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アイドルをやりきった感覚があったーー鹿目凛でんぱ組.inc解散直前インタビュー

宗像明将音楽評論家
鹿目凛(筆者撮影)

でんぱ組.incが2025年1月4日、5日に幕張イベントホールで開催される「でんぱ組.inc THE ENDING『宇宙を救うのはきっと、でんぱ組.inc!』」をもってエンディングを迎える。そのメンバーである「ぺろりん先生」こと鹿目凛は、2014年にアイドルとしてデビュー。アイドルオタクのイラストを積極的に投稿して人気を博し、2017年にはでんぱ組.incに加入した。そして、でんぱ組.incの解散後は、アイドルとしての活動はしないと明言している。そんな鹿目凛にとって、10年にわたるアイドル生活とはどんなものだったのだろうか。12月25日に2nd写真集『beautiful journey』の発売をひかえた鹿目凛に話を聞いた。

鹿目凛(筆者撮影)
鹿目凛(筆者撮影)

アイドルを始める前は人間に興味がなさすぎた

――アイドル活動を始めるまではどんな学生生活をしていたんですか?

ぺろりん 中学のときは、友達はすごく好きだったんですけど、本当に朝、起きられなくて。だからお昼に学校行くと、みんなは午前の授業を受けてから、ご褒美として給食を食べてるわけじゃないですか(笑)。ちょっと他の人からしたら「ずるい」みたいなのもあるじゃないですか。それで私、給食泥棒って言われるようになって(笑)。最初は男子からいじられてて、それは笑いに変えてたんですけど、だんだん女子サイドからいじられると「ガチっぽいな」みたいな。そういうのもあり、「遅刻するぐらいだったら行きたくないな」みたいになっちゃって。それで少し不登校が続いて、インターネットをしたり。

――高校は夜間に進学しましたね。

ぺろりん そっちは夜なんで自分が元気な時間なんですよ。だから欠席なしで(笑)、しっかり真面目に通ってて、昼にアルバイトも始めて、夜は学校に行くみたいな。ちょっとずつ成長が見られるような感じの生活を送ってました。

――そして、2014年にアイドル活動を始めたわけですね。

ぺろりん まだ高校に通ってた頃で、土日はライヴに出られるんですけど、平日の夜だとなかなか出られないっていうのもあって。アイドルのほうをがんばりたくて、高校を辞めたんです。

――中学生で不登校になったときからアイドルになりたい気持ちはあったんですか?

ぺろりん 芸能界に憧れを持ってて。でも、オーディションっていう発想がなくて、だから原宿にスカウトされに通ってたんです(笑)。最初、芸能界に憧れを持ったとき、きっかけとしてでんぱ組もあったんですよ。お母さんに、でんぱ組みたいな芸能人になりたいんだって言ったら、でんぱ組の事務所に「入れてください」みたいな電話をかけようとしてて(笑)。でも、当時は「W.W.D」をやっていて、AKB48さんみたいに入れ替わりもないだろうから、別のグループからやってみて、いつか共演できたらいいなみたいな感じで始めましたね。

――アイドルになった当時はどんな感覚でしたか?

ぺろりん えー、思ったのと違いました。デビューしたら、すぐ満席でお客さんがたくさんいると思ったんですけど、お客さんよりメンバーのほうが多い日もあって。すごく印象的だったのが、当時、新木場COASTでアイドルフェスがあったんですよ。お父さんに会場まで車で送ってもらっているときで、「この会場すごくない!?」って、新木場COASTのメインステージの写真をお父さんに見せたんですよ。でも、行ったらDJステージで、お客さんが3人ぐらいしかいなくて、10分くらいのパフォーマンスだったんですけど、誰ひとりとも目が合わなくて(笑)。そのときにお父さんにちょっと恥ずかしい姿を見せてしまったみたいな印象があって、現場を知る前とギャップがすごかったですね。

――そういう状況から、2015年にはTwitterでのイラストが人気になって「ぺろりん先生」として知られるようになりましたね。『アイドルとヲタク大研究読本』シリーズは3冊も出ています。自分が知名度を獲得していくのはどんな感覚でしたか?

ぺろりん イラストを描けて良かったなというか(笑)。アイドル始める前もイラストを描くのがすごく好きで、中学校のときも修学旅行とか体育祭とか、いろんなイベントのしおりの表紙を描かせてもらってて、絵にはめちゃくちゃ自信あって。最初は美少女絵やアニメ絵みたいな等身の高い絵を描いたけど、バズったりしなかったんですよ。でも、等身を低めにしてアイドル業界を描いたらバズったんで、「今、描いてるものがニーズに合ったんだ」みたいな。運も良かったなみたいな嬉しさもありましたね。

――今もオタクのイラストを描いていますよね。フロアで後ろを見るオタクのイラストとか、よく思いつくなと感心しました。

ぺろりん 私はアイドルを始める前は、本当に自分以外の周りの人間に興味がなさすぎて、でもアイドルになってからオタクっていう生物に興味が湧きはじめたというか(笑)。人とは違う……って言ったらちょっと語弊が生まれるかもしれないけど(笑)、ある種、別の人種というか、そこから「オタクにもそれぞれ気持ちがあるんだな」みたいな(笑)。

――オタクを人間ではない何かとして見ていますよね。

ぺろりん そういう節もあるし、でも人間だし、どっちのバランスもあるからこそ絵がバズってくれたのかなって。よく「イラストもいいけど、着眼点がいいよね」って言ってもらえるんです。私は、もともとアイドルを始める前も周りから変わり者みたいな感じで言われてて(笑)、人と見る目線が違うところがうまく活かされたのかなって。

鹿目凛(筆者撮影)
鹿目凛(筆者撮影)

でんぱ組.inc加入、不安要素はぶりっ子でかき消した

――そして、2017年12月30日にはぺろりんがでんぱ組.incに加入します。加入を打診されたときはどう感じましたか?

ぺろりん えー、なんか夢かなみたいな(笑)。「こんなシンデレラストーリーがあるんだ」って、びっくりしましたね。それまでもファンの人にはアイドルとしてストーリーを見せたいって思って活動してたから、ファンの人にまたひとつすごいストーリーを見せられるみたいな嬉しさもありましたね。「びっくり」と「嬉しい」が最初に来たけど、でも不安ももちろんありました。

――その不安はどうしたんですか?

ぺろりん やっぱり「考えてもしょうがないからやるしかないかな」みたいな感じで(笑)、とりあえず今求められていることを精一杯やるみたいな感じで、不安要素はぶりっ子でかき消しました(笑)。当時ねもちゃん(根本凪)も一緒だったんですが、ねもちゃんは年下だし、私に頼ってくれる部分もあったんで、私がもともと長女っていうのもあるし、「私がしっかりしなきゃ」みたいなのもあって。ねもちゃんにいろいろ支えられる部分もたくさんあったんですけど、自分も「守りたい」みたいな気持ちもあったし、相方がねもちゃんだからやれたっていう部分もすごく大きいです。

――加入ライヴではさまざまな反響がありましたが、どう受けとめていました?

ぺろりん 「Dear☆Stageへようこそ▽(▽=ハートマーク)」でコートを着て眼鏡をつけて出たんですけど、そのときやっぱりザワザワしてたらしくて、「帰れ!」みたいな罵声を飛ばしてる人もいたみたいで(笑)。それを後から聞いて、イヤモニをつけてて良かったと思ったんです。たしかにしんどかったけど、それ以上に、というか数は半々かもしれないけど、守ってくれる人がいて。ねもちゃんもいたし、先輩も守ってくれたし、スタッフさんもそうだし、既存のファンの人も受け入れてくれた人もいたし、それが支えで。自分も正直、耳を傾ける余裕もなくて。ダンスとか歌とか、覚えることがたくさんあって、もし余裕があったら、そっちに意識が行っちゃったと思うので、ちょうど良かったなと思います。

――2018年9月23日には所属していたグループが解散しました。解散が決まった直後の取材で、ぺろりんは解散に納得していませんでしたが、どう折り合いをつけたんですか?

ぺろりん 自分の解散したくない気持ちもあったけど、「しょうがないことなのかな?」みたいな。自分が一番子供なんですけど、みんなもお年頃だし、ご心配、ご迷惑をおかけしました……。ずっと同じメンバーでやってきたから、私も「このメンバーじゃないと やる意味ないかな」という気持ちはあって。当時どうやって折り合いをつけたかあんまり覚えてないから、たぶん解散してから数年ぐらいはずっとモヤモヤしてた気がしますね。解散ライヴのときに、自分の中で100%けじめをつけたみたいな記憶がないから。

――2019年にmeme tokyo.(現:ミームトーキョー)に期間限定加入して、2019年には根本凪さんとの「ねもぺろ from でんぱ組.inc」も始動しました。多くのアイドルを兼任してみるのはどんな感覚でした?

ぺろりん 試練みたいな感じでしたね(笑)。

――ぺろりん的に「さすがにこれしんどいだろ」みたいな感覚ってありましたか?

ぺろりん 物理的に覚えなきゃいけないことがたくさんあるし、実際しんどいことも多かったです。でも、ちょっと言い方が難しいんですけど、兼任をしたら今までになかった考え方も生まれてきました。他の子よりも持ってるグループが多いじゃないですか。だから「私このぐらいがんばってるんだから、これしてくれたっていいじゃん」みたいな気持ちにもちょっとなってきちゃって(笑)。でも、「そんなんじゃダメだ」みたいな気持ちもあって、自分との戦いみたいなのが(笑)、ちょっとつらかったかな。Yumiko先生(当時のでんぱ組.incの振付師/プロデューサー)にたくさん話しを聞いてもらって。人間的にも当時はまだまだ未熟だったから、「こんな気持ちになりたくないのに」みたいになっちゃって。meme tokyo.の「メランコリックサーカス」のMV撮影でYumiko先生からめちゃくちゃ怒られたことがあって(笑)、前のスケジュールとかでバタバタで、楽屋の使ってない椅子をかき集めて、真ん中で寝てて(笑)。meme tokyo.はアイドルを始めたての子もいたから、先輩がそういう姿を見せちゃいけないよって(笑)。それで私も反省しました。

――そういう時期もあったと。

ぺろりん 前のグループのときでもそういう自分の嫌なところってめっちゃ出てたと思うんですよ。meme tokyo.に入って自分に直接言われて、自分のダメなところをすごく自覚するようになって、meme tokyo.のサポートメンバーをやめてからは「自分はこんなにがんばってるのに」と思わなくなりましたね。

――2021年にでんぱ組.incが10人体制になったときはどう感じていましたか?

ぺろりん 私的に新体制になってからがすごく楽しかったなって思います。今まで自分が後輩メンバーだったけど、後輩メンバーがたくさん入ってきてくれたことによって、自分の性質的に先輩っていう立場のほうがやりやすさはあったし、グループの雰囲気が変わったというか、なんか「ウェーイ!」みたいな(笑)。

――根本凪さんが2022年にでんぱ組.incを卒業したときは、どういう感情でしたか?

ぺろりん 急に、っていうよりは前兆みたいなのがあったから、「いろいろ難しかったのかな」みたいな気持ちはあったりして。ねもちゃんが抜けるまではセットみたいな感じで、グループで一番頼ってた存在でもあったから、どこかで長年付き合ってたカップルみたいな感じになってたんですよ(笑)。「このまま一緒にいて頼ってばかりじゃいけない、自分も成長しなきゃいけない時期だから」っていう気持ちで、ちょっと気持ちを置いてた感じでした。

――長年付き合っていたカップルが別れるかのように。今は大丈夫ですか?

ぺろりん 今はしっかり未練なく(笑)。

――それ以降のメンバーの卒業はどう受けとめていました?

ぺろりん メンバーが抜けて寂しい気持ちはあるんですけど、それまでにも先輩が抜けたり、ねもちゃんが抜けたりもあったから、ドライに聞こえるかもしれないんですけど、毎回メンバーが抜けて落ち込んでたりしたら、メンタル的にも続けられない部分があったんで、割り切って「一緒に活動は続けられないけど、それ以外で遊びに行ったりもできるし」みたいに思ってました。

鹿目凛(筆者撮影)
鹿目凛(筆者撮影)

今、言えるな

――2022年には、アスペルガーであることを公表したり、家族について公表したり、いろいろ自分についてファンに伝える機会がありましたね。今がそのタイミングだと感じたんですか?

ぺろりん 感じましたね。同時期にDEMPARKツアー(『お前らDEMPARKまで行くんだろ?乗りな!』)で独白をやるタイミングがあって、「自分は何を話そうかな?」と日々考えてて、ふと「今、言っても大丈夫だな」みたいなタイミングがあって。それまでは、アスペルガーは友達にも言ってなくて、本当に家族しか知らなかったんですよ。ちょっと昔に言ってたら、言い訳みたいになっちゃうなって思ったけど、今だったらそれを乗り越えて「今こうやって前向きに思ってる」って、ちゃんと力強く言えると思って、信頼を置ける人にいろいろ相談したりして。

――自分の中では、アスペルガーであることが活動に影響を与えていると思う部分もあったんですか?

ぺろりん あったと思います。前のグループでの活動中は、特に人に興味がないし、人の気持ちがわからないし、すごく嫌なこともたくさん言っちゃってたと思うし、空気も全然読めなかったし。病気じゃなくて障害だから、治るもんじゃないんですよ。でもそのうえで、変えられない部分もあるけど、変えられる変数は今まで精一杯やってきたから、だからこそ「今、言えるな」みたいな気持ちになって決めましたね。

――反響はどうでしたか?

ぺろりん いろんな意見があって、それこそ全然気づかなかったっていう意見もあれば、そうだと思ってたみたいな意見もあったし(笑)。それこそ、「私も今までアスペルガーを認めたくなかったけど、ぺろりんが話してくれて、改めて病院に行ってみようと思った」という声もあって。あと印象的だったのが、私のファンの方のお子さんがアスペルガーで、「生きていくの大変なんじゃないかと心配だったんだけど、ぺろりんが強く明るく生きてる様子を見て、きっと大丈夫だと思った」という声もあって。そういう声がすごく多かったので、公表して良かったなって思いますね。

――それは、ぺろりんがファンの人が生きやすくなる助けになったということじゃないですか、すごいことですよ。家族のことについての反響はどうでしたか?

ぺろりん 「いいお母さんだね、いい家族だね」みたいな。お母さんは、私が道も迷うし、アイドルとして社会に出すことがすごく不安だったけど、ファンの人が私のためにライヴハウスに行くまでのルートを写真付きでファイルにしてプレゼントしてくれて、それを見て大丈夫だって思ってくれたらしくて。だから、お母さんもファンの人のおかげで大丈夫だって思ってくれたし、ファンの人もそういうエピソードを見て「ぺろりんを育ててくれてありがとうございます」みたいに、どっちも親みたいな感じです。

鹿目凛(筆者撮影)
鹿目凛(筆者撮影)

写真集は走馬灯を思いだしながら撮った

――そうやってアイドルを続けてきて、2024年にでんぱ組.incのエンディングが決まったとき、どういう気持ちでしたか?

ぺろりん エンディングを迎えるきっかけとして、あおにゃん(空野青空)が卒業する時期(2024年1月13日)と同じくらいに、私も卒業する世界線もあったんですよ。前のグループは自分の意思じゃない解散だったんですけど、今回は自分が卒業したいっていう話をして、他のメンバーの意見を聞いて、じゃあみんなでエンディングを一緒に迎えようっていう感じになったんです。だから、ちゃんと自分の意思もあるエンディングだから、前のグループの解散とでんぱ組のエンディングとは、自分の中では違う終わり方というか。

――ぺろりんがでんぱ組.incを卒業しようと思ったきっかけはなんだったんですか?

ぺろりん 芸能活動は続けていきたいなって思ってて、でんぱ組で活動中はアイドルだからアイドルの仕事がメインで、その他のやりたい個人の仕事の優先順位が低くなってしまうっていうのもあったし。あと、自分のアイドル精神寿命も「もうそろそろだな」って自覚してきたタイミングとか、いろいろあります。そういうことをいろいろ考えると、これをあと5年10年やっていくのはメンタル的に厳しいし、そういう気持ちでアイドルを続けるのは難しいかなと思ったりして。

――ぺろりんの理想のアイドル像と、それをやっていく個人の内面に乖離が生まれた?

ぺろりん 自分の理想のアイドル像があって、でも「それになれない、これを続けていっても、それは理想じゃないな」みたいな。それだったら、別の自分の理想を見つけていくほうがいいなというのがあったと思います。

――ぺろりんにとってはでんぱ組.incをやりきった感覚がありましたか?

ぺろりん ありました。自分の中で、ファンのみんなにできることもやれたし、グループとしての自分のポジションでアイドル、でんぱ組をやりきった感覚があって。だから、「やりきったうえで続けてっちゃダメだな」みたいな気持ちがありました。

――アイドルとしての活動も最後と言いきっているじゃないですか。今後は何をするんですか?

ぺろりん もふくさん(もふくちゃん/プロデューサー)にも相談してるんですけど、タレント業や女優さんとかいろいろあったんですけど、本当に向いてることなのかなとか、やりたいことなのかなみたいなところもあって。今の段階では、「こう売れたい」とかじゃなくて、「これをやって結果的にこうなった」みたいな方向性にしたいなと思ってて。今は自分が得意であるイラストと並行して、YouTubeもすごく好きなんで、うまく自分のやりたいことと世間の需要が交わるコンテンツを作りたいなって思ってます。あと、一個やりたいことがあったりします。

――それはどんなことでしょう?

ぺろりん 今まで個人でやってきたグラビアとか女優さんは強化できたらいいなとは思ってるんですけど、YouTubeで私がいろんな人のお仕事を密着したり体験したりする動画をやってみたいなと思ってて。それこそ私も「アイドル卒業後にどうなっていくんだろう?」みたいな感じで、芸能がダメだったら他の仕事をしたりする世界線もあるし、自分の将来を幅広く考えたときに、一回いろんなものを経験、体験したい気持ちがあったりして。それを最終的に得意のイラストでまとめて本にしてみたいなとか。前に宮古島に行ったときに、芸能を辞めたら宮古島に移住するのもありなのかなって(笑)。でも、働き先ってどこなんだろうって調べたらリゾートバイトを見つけて、バイトで従業員として働くっていうよりは、バイトのシステムビジネスにちょっと興味が湧いてます。でも、やっぱり今は表に出る仕事もしたいし、せっかく今まで培ってきた芸能経験を持ってるんだから、それとイラストも武器にして、今の時代に自分が適応できるのかを探っている途中です。自分が「アイドル卒業後って何ができるんだろう?」みたいな感じで、真っ暗になってた部分があるから、人生にはいろんな選択肢があるんだよみたいな(笑)。

――アイドル卒業をひかえた12月25日に発売される2nd写真集『beautiful journey』は、撮影するときもかなり強い気持ちが込められたのでは?

ぺろりん やっぱり今回の写真集はアイドルラストっていうことで、ファースト(『ぺろりん』)のういういしい感じより、今までいろんなことを体験してきて生きてきた成長みたいなものを見せたかったので、いろいろ走馬灯を思いだしながら撮った感じです。

――死なないでください!

ぺろりん ある意味、一回死ぬので(笑)。でも、一回死んだらまた新しく生まれるんで、そういう気持ちです。今回はファーストを超えたいということで、海外にも挑戦させていただいたし、露出の面でも過去イチをギリギリ目指していきたいっていうのを編集者さんと相談して、ドキドキするショットもあると思います(笑)。徳間(書店)さんの方も一緒に考えてくださって、その結果すごくいい塩梅でめっちゃセクシーだと思います。

――タイでの撮影はどうでした?

ぺろりん めっちゃ楽しかった。海外でグラビアを撮るのは初めてだったんですよ。海外の独特なカラフルさがすごく魅力的で。タイに行くまで、ちょっと自分は日本にいた歴が長いから適応できるかなって心配してて(笑)。

――タイに在住してないですからね。

ぺろりん ちょっと緊張、不安はあったんですけど、行った瞬間からトゥクトゥクに乗ってめっちゃ楽しくて、そこで開放的になれたんですよ。だから一肌脱げた場所でもあったんで、そこで写真集が撮れるっていう意味付けもあっていいなと思って。

――写真集が出たら、10日後にはもうでんぱ組.incのエンディングライヴですね。10年アイドル活動をしてみて、忘れないことは何ですか?

ぺろりん うーん……オタクの笑顔(笑)。

――いいですね。

ぺろりん 私、花火が好きなんですけど、花火を見てる人の顔のほうがもっと好きなんですよ。それと同じ感じで、ステージもすごくキラキラしてるけど、そのステージを見てるファンの人の顔がすごく好きで。オタクって、オタクじゃない一般男性と比べたら、動きが大人じゃないじゃないですか。オタクじゃないと、大人になってから楽しく騒いだりできないし、それを特等席で見れたのはアイドルやっててすごく印象だし、一番楽しかったな。

――人に興味を持てなかったぺろりんが、オタクを通して人に興味を持てるようになったのはいい話ですよ。

ぺろりん そうですね、オタクのおかげで人に興味が(笑)。

――最後に、2014年にアイドルになったときの自分に、今のぺろりんから声をかけるとしたら、なんて伝えたいですか?

ぺろりん 当時、将来に対して不安とかあんまりなかったんですよ。でも、いろいろ感情的にもなってたし……がんばるといいことあるよ、みたいな(笑)。ちょっと匂わせ(笑)。

――がんばっていいことがあった?

ぺろりん うん、あったあった! むしろ自分のがんばり以上にあったなって思います。

鹿目凛(筆者撮影)
鹿目凛(筆者撮影)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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