不審者の前に被害女性を置き去り…… 都内大型書店でのトラブル対応の謎
もし目の前で性犯罪、もしくは性犯罪と疑われることが起こった場合、あなたはどのように対処するだろうか。実際に起こったケースから、その対応を考えてみたい。
「痴漢」と聞いたときに、その発生場所について「電車内」と想像する人が多いだろう。
実際に、迷惑防止条例違反で摘発された痴漢の場所別割合は、「電車」(54.0%)「駅」(18.2%)。しかし一方で、「店舗内」(11.4%)「商業施設ビル」(1.7%)でも起こっている。
強制わいせつ(下着の中に手を入れる、陰部を押し付けるなどの犯行)については、「道路上」の割合が最も多く、32.7%。一方で割合は少ないが、「飲食店」(1.5%)「商店」(1.4%)。※「都内における性犯罪(強姦・強制わいせつ・痴漢)の発生状況(平成27年中)」 (警視庁)
※警視庁HP「都内における性犯罪(強姦・強制わいせつ・痴漢)の発生状況(平成27年中)」より引用
警視庁生活安全総務課に問い合わせたところ、「店舗内」「商業施設ビル」「飲食店」などで起こる性犯罪について、店舗・施設内の「トイレで起こることが多い」という回答だった。
店舗内や商業施設は、基本的に無人ではなくむしろ賑わっている場合も多い。「ここで性犯罪なんてまさか」と考える人も多いだろう。しかしそういった場所にも死角はある。
■都内大型書店トイレで起こった事件
以下は、実際に不審者に遭遇した女性に取材した内容をまとめたものだ。
榎本恵さん(仮名)は今年の3月、昼の時間帯に新宿にある大型書店に入った。月に2~3回は足を運ぶことから、馴染みのある店内。店内を一通り見てから2階フロアにある女性用トイレに入ったときに事件は起こった。トイレ内に1つしかない個室から出ると、目の前に赤いダウンジャケットを来た若い男が立っていたのだ。
榎本さんは驚いたが、男はすぐに出て行ったため、「間違えて入ってしまったのだろう」とあまり気に留めなかったという。しかし、榎本さんが手を洗っていると、同じ男が再び入ってきた。
「何ですか?」と聞いたが、男は何も言わずに向かってくる。すれ違うことのできないほど狭いトイレで奥に逃げることしかできず、男性が目の前まで来たとき、恐怖にかられながら「人を呼びますよ!」と叫んだ。
その声を聞いて驚いたのが、男は踵を返して去っていった。
「怖くてパニックでしたが、逃がしたらいけないと思ってトイレから出て追いかけました。まず、すぐ近くにいた男性店員に声をかけました」
突然のことにショックを受けていた榎本さんだが、その後の店員の対応にも驚くことになった。
「今、女性トイレに男性が入ってきたんです」と説明する榎本さんに対して、男性店員は反応が鈍く、「きょとんとしていた」という。
「私が何を言っているのかわからない顔をしていました。『痴漢じゃないかと思うんですけど』とはっきり言うとやっとわかったようでしたが、『しばらくお待ちください』と言って、なぜか違うフロアへ行ってしまいました」
早く男を追わなければ逃げられると焦る榎本さんには、店員が戻ってくるまでの数分が非常に長く感じられた。その後、ようやく戻ってきた店員と2人で、ちょうど店から出ようとしていた赤いジャケットの男と、連れの男性2人を見つけ声をかけた。
■立ちすくむ女性に「あんた何なの?」
男性店員が「話を聞きたいので事務所までよろしいですか」と声をかけると、男はすぐに謝罪。「トイレを我慢できなかった」というのが女性トイレに侵入した理由と語ったという。
榎本さんはその説明では納得できなかった。
「上のフロアには男性用トイレがありました。2回も入ってきて、2回目はこちらを見ながら向かってきたのに……。もう少し事実確認をしたかったので、『もう行っていいですよね』と言う男性に向かって『待ってください』と言いました」
その榎本さんの様子を見て、男性店員は「警備員を呼んでくる」と言い、その場を離れてしまった。
「びっくりしました。男たち3人がいる場に、私だけ1人で残されて。思わず後ずさりしました」
それからさらに男は信じられないような態度を取った。男性店員がいたときはペコペコと頭を下げていたのに、榎本さんが1人になったのを見ると、ヘラヘラと笑いながら
「あんた何なの? 何がしたいの?」
「あんたになんか興味ねーよ」
と言い放ったのだという。さらに、榎本さんが「悪いと思ってないでしょう?」と聞くと、「ぜーんぜん」。他の2人も笑いながらその様子を見ていた。そしてそのまま、歩き去ってしまった。
「走って逃げるでもなく、悠々とした足ぶりでした。こちらが1人だから追いかけられないとわかっていたんだと思います」
警備員を連れて戻ってきた男性店員は、男たちが立ち去ったことをあっけにとられた様子だったが、榎本さんは驚く男性店員のほうが信じられなかったという。また、やってきた警備員からは、こう言われた。
「何もされなかったんでしょう?」
「直接の被害がなければ警察を呼んでも仕方ない」
結局、その日は警察を呼ばずにそのまま帰宅した。
「家に帰っても悩みました。男の取った行動がどう考えても腑に落ちない。でも2度トイレに入ってきたことと、トイレ内でこちらに向かってきたという事実以外は何もないので、わからない。覗きなのか盗撮を仕掛けようと思ったのか……、疑いはあるけれどはっきりしていません」
事実確認ができなかったというもどかしさを感じ、男を逃がしてしまった店員の対応に改めて疑問を感じた榎本さんは、書店の本部宛にことの顛末をつづったメールを送った。
すぐに店長名で返信があった。内容は榎本さんに対する謝罪と反省、さらに「非常時の対応マニュアルを改めて整備し、従業員・警備員への指導・教育を徹底して参ることをお約束」するという内容がつづられていた。
■書店「お詫びをし、終了した案件」
店長の対応を「誠実」と感じたという榎本さん。しかし、もし男が常習犯であった場合を考えると、「これで良かったのか」という思いはぬぐえない。新宿警察署の生活安全課に相談したが、「何もされていないのであれば被害届の受理は難しい」と、思った通りの反応だった。
榎本さんは言う。
「実際に『何もされていない』ので、被害を訴えられないということはわかります。けれど、狭いトイレの中でとても怖い思いをしたのは事実です。『不快』ではなく『恐怖』でした。その感覚は男性にはわかってもらえないことなのかもしれない。逆に男性トイレに女性が侵入したとしても、(力に差があるので)男性は身の危険を感じるような感覚をそれほど持たないのではないかと思います」
この件について、書店が今後どのような「指導・教育」を行うのかや、これまでに盗撮などの対策を行っていたのかを取材しようとしたが、広報担当者名で返ってきたメールは次のような回答だった。
「本件はお客様に対してお詫びをし、終了した案件でございます。
したがいまして、 本件に関しての取材には 対応いたしかねることを ご了承くださいますようよろしくお願いいたします」
■書店側は、どう対応すれば良かったのか
榎本さんの言う通り、実際に男が何をしようとしたのかはわからない。「未遂」の案件である。しかし、書店側の対応が不充分だったことは確かだろう。榎本さん自身、「(他の)書店で下半身を露出している男性を見たことがあり、書店の狭い通路ですれ違いざまにお尻を触られた知人もいる」と言うように、死角の多い書店での性被害を直接、間接的に聞いたことは私も何度かある。繁華街の大型書店として、そういったリスクも考えて警備員を配置しているのではないのか。言うまでもないが、店には客の安全を保障する責任がある。
話はそれるが、つい最近、ツイッター上でアイドルの女性に対し、「交通機関には痴漢を予防する責任はない」と発言していたユーザーがいた。そのような認識の人がいることが驚きだったのだが、他のユーザーがすぐに「交通機関には契約(切符を買った)したときに、安全に、客が犯罪に巻き込まれることなく、客を目的地まで送り届ける義務が発生しているので、痴漢対策を行うのは当然のこと」と指摘してくれた。逆に言えば、「加害者が悪いので」という理由で犯罪についての対応や対策を取らないようなサービス提供者がいるとしたら、客はその店を利用するだろうか。
さてこの場合、被害者保護の観点から、書店側はどのような対応を取るべきだったのか。
被害者支援都民センターで性犯罪などについてのカウンセリング対応を行う臨床心理士の鶴田信子さんは、「このケースでは双方を事務所に連れて行くとよかったのでしょう。被害者保護を優先にすれば被害者を連れて行くべきですが、相手に逃げられます」と話す。
同じく性犯罪被害者対応を行う精神保健福祉士の古内真望子さんは、「被害者の安全確保が第一というのが普通だと思うのですが、現実はそうではないことが今回の件でよくわかりました」。さらに、「もしこれが交通事故や強盗だとしたら、きっと被害者に対して『怪我の程度は』『現状が安全か』、すぐに確認しますよね。今回の件のような未遂や『覗き』『露出狂』といった被害側の見た目に害のないものでは、わいせつ行為をぼかしたイタズラ程度に受け取られてしまうのが現状なのでしょう。本当に悲しいです」と感想を話してくれた。
また、鶴田さんは「警備でもない店員が加害者の対応ができるかといえば、それで従業員がけがをしたら、と店舗は考えるので、非常時は自分で対処せず警備を呼ぶよう教育を受けていることもあるかもしれません」と状況を慮りつつ、今後の対策についてこう言う。
「この事案ではその後の男性の態度から悪質さや常習性も疑われるので、間違ったふりをして入り込む、という事例がありうることを店舗側に承知してもらい、同男性の出入りに注意をしてもらうことは必要かもしれません」(鶴田さん)
さらに、被害者への「聞き取り」について。古内さんは捜査関係者ではない第三者(この場合の店員)が性犯罪の被害者と思われる人に事情を聞く際の注意点としてこう言う。
「通報の際には『誰が』『何をした』がわかれば、被害者に何があったのか根掘り葉掘り聞く必要はありません。具体的に話すのは警察だけで充分です。被害者に何があったのか話させることは、被害者にとって負担以外の何者でもないからです。もちろん、被害者がたくさん訴えているときはそのまま丁寧に聞くようにします」(古内さん)
被害内容を聞くことは、被害者に被害を追体験させることにもなりかねない。必要以上聞かないことは危機介入の原則であり、子ども虐待対応のためのRIFCR(TM)研修などでもこの原則が徹底されている。
■「未遂でよかった」は言ってはいけない
今回は「未遂」の案件であり、榎本さんは警備員から「何もされなかったんでしょう?」と言われている。このような場合の被害者に対する初期対応について、鶴田さんは言う。
「未遂であっても、被害状況や主観的な体験次第で心理的な反応が出るものですし、周囲の不適切な対応によって心理的な反応は一層強くなります。過去にトラウマ体験を持つ方には強い反応がみられることもよくあります。
未遂か既遂かは刑法上の問題であって、心理的にはどのような主観的な体験をしたか、が影響をします。直後は未遂でよかった、と思えても、あり得たことを想像して恐怖がこみあげることもあります」(鶴田さん)
警備員は榎本さんに「何もされなかったんでしょう?」と言ったが、それは刑法上では罪に問えないというだけのこと。女子トイレに侵入され、詰め寄られたという恐怖は「何もなかった」ことにはならない。
もし身近な人が「未遂」の被害に遭った場合、「何もなくて良かった」という言葉をかけてしまいがちだ。しかし、そこは慎重になるべきところだ。
「未遂でよかった、という言葉は被害者以外の人が口にする言葉ではありません。悪意ではなく、安堵の思いや思いやりであっても、被害者は自分の苦痛や苦悩を理解されていないと感じます。大変だったね、という言葉かけなど、既遂、未遂、被害の重さ軽さで区別をしないことが大切です」(鶴田さん)
■あなたならどう対応するか
榎本さんが、この件や書店の対応についてツイッターでつぶやいたところ、反響が非常に大きく1万件以上のリツイートがあった。書店の対応について憤ったり、実際に被害に遭ったという反応もあったという。
もし、自分がこのケースの書店員だったら、どんな対応ができただろうか。もし自分や自分の身近な人が榎本さんのような被害に遭ったら、どう感じ、どう声をかけるだろうか。性犯罪は決して「どこか遠くで起こっていること」ではないからこそ、知ること、考えることが必要なはずだ。