金属バット導入から50年で飛ばないバットに「原点回帰」?金属元年のセンバツはえらいことになっていた
秋の大会が終わってから、各校は例年と違う動きをしている。それは、今センバツから導入される新基準の「低反発バット」での練習だ。とにかく飛ばないらしい。そしてこのバットを使っての公式戦はセンバツが最初になるので、選手も指導者も戸惑いを隠せないのは当然だろう。
神宮大会で北海が果敢なチャレンジ
昨年11月の明治神宮大会で、北海(北海道)が新バットで戦った。北海道大会が終わってから、春を見越して、ずっとこの新バットで練習してきたという。不利になることを承知の上で果敢なチャレンジをしたが、作新学院(栃木)の好投手・小川哲平(2年)に9回3安打無得点と沈黙した(試合は延長タイブレークで敗北)。ネット配信で見ていても、明らかに打球音が違う。特に、芯を外れたと思われる打球は、低く鈍い音に聞こえた。当然のことだが、飛距離はかなり落ちる。それでも、公式戦で全国レベルの投手の生きた球を経験できたことで、選手たちは前向きに結果を受け入れていたようだ。
投手のけが防止が最大の導入理由
そもそも、なぜこの低反発のバットが導入されることになったのか?5年前の夏の甲子園で、岡山学芸館の投手が、ライナーを顔面に受けて骨折するという事故があった。また練習試合や校内の打撃練習でも、強烈な当たりを受けて大けがをしたり、死に至ったりした事例もあった。高校世代は金属バットの長所を生かそうと、選手たちの筋力強化に励み、その結果、打球速度や飛距離は大きく伸びたのだが、同時に「投手受難」という側面も抱えることになったのである。まずはけがの防止。そして打球減速、飛距離低下で、投手有利な状況をつくりだすための方策で、時代の流れからみればある意味、必然だったのかもしれない。
金属バット元年のセンバツは本塁打が飛び交った
近年、高校球界では球数制限やタイブレークなど、投手の負担を減らす策が次々と講じられてきたが、バット変更は運用面での方法論ではない。道具を変えるという、革命的な試みである。半世紀前の1974(昭和49)年夏から、甲子園では金属バットの使用が認められ、高校野球は大きく変わっていった。センバツで金属バットが初お目見えした49年前の開幕試合は、金属バット時代の幕開けを告げるにふさわしい試合となった。倉敷工(岡山)が中京(現中京大中京=愛知)を16-15という、それまでの高校野球では考えられないようなハイスコアで破ったのだ。両校合わせて29安打、3本塁打が飛び交う乱打戦。大会を通しても、前年わずか1本だった本塁打が、一気に11本まで伸びた。大会11号は、高知との決勝で出た東海大相模(神奈川)の原辰徳・前巨人監督の一撃で、左中間の最深部に飛び込んだものだった。
金属バット導入から50年で原点回帰?
以来、高校野球は、池田(徳島)のやまびこ打線に象徴されるような強打のチームが甲子園を席巻するようになる。金属バットの導入からちょうど50年。木製バットと同程度の飛距離とされる新バットでの戦いは、圧倒的に打撃優位だった高校野球をどう変えるか?今春は、高校野球の「原点回帰」の大会になるかもしれない。