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横浜という街の歴史と文化の上に成り立つステージ――nuance(ヌュアンス)ワンマンライヴレポート

宗像明将音楽評論家
nuance(ヌュアンス)と劇団鹿殺しの峰ゆとり、近藤茶(撮影:梅原美侑)

私たちはなぜ郷愁を求めるのだろうか。なぜ暮らしてきた街に愛着を持つのだろうか。なぜ遠い街に思いをよせることができるのだろうか。なぜ存在しない街の物語に没入できるのだろうか。

そんなとりとめもない問いかけが脳裏に浮かんでは消えた。2019年4月25日に渋谷TSUTAYA O-EASTで開催されたnuance(ヌュアンス)のワンマンライヴ「nuance 2nd anniversary 4th oneman 4th minialbum『town』 レコ発ワンマンライブ~はじめましてヌュアンスです。~」でのことだ。

nuance(撮影:梅原美侑)
nuance(撮影:梅原美侑)

nuanceは神奈川県横浜市のアイドル・グループ。2017年に結成された。メンバーはmisaki、珠理、わか、みおの4人。全員が横浜市在住だ。

この日のワンマンライヴは、4枚目のミニ・アルバム「town」のリリースを記念したもの。「town」には、街に暮らす人々の息遣いが潜んでいる。港湾都市であり、さまざまな人々が行きかう横浜の日常を活写するかのような作品だ。

nuanceのみお(撮影:梅原美侑)
nuanceのみお(撮影:梅原美侑)

横浜の港湾都市としての歴史は、1853年のマシュー・ペリー率いる艦隊の横須賀への来航、つまり黒船来航にまで遡る。1858年の日米修好通商条約の締結は、横浜開港を決定づけた。現在の横浜の文化は、160年以上を経て育まれたものである。

さらに「town」という作品を語るときに、どうしても連想してしまうアルバムがある。はっぴいえんどの「風街ろまん」である。1949年に東京の青山に生まれた松本隆は、乃木坂、麻布、六本木、渋谷などで日々を過ごし、その一帯を「風街」と呼んだ。1971年にリリースされたはっぴいえんどのセカンド・アルバム「風街ろまん」は、見開きジャケットのアナログ・レコードで発売され、開くとそこには風街を走る路面電車が描かれていた。「風街ろまん」もまた街を舞台にした作品だ。

前置きが長くなった。しかし、豊かな文化とは、歴史の積み重ねのなかで成り立つものである。「town」と名づけられたnuanceのアルバムでは、横浜という港湾都市の歴史、日本のポピュラー・ミュージックの歴史が交錯する。そんな傑作を世に送りだしてから開催されたのが、この日のワンマンマンライヴだったのだ。

nuanceのmisaki(撮影:梅原美侑)
nuanceのmisaki(撮影:梅原美侑)

開演時間を迎えると、ふたりの男(演じるのは劇団鹿殺しの峰ゆとり、近藤茶だ)がステージに現れた。ひとりの男はフロアを眺め、何度も「おーい、入ってるってばー!」と、もうひとりの男に呼びかけるが、肝心のもうひとりはステージ上に置かれた多数の椅子を並べるのに忙しい。やがて、多くの人々がその椅子に座りにくる。

バンド・メンバーがステージに現れると、ふたりの男は挨拶を始めた。「ここの支配人のようなもの」だという。この日のライヴは、随所にふたりの支配人が現れることになる。支配人たちは、O-EASTを埋める人々に語りかける。

「みなさんが忘れられない景色ってなんですか?」

次の瞬間、「town」の冒頭を飾るポエム・リーディング「town」が流れだし、ライヴは幕を開けた。4つの大きな白い幕がステージに登場し、それが床に落ちると、そこいたのはがセーラー服姿のnuanceの4人だった。

この日の演奏は、佐藤嘉風(彼はnuanceのサウンド・ディレクターだ)、斎藤渉、Uからなるバンド・NIHONGO DANCEと、辰己裕二郎、奥泰正、しんいちろうからなるバンドによるもの。ふたつのバンドがDJミックスのようにノンストップで演奏していく。そのふたつのバンドの間に、パーカッションとトランペットの西岡ヒデローが位置していた。

nuanceのわか(撮影:梅原美侑)
nuanceのわか(撮影:梅原美侑)

nuanceは、NIHONGO DANCEの「tomodachi」をカヴァーしている。横浜という街のエスノグラフィーを歌うかのような歌詞は、中華街を擁する横浜の香りを強く感じさせる。マーティン・デニーの「ファイアークラッカー」をエレクトリックにカヴァーした細野晴臣の視点や、バート・バカラックとハル・デヴィッドが作ったボビー・ゴールズボロの「Me, Japanese Boy」を日本語でカヴァーした小西康陽の視点と同質のものだ。

「byebye」の演奏が始まった瞬間、支配人たちがnuanceのセーラー服を剥ぎとったかと思うと、その下には黒いドレスが。プロデューサーのフジサキケンタロウによれば、リハーサルで1回しか成功しなかった早着替えが、本番で成功した瞬間だった。

「セツナシンドローム」が始まったかと思うと、ラップグループの絶対わすれるながステージに登場。コラボレーション楽曲「ぜっなシンドローム」を披露した。

「sanzan」では、西岡ヒデローのパーカッションが演奏にラテンのニュアンスを加えていく。

nuanceの珠理(撮影:梅原美侑)
nuanceの珠理(撮影:梅原美侑)

そして、nuanceが逃げるかのように走り去り、支配人たちが椅子を並べると、再びnuanceがよろよろと出てきて、少し踊ったものの倒れてしまう。この日のステージには劇団鹿殺しのメンバーが参加し、演出は劇団鹿殺しの浅野康之が担当。演劇性も濃いステージだった。

nuance(撮影:梅原美侑)
nuance(撮影:梅原美侑)

「ミライサーカス」は、横浜みなとみらい21に来るサーカスをイメージした楽曲だと、佐藤嘉風は語っていた。横浜みなとみらい21は1980年代から再開発が行われた地区であり、私は1989年の「横浜博覧会」、1991年以降の「ウォーマッド横浜フェスティバル」もリアルタイムで体験してきた。そうした経済と文化の集積地から生まれたのが「ミライサーカス」だった。

「タイムマジックロンリー」は、nuanceの知名度を上げた楽曲だ。舞台になっているのは横浜クリフサイド。1946年にオープンした、現役のダンスホールだ。nuanceは、2017年に2度目のワンマンライヴをクリフサイドで開催してから、フェス「フェヌュ」も開催してきた。nuanceはクリフサイドをめぐる時空を行き来し、それは異様な情報量を誇る楽曲を生みだした。

本編ラストは「wish」。nuanceがこの楽曲を歌うとき、山下公園から臨む海に沈む夕陽を連想してしまう。さらに、この日は西岡ヒデローのトランペットが響いた。

nuanceが歌い終わると、支配人たちはステージ上の多くの椅子に白い幕をかけた。それは白く光り、見る者にあるものを想起させる。このワンマンライヴのフライヤーに描かれていた街、つまり「town」だ。

アンコールの伴奏は斎藤渉のキーボードのみ。再びセーラー服を着たnuanceは「からくれない」を歌った。

からくり仕掛けの観覧車

静かに眠る赤煉瓦

カラフルな思い出だけを

かき集めても 届かない

大人になれない

出典:nuance「からくれない」

nuanceとは、横浜という街の歴史と文化の上に成り立つユニットだ。私は、nuanceのようなアイドル・グループが神奈川県から登場するのを、生きている間にもう一度体験することができるのだろうか? しかし、nuanceと同時代を生きられたことを幸運だと感じるし、この一度きりでも良いとも思う。

「nuance 2nd anniversary 4th oneman 4th minialbum『town』 レコ発ワンマンライブ~はじめましてヌュアンスです。~」は、横浜に根ざしながらも、横浜ではないどこかの街の物語としても成立しているステージだった。言い換えると、それは「普遍性」と呼ぶべきものを獲得していたのだ。それが、見る者にとっての「忘れらない景色」を、それぞれに浮かびあがらせていた理由なのだから。

nuance(撮影:金丸雅代)
nuance(撮影:金丸雅代)
音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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