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「遊んだから売れるわけじゃない」。島田洋七が語る芸の力と、芸人の神髄

中西正男芸能記者
ライフワーク的に行う講演会が累計5000回に達する島田洋七さん(本人提供)

 「B&B」として漫才ブームのトップランナーとなり、お笑い界の頂点に駆け上がった島田洋七さん(74)。私小説「佐賀のがばいばあちゃん」もシリーズ累計1000万部を突破し、自著をもとにした講演会の回数が今月中に5000回を突破する予定です。40歳の頃から講演会が活動の軸になり、多い時には年間300回以上開催してきましたが、新型コロナ禍で完全に動きを封じられもしました。そんな中で痛感した芸の力。こみ上げる感謝とは。

漫才ができる意味

 11月10日にね、兵庫の高砂市で6年ぶりに「B&B」として漫才をするんです。

 新型コロナ禍で会う機会がなくなって、ちょくちょく電話はしてたんですけど、そんな中で2カ月ほど前かな、久々にやろうかとなって。

 縁があって仲良くしている歌手・そえんじとのコラボ公演の中でやるんですけど、つくづくありがたいことやなぁと思います。

 ここ最近、それこそ西田敏行さんもそうですし、同年代の方が亡くなってます。西田さんのようにニュースにはなっていなくてもオレの周りでもたくさん亡くなっている。70代、まだまだ頑張れるっていうのも事実やと思うんやけど、一方で、命が尽きることも普通にある。そんな中で、自分は洋八と漫才ができる。これってホンマに幸せなやと思うんです。

 ネタがどうとかそんなことじゃなく、まず二人がいないとできないことですからね。二人ともいて、舞台に立てる。オレより若い(大平)サブローもできないし、(島田)紳助もできない。これは本当に仕方のないことです。

 でも、何の加減か、オレのところはできる。そう考えたらね、感謝しかないですし、とにかく11月10日まで元気にいよう。そんな話をこの前も洋八と電話でしてました。

芸の力

 コロナ禍で洋八とも会ってなかったですし、40歳前からやってきた講演会もほぼストップしてしまいました。多い時は年間300本ほどやらせてもらってましたけど、オレの講演会に来てくださるのはお年を召した方が多いですし、なかなかやるのが難しくて。

 去年の春ごろから月に2~3本、年間30~40本くらいには戻ってきて、今月で通算の開催回数が5000回になる予定です。

 コロナ禍を経て、今やらせてもらうとね、皆さん、本当によく笑います。いかに、こういうことがなかったのか。それを強く感じもしますし、逆に言うと、笑い声の大きさで大変やったんやなぁということを感じもします。

 お客さんも笑ってくださるけど、こっちもやっぱり楽しいんですよ。久々だし。そうなると、自分でしゃべって、自分で笑うということにもなるんです。そしたらね、僕が本気で笑うことで、お客さんがさらに笑うんですよ。つられて笑ってくれるというか。コロナ禍はホンマに大変なことでしたけど、ここにきて、一つまた芸を覚えました(笑)。

 漫才ブームがあって、そこからテレビの仕事をそれこそやれるだけやらせてもらいました。週に十何本司会の番組もやらせてもらって、ひょっとしたら、やられへんくらいやらせてもらったかもしれません(笑)。

 それでも、テレビの仕事はいろいろな事情も絡みますし、放送局から要らないと言われたら、一気になくなります。それも痛感してきました。講演を軸に37年ほどやってきましたけど、こっちに来て良かったと本当に思います。

 講演会は中身が本当に面白くて、目の前のお客さんが本当に喜んでくださっていたら、また声がかかるんです。その声が広がって、また新たに「来てもらえませんか」の声がかかる。そこにあるのは自分の芸の力だけです。自分の腕に純粋に値段がつくわけです。難しいけど、真っ当。それを日々やってきたから、ナニな話、いきなり洋八と漫才をしようとなってもできるわけですしね。芸人が芸で評価される。これほどうれしいことはないですよ。

 芸人は芸があってこそ。そして、芸を身につけて、売れるなんてことは簡単ではない。これも強く思います。

芸人にとっての遊び

 今は時代が変わって、芸人も品行方正さを求められるようになりました。昔の芸人の世界はムチャクチャやった。そんなこともよく言われますけど、オレは完全にそうだとも思わないんですよね。

 そら実際に女性の遊びをしていた人もたくさんいるし、賭け事をやっていた人もいます。ただ、今みたいに携帯電話もインターネットもないし、人と人がつながることが簡単ではない。その中で女の子といい関係になるなら、時間や熱やお金をかけないとそういうことにはならない。遊び方が真っ当やったし、オレの知る限り、カッコ良く遊んでいる先輩ばっかりでしたよ。

 ほんでね、当たり前のことですけど、遊んだから売れるわけではない。芸を磨いて、努力して、売れるんです。売れてから遊ぶ人もいるし、売れてから照れ隠し的に山ほど遊んできたと言う人もいますけど、なんで売れたのか。遊んだからじゃないです。頑張ったからです。そのあたりがあらゆる形で変に解釈されているところも、今は感じたりもしますね。

 そもそも、ホンマに売れたら、遊べないですしね。何とか時間を作っても仕事と仕事の間の睡眠時間が4時間ほど。その間に遊びに行くとなると、一睡もできないですから。それではね、すぐに倒れます(笑)。

 この前も(ビート)たけしと話をしてたんですけど「オレらは“天狗”になる暇もなかったな」と。漫才ブームみたいな売れ方したら、遊ぶ暇も、鼻が高くなる暇もない。やっと時間ができたから天狗になってみようかと思ったら、今度は仕事がないから天狗になられへんというね(笑)。

 ただ、今は自分がしゃべることを待ってくださっているお客さんがいるし、行ったら喜んでくださる。こんなにありがたいことはないですよ。ホンマに。

 お年寄りの前でしゃべることが多くて、最初は年齢を聞いて「お元気ですね」みたいなこともやってましたけど、今はオレも同年代やからね(笑)。それでも、まだできてるから。ただただ感謝するしかありませんし、できるところまでこんなことを続けていけたらなと思うばかりです。

■島田洋七(しまだ・ようしち)

1950年2月10日生まれ。広島県出身。本名・徳永昭広。71年に「島田洋之介・今喜多代」に入門し、72年にデビュー。74年、現在の上方よしおと組んでいた「B&B」として「NHK漫才コンテスト」で優勝に該当する「優秀話術賞」を受賞する。75年に相方を島田洋八に変更し、80年代の漫才ブームを牽引。フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」などレギュラー番組多数。2004年、小学2年から中学卒業まで過ごした佐賀での生活を綴った小説「佐賀のがばいばあちゃん」が注目され、シリーズ本が累計1000万部を超えるベストセラーとなる。また、40歳の頃から講演会に活動の軸を移し、今月で累計の公演回数が5000回を突破する予定。歌手・そえんじに曲「優しい言葉の中にも」「こんな感じでいいじゃん人生は」を提供するなど多岐にわたり活動中。11月10日にはそえんじとのコラボライブを兵庫・高砂市文化会館で開催。洋八さんと「B&B」として関西では17年ぶりとなる漫才を披露する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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