他界した若手女性ラーメン職人と、暖簾を守り続ける母・姉との家族愛に涙する「三福ラーメン」
約25年間九州のラーメンカルチャーを研究している筆者にとって“本当に特別な店”。そんな愛してやまない店は皆にもあるだろうが、今回は私的に強く思い入れのある超名店「三福ラーメン」(福岡県・八女市)の話をさせていただく。創業は1950(昭和25)年、現在、実に74年の歴史を誇る“九州古(いにしえ)系豚骨ラーメン”の一つである。ここで「三福」について書かせていただく理由は、もちろん“バリうま!”であることを大前提に、九州のラーメン史に記しておくべき時を刻んでいること。そして、闘病の末、今年2024年1月に45歳の若さで他界した4代目女性店主の瞳さんへの思い、感謝の念も大きい。
「三福ラーメン」の歴史。1950(昭和25)年に福岡県・八女市で創業し、後に同県の広川町に移転。そして2023年9月に八女市に戻ってきた。70年以上の歩みをギュッとするとこういう事になるのだが、そこには代替わりなどの家族のドラマが詰まっている。
筆者が「三福」を訪れたのは、九州自動車道広川ICのすぐ近くにあった時代、早朝からやっている、いわゆる“朝ラー”の取材が最初であった。そこには凛とした雰囲気をもつ若き女性豚骨ラーメン職人、亡き瞳さんが、熟練の技を要する真っ平な平網を巧みに操り麺上げをする姿があった。(九州の豚骨ラーメン職人の平網に対するこだわりは「真っ平らな“平網”を操る職人の美学に迫る(豚骨注入!)」を読んでもらいたい)。
「早朝から仕込みで店にいるから、どうせならドライバーさんたちに朝ラーメンを楽しんでもらおうと思って早く開けるようにしました」。また、現在よく見かけるテボ型ではなく、有形文化遺産級の平網を使っている理由を尋ねると「当たり前のように父母がこれを使っていたので、逆にこれ以外の網が扱えないかも」と、笑いながら話す瞳さんを鮮明に覚えている。
だからこそ今年2024年に入り、瞳さんが他界したと聞いた時は衝撃が走った。家族以外は知らないことであったが、約10年に渡り癌と闘っていたという。
「約4年前に主人が他界した時には、病床で最後の別れができましたが、娘の瞳は検査に行ってくると出かけた後、病院で急に容体が悪化してしまい、それっきり。苦しんでいるのを周りには見せない優しい娘でした」と眼を細めて話すのは母の恵美子さん。娘を失ってしまった悲しみは想像を絶するが、恵美子さんは、瞳さんの姉である愛子さんと共に前を向いた。間もなくして店を再開させたのである。「仕事をすること。ラーメンを作ることに夢中になっていないと耐えられないものはありました。でも、何より私たちのラーメンを待ってくれている常連さんがいるので」と恵美子さん。現在74歳。常に明るく気丈にふるまい、バイタリティにあふれた方だ。
「瞳が亡くなり半年以上が経ちますが、最初は常連さんにもそのことを言えませんでした。ようやく最近心の整理がついて、ご心配されていた方々に話をさせていただくようになったんです」(恵美子さん)。
齢70年以上を誇る「三福」のラーメンは、いうならば“飽きのこないさっぱり久留米系”だ。ただし、製法は複数の釜のスープをブレンドし熟成香を立たせた“呼び戻し”ではなく、フレッシュさを重視した一発取りの“取りきり”手法をとっている。
「豚骨を、より多く長く炊き込めばいいというものではありません。逆に引き算の感覚。状態を見極めながら火を止めるタイミングこそ重要なんです」と恵美子さん。中学生の頃からラーメン店を手伝っていたという恵美子さんはラーメン歴約60年のレジェンドである。また「三福」は創業時より麺も作っている。自家製麺の先駆けといってもいい。
長い歴史を経て、現在は福岡県・八女市蒲原に店を構える「三福ラーメン」。九州の豚骨ラーメンヒストリーに思いを馳せながら啜るとより味わい深く、趣きが増す。
瞳さん。本当にありがとうございました。
【三福ラーメン】
住所:福岡県八女市蒲原70-1
電話:0943-55-1119
時間:8:00〜15:00
休み:火
席数:33席(カウンター9、テーブル16、小上がり座敷8)
駐車場:16台(無料)