関東甲信梅雨明け 「梅雨明けをしたとみられます」という遷移期間を考えた表現は平成7年から
気象庁は「7月28日頃に関東甲信地方は梅雨明けしたとみられます」という情報を発表しました。
このような、遷移期間を考慮した情報、悪くいえば、歯切れの悪い情報となったのは平成7年(1995年)からです。
なお、気象庁HP等にある昭和26年(1951年)以降の梅雨についての記述は、すべて現在の表現に直したものです。
「お知らせ」から「情報」へ
気象は国民生活と密接な関係があるため、気象庁には様々な質問や要望がきます。このため、適宜、「お知らせ」を発表していますが、中には、要望が高いために「情報」に格上げとなったものもあります。
「梅雨入り」や「梅雨明け」の情報も、そのひとつです。
非公式な「お知らせ」から、公式な「情報」となったのは、昭和61年からです。このときは、「7月28日に梅雨明けしました」というように、日付けを特定した歯切れの良いものでした。
このため、マスコミ等で、「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」と言われだしました。また、時には、皮肉をこめてだと思いますが、「梅雨明けをご託宣」と気象庁を神社のように言うこともありました。
これが変わったのは、平成5年の冷夏と平成6年の猛暑の影響で、2年連続して梅雨明けが難しかったからです。
平成5年の梅雨
平成5年の夏は、梅雨が長引き、7月下旬になっても太平洋高気圧の勢力が弱かったため、梅雨前線が日本列島に居座り、記録的な冷夏となりました。外国からの米輸入が大問題になるほどの凶作でした。
気象庁では、7月9日に九州南部で、7月27日に関東甲信地方で梅雨明けを発表するなどしましたが、梅雨明け後も、前線と台風5号、6号、7号の影響で大雨が相次いでいます。このため、東北地方から九州地方の梅雨明けは撤回され、沖縄と奄美地方以外は「梅雨明けが特定できない」とする異常な夏となりました(表)。
平成6年の梅雨
平年6年の夏は、冷夏という長期予報に反し、前年と逆の猛暑でした。梅雨明けは平年より1~2週間早いうえに、前線活動が不活発で、空梅雨でした。梅雨明け前から晴れが多く、前年とは違った理由で難しい梅雨明けでした。
7月12日に「東北北部は、前日の11日に梅雨が明けていた」と発表するなど、遡及予報だとの批判がでた地方もありました。しかも、のちに行われた見直しで、梅雨明け日が変わっています。
平成7年と平成8年は旬を用いた表現
梅雨は春から夏に移行する過程で、その前後の時期に比べると雨が多くなり、日照が少なくなる季節現象です。
季節の変化は、ある日を境に明瞭にその季節に入ることはなく、双方の季節が交互に現れる遷移期間をへて変わってゆきます。
気象庁では、平成5年と平成6年の梅雨に関する批判などから、平成7年から、遷移期間を意識し、旬を用いた表現に変えています。
関東地方の梅雨入りと梅雨明けの発表
平成7年 6月上旬に梅雨入りした(6月8日発表)
7月下旬の前半に梅雨明けした(7月25日発表)
平成8年 6月上旬の後半に梅雨入りした(6月9日発表)
7月中旬の前半に梅雨明けした(7月15日発表)
平成9年から現在の表現
旬を用いた梅雨入り・明けの情報は、わかりづらいという批判が相次いでいます。そのため、2年で見直しとなり、平成9年から現在の表現方式に変わっています。5日位ある遷移期間の概ね中日をもって「○○日頃」と表現するようにしたのです。気象庁ホームページなどにある梅雨の統計値については、遡って、現在と同じ表現になりました。
平成8年12月20日の朝日新聞に経緯がまとめてあるので、引用しますが、ここにある国会での質問のなかには、「日本語でも難しいのに、英語に直したらどうなるのか」という、気象庁長官への和文英訳の質問もありました。
引用:朝日新聞(1996年12月20日)
今年の梅雨明け
今年の梅雨は、7月18日に九州から東海地方が梅雨明けし、その後、日本列島付近から梅雨前線が消えています。関東甲信地方では、北東気流の雨や、不安定性降雨による雷雨が続いたため梅雨明けとはならなかったのですが、教科書で書かれている梅雨ではなくなっていました。事実上は明けていたのですが、今回、梅雨明けの速報値の発表となったのです(確定値は9月に発表)。
梅雨前線が弱まっての梅雨明けは不順な夏という傾向があります。梅雨明け後は晴天でも、気象情報に目が離せない真夏が始まりました。