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東京五輪のレガシー

加藤秀樹構想日本 代表
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

2030年7月、東京五輪が開催されて丸9年経つ。もう話題になることはない。

この9年間は、日本にとって激動の時代だった。

2013年に東京五輪が決まってしばらくはレガシーという言葉を度々聞いたが、開催の数年前から聞かなくなった。ともに語られていた「世界最高水準」「アスリートファースト」「都民ファースト」などのコピーも早々に消滅していた。

東京五輪の成功

考えると、五輪自体は悪くなかった。直前まで、当時世界中で猛威をふるっていた新型コロナの感染を恐れ、中止すべきだと言う声が強かった。

しかし政府は、日本人の意向など一切無視して突っ走るIOCに乗り、様子見だった東京都もなし崩し的に従った。

「やってしまえば国民は盛り上がる」と言ってひんしゅくを買った議員がいたが、その通りになった。私もその一人だ。コロナ感染拡大も、報道された限りではたいしたことなく終えることができた。

テレビ、新聞各社も五輪一色になった。

開催の2か月前に「五輪中止」を社説で訴えた大新聞も、オフィシャルパートナーとして盛り上げに努めた。国営放送はことさら五輪の正義を掲げ、美談と感動のドラマをたくさん流した。政府に批判的だったメディアの開催前1~2か月の間の五輪報道の変化ぶりは、200年前にナポレオンが追放先のエルバ島からパリへ戻るまでの、当時の新聞に書かれた彼に対する呼び名の変わり方を思い起こさせた。

「人食い・・・コルシカの鬼・・・暴君・・・ナポレオン・・・皇帝陛下」それにしても、フランス人は露骨だな!

日本人の仕事に対する誠実さと頑張りが、コロナ禍での東京五輪を「成功」させたのだ。かつての日本軍は「戦略」はないが「戦闘」には強いと言われた。五輪においても同じだった。

メディアと政治の世界では、メダルを獲った選手の話題がしばらく続いたが、一般国民の間では、五輪とコロナという自分たちでは避けようがない大きな出来事を終えて、肩の荷が下りたという雰囲気が強かった。

そして、その秋の総選挙では与党が順当に勝って政権は続いた。これは多くの国民の投票の結果なのだが、一方ではそのデジャヴ感への「うんざり」が人々の間に広がった。

2021年暮れにはワクチン接種もかなり行き渡り、以前の生活が戻ってきた。しかし、2年間に及ぶコロナ禍による生活への打撃と、何兆円という莫大な税金を使ったけれど、あっという間に終わった五輪とのギャップが、日本中に澱のように溜まっていた。

激動の始まり

「激震」が起こったのは翌2022年の秋だ。アメリカの金融政策の転換だとか、米中間の緊張が高まったとかいろんなことが言われ、金融市場が大揺れに揺れたのだ。

その大波を真正面から受けたのが日本だった。日本政府は世界最大の債務を持っており、前から財政危機が指摘されていた。一方で、いくら借金しても大丈夫だと言うエコノミストも政権近くにいたし、10年来何事もないから国民の間に危機感はなかった。それがついに来たのだ。長年増え続けて千兆円もの借金があるわけだから、政府は毎月のように兆円単位の借金の借り換えをしないといけない。それができなくなった。金融市場自体はまもなく平穏を取り戻したが、日本政府に対する信用が一気になくなった。国民からすると、昨日の自分と何も変わっていないのになんで、という感じだが、それがお金の世界の怖さなのだろう。

そんな状況だから、政府の事業もずいぶん減った。元々税収の倍ほどの事業を借金しながら続けてきたのだから、仕方ない。

五輪を担当した文科省やコロナ感染を担当した厚労省はじめ、官庁もずいぶん整理され、大臣も〇〇担当大臣というのはほとんどなくなった。

政党の再編やらなんやら、政治の世界もガラッと変わった。

そんなこんなであっという間に5年ほど経った。この間の庶民の生活は苦しかった。その前のコロナ禍の2年間で飲食店や観光業は大きいダメージを受けていたし、中小、個人の事業者はみな資金繰りが苦しかった。政府も手を打ったが、失業者や倒産は増えた。それでも政府の大変さほどではなかったのは、日本経済の地力なのかもしれない。

しかし、数年前から明るさが見えてきた。

今回の大不況で最も大きく落ち込んだのは東京だ。以前からオリンピック・バブルという言葉は時々聞いたが、要するに東京など大都会でそうだったのだろう。

ITやAIの流れは、この間も世界でも日本でも進んでいる。しかし、安直なソフト会社やコンサルはずいぶん淘汰されたみたいだ。結局人間が本気で考える方が良い知恵が出るのだ。そういえば、デジタル庁というのが当時鳴り物入りでできたが、その後音沙汰を聞かない。

コロナ禍で始まった東京から地方への転出は、この間に急増した。

田舎に就職口が多いわけではないが、農林水産業やその加工に携わる若者が増えた。少なくとも、自分の食いぶちはなんとかなるということだろうか。円の為替レートが大幅に安くなり、輸入品が値上がりしたから、国内生産が復活した面もあると思う。

レガシー・ショック

2022年に起こった財政危機は、いつからか「レガシー・ショック」と呼ばれるようになっていた。これが五輪のレガシーというのも寂しいが。

ともかく、「レガシー・ショック」後は、東京の人口は若者中心に減り続けている。コロナ禍でテレワークが広まったことにもよるが、最近はサラリーマンになりたくないという若者がずいぶん増えている。

その分、かつて「消滅可能性都市」と名指しされた町の中でも、過疎が進んでいた中山間地に元気が出てきた。どうも年寄りと若者の相性がいいらしい。

コロナ禍をきっかけにビジネスも行政もデジタル化がずいぶん進んだ。テレワークも定着し、何も家賃や感染リスクが高い大都会で窮屈な生活を続ける必要はない。欲しいものはネットで注文すればすぐ届くし、若者にとっては、家賃や食費がかからない田舎の方がよほど気楽でクリエイティブな生き方ができるのだ。

デジタル化が進むと田舎が元気になるというのは意外だった。

それにしても、東京五輪はすったもんだが多かった。

まず国立競技場。東京開催が決まる一年前からデザイン募集が行われ、その時の建設費が1,300億円。すでにシドニーやロンドンの競技場の倍近くの金額だったが、詳細が決まるにつれ3,000億円まで膨らんだ。当初からデザインの決まり方や周辺の再開発などが批判されてきたが、あまりの金額に2015年夏、安倍首相が白紙撤回せざるを得なくなった。

その後も大会エンブレムの盗作疑惑と白紙撤回、東京への招致をめぐる贈賄疑惑、そしてコロナ禍による一年間の延期。これで打ち止めかと思ったらまだ続いた。2021年になり、大会組織委員長森元首相が女性蔑視発言で交代、さらに開会式などの演出責任者も同様の問題で交代。政治家の不適切発言などキリがない。

これらの「すったもんだ」は、どれも「たまたま」ではないと思う。近代オリンピックが始まって100年以上。世界のアスリートたちが頂点を競ってきた。スポーツを愛するすべての人にとってまぶしい舞台だ。イベントとしてどんどん大規模になり、豪華になる。権威がつき、大きい利権も伴う。開催国の政治家にとっては格好の「国威発揚」と自己PRの場だ。ここに関わるデザイナー、アーティストたちには大いに「ハクがつく」。

これだけ巨大な「オリンピック・シンジケート」とでも言うべき事業体になると、何があっても不思議ではない。

ハクがついたり、お金がついたり、その他いろんなものがつくなら、汚職やスキャンダルももれなくついてきそうだ。

実行の責任者たちは「大物」や「成功者」だから、横暴、ハラスメントはつきものかもしれない。

政治家は莫大な税金、つまり他人の金を使って、自分の身分や名声や選挙を有利にしようとするわけだから、IOCなど実利を求める者からは足元を見られる。

関係者みんなが「いいとこどり」するつもりのうえに、IOC、JOC、組織委員会、政府、東京都・・・と複雑怪奇な寄せ集め体制だから誰も厳しいことは言わず、責任を取らないしくみになる。

そんなことの結果が「すったもんだ」のてんこ盛りなのだ。

そういえば、撤回されたザハ・ハディド案の国立競技場の施設についてこんなことを思い出した。トラックやフィールドなど競技機能に関する広さが2.4万。VIPラウンジなどのホスピタリティ機能が2万。

アスリートたちがフィールドで全神経を集中して競い合っている時に、IOCや組織委員会、政府の要人たちは同じくらい広いラウンジやレストランでホスピタリティに溢れた数週間を過ごす予定だったのだろうか。

東京開催の決めゼリフが「オ・モ・テ・ナ・シ」のように言われた時があったが、そういうことだったのか!万事特別扱いのあの「関係者」というのは一体誰なのだろう。

それにしても、コロナ禍で海外の選手たちは自由な行動も許されず、おもてなしどころでなかったのは申し訳なかった。もはや主役はアスリートでもなく、その熱戦を観る一般客でもないように見えるのが哀しかった。

五輪史上最高

こうやってみてくると、東京五輪の直接のレガシーは散々だった。しかし、だからこそ五輪自体が大きく変わり始めた。

度重なるスキャンダルで、IOCはじめ五輪の運営体制への批判が高まり、招致や運営はかなり透明で簡素になった。封建貴族のようなIOC幹部のふるまいや「関係者」に対する治外法権的な扱いは影をひそめ、スポーツ本来の姿に近くなった。

一部の放送会社の独占的な中継放送が事実上無効になったことも大きい。

これは「怪我の功名」だった。コロナ禍で、東京五輪は海外の観客受け入れをやめた。パブリックビューイング(PV)もやめた。一方、日本の観客たちがスマホで写真やビデオを撮り、ネット上にどんどんアップしたのだ。世界中に競技の様々な場面が溢れた。これまでのテレビ放送よりも選手の動き、表情がよく分かり、テレビ放送なんかいらないんじゃないかということになったのだ。

2024年のパリ五輪の頃には、世界中の競技場や広場やプールや海岸がPV会場になった。地元のジュニアアスリートや住民たちが、マラソンや競泳などを観ながらそれと競い合うように自分たちのゲームを楽しむようになった。大人たちは「オリンピックが民主化された」というようなことを言っていたが、若者中心に、オリンピックいやスポーツの楽しみ方が格段に拡がったのだ。

以前のように莫大な費用をかけて施設を建てる意味は小さくなり、2030年以降は途上国からの開催招致が増えた。この変化はスポーツ界全体が開かれることにもつながり、スポーツを通しての人々の交流、交歓が格段に広まった。

かつて文科省は国立競技場建て替え関連の予算の説明(行政事業レビューシート)の中に、その予算の「成果指標」として「過去最多のメダルの獲得」と記入して失笑を買ったが、今やこういったケチな国威発揚は全く流行らない。

もう一つの画期的な変化は、オリンピックとパラリンピックの一本化だ。私たちの日常生活や企業への影響も大きく、歴史的なことだったと思う。

レガシーをここまで広げて考えるならば、東京五輪のレガシーは五輪史上最高だ!

すべてこれから

窓の外を見ると紺色の空に月が輝いている。

どこからかピアノの音が聞こえてくる。

ん、、、寝てたのか?!

スマホを見ると2021年6月25日。夢だったのか!!

まだ呆然としているが、ともかくあの大変な数年間がなかったことにホッとした。

しかし、だんだん夢の後半のあのさわやかさ、解放感、東京五輪までは極度に欠けていたおおらかさや新鮮なエネルギーの感覚が甦ってきて、夢だったことにがっかりもした。

すべてはこれからなのだ。

構想日本 代表

大蔵省で、証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などに勤務した後、1997年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から立案・提言、そして実現するため、非営利独立のシンクタンク構想日本を設立。事業仕分けによる行革、政党ガバナンスの確立、教育行政や、医療制度改革などを提言。その実現に向けて各分野の変革者やNPOと連携し、縦横無尽の射程から日本の変革をめざす。

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