

常道:…。

ピークからの下降

八十島:2011年にキングオブコントで準優勝してからは1年くらい休みなく仕事が入って、さらにはCMまで入ってきたりもした。なので、これは芸人として売れたんじゃないかという感覚は正直ありました。振り返ると、そこがピークだったなと。1年が過ぎてからも、ちょこちょこテレビもあって、そこで顔が売れるからこその地方営業もあり、劇場もありで、いい感じのリズムとバランスで仕事をさせてもらうのが3年くらいは続いたんです。

常道:僕が一番しんどいと思ったのは、その流れに陰りが見えてきた14年くらいでしたね。次どうするべきか。いろいろがむしゃらに考えてはみたものの、先が見えない。一応、世間的な扱いでいうと“一発屋”みたいな感じになっていて、となると、どんどん僕らの席に新しい人たちが入ってくる。八十島さんもその頃、本当に煮詰まってしまってネタが考えられないという状況になっていって。そんなことが渦になって僕らを飲み込んでいく感じで、ま、実力不足というところももちろんあったと思うんですけど、動かないといけないけどうまくいかない。そうなると、もっとネガティブになっていってまたもっと動けなくなる。そうなってくるとコンビでいろいろと話したりすることも本当に億劫になってきて、それがまた次のネガティブを呼び込んでくる。そんな流れになってしまって。

今がどん底

八十島:ま、こんなこと、再改名で「もう一回やるぞ!」という取材で言うべきことじゃないんでしょうけど、一番しんどいのは今かもしれないです。僕は。もう一回頑張らないといけないけど、まだ何も先が見えていない。これからまた「2700」としてやっていって手ごたえが出てくれば、また意識も変わってくるのかもしれませんけど、正直、今はだいぶ滅入っています。3カ月前くらいには、自分でもびっくりしましたけど、嫁から「コンビニで(炭酸飲料の)デカビタを買ってきて」と言われて買いに行って、自分でも気づかないうちに缶コーヒーを買って帰ってるんです。家に戻って嫁に渡す瞬間に「…アッ」と我に返るんですけど、もう一回買いに行っても、またコーヒーを買ってくる。それが3回連続であったこともありました。もうそれくらい頭が回っていないというか…。

常道:うちのコンビは八十島さんがネタを考えるし、コンビの頭脳ですからね。そこが止まってしまうと全部が止まってしまう…。僕個人で細かく言うと、一番滅入ったのは、14年頃から仕事が減ってきて、またアルバイトを始めた時でした。芸人の大きな嬉しさの一つに“バイトを辞められた瞬間”というのがあるんです。やっと芸人の収入だけで食べていけるようになった。これって飛び上がるくらいうれしいことなんですけど、そこからもう一回アルバイトをしないといけなくなった。これは、こたえました。居酒屋のホールスタッフとかのバイトを掛け持ちするようになったんですけど、変に顔と名前を知られているから、顔バレもするし、バイト中に声もかけられる。これは幾重にもつらいことではありました。

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今だからできること

八十島:確かに今もしんどいです。ただね、悩んでいると、いろいろなことが下がっていって、何にも良い方向に進まない。それもイヤというほど学びました。だから、だから、ここでもう一回やろうと。今やらないと、明日はもっとしんどいでしょうから。

常道:ブレークした時よりもプラスになっていることがあるとすると、奥さんがいて、子どもがいて、その状況を背負っているということですかね。とにかく家族のためにという。やっぱり奥さんから「いつまでこの生活が続くの?」とポツリと尋ねられたら、何とも言えない気持ちになる。それを経験して、何とか飲み込んだ上での今。あらゆる感情の爆発を経験した上での今。それが今の強みだろうと思います。

八十島:まだやっていないリズムネタがあるんじゃないか。極めてシンプルに言うと、それが再始動の一番の核の部分です。やっぱり僕は相方を使って面白いことを考えるのが大好きなんです。今でも一日中リズムネタを考えていると、ふと、とてつもなく面白いリズムが落ちてきたりもする。その時のうれしさはすさまじいですし、また皆さんに口ずさんでもらえるようなネタを作りたい。出したい。ただただ、そう思います。

常道:僕らがポーンと世に出してもらった10年近く前よりも、今の方がもっとSNSも発達しているし、こういうリズムネタって、出しどころは増えていると思うんです。だから、当面はSNSで中高生がマネをして投稿してくれるようなものを狙って、考えていきたいと思っています。競争相手も多いところだとは思いますけど、僕らはやっぱりまずそこだろうなと。

八十島:ごめんなさい、何とも重たい話ばっかりになっちゃったかもしれませんけど、明確に変わったところで言うと、相方でしょうね。毎日、不動産の仕事で出外回りの営業をしているので、基本的にインドアで仕事をする芸人とは思えないほど、肌の色が真っ黒になってますから。そこは新たな一面です(笑)。

常道:ま、毎日、内見とかに行ってますからね(笑)。肌もそうだし、時間を積み重ねてきた分だけ、何かが変わっているはず。その変化を必ず前向きな力に変える。そう思って、また新たに頑張っていきたいと思います!

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(撮影・中西正男)

■「2700」

1984年3月22日生まれで山口県下関市出身の八十島宏行と82年10月15日生まれで大阪府和泉市出身の常道裕史のコンビ。2008年に「2700」を結成。スタイリッシュなリズムネタで注目され、同年「キングオブコント」でコンビ歴8カ月ながら決勝進出。以後は拠点を大阪から東京に移す。11年には「キングオブコント」で準優勝。 17年8月、TBS「ピラミッドダービー」の企画でコンビ名を「ザ ツネハッチャン」に変更するが、熟考を重ね、再び「2700」に名前を戻した。八十島は09年に結婚し、長男、次男がいる。常道も08年に結婚し、12年には双子の男児が誕生している。10月7日には単独イベント「2700」を東京・ルミネtheよしもとで開催する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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