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高校日本代表主将・近江の山田 1年生の秋にあった強烈な挫折とは?

森本栄浩毎日放送アナウンサー
1年夏から近江のマウンドを守ってきた山田だが、大きな挫折もあった(筆者撮影)

 この2年、甲子園の中心には、常に近江(滋賀)の山田陽翔(3年・主将=タイトル写真)がいた。惜しくも日本一はなれなかったが、侍ジャパンU18日本代表の主将にも選出され、米・フロリダ州で開催されるワールドカップで世界一をめざす。

高校球史に残る甲子園11勝、115奪三振

 山田は昨夏の甲子園で鮮烈デビューを果たし、2回戦で大阪桐蔭を破るなど4強入り。夏の激闘でヒジを痛めたため、秋はベストなパフォーマンスを披露できなかったが、京都国際のコロナ禍による出場辞退で巡ってきたセンバツでは準優勝まで駆け上がった。そして最後の今夏は、「日本一」を目標に勝ち進んだが、準決勝で力尽きた。戦後歴代5位タイの11勝(3敗)と、歴代3位の115奪三振は高校球史に残る。また夏の甲子園で2年連続本塁打も放ち、投打にわたる大活躍は、全国のファンを魅了した。それでも入学時からコロナとの闘いを余儀なくされた「フルコロナ世代」を代表するスターは、決して順風満帆な高校生活を送ってきたわけではない。

父は東邦で夏4強、兄は大阪桐蔭の野球一家

 山田は近江入学前から「スーパー中学生」と話題になり、体育系バラエティー番組で取り上げられるなど、全国的にも有名な存在だった。父は東邦(愛知)の捕手として夏の甲子園4強、兄は大阪桐蔭で投手兼内野手という野球一家で、県外の強豪校からも当然のように声がかかる。現在、日体大に通う兄が、大阪桐蔭の春夏連覇世代の1年下で不遇だったこともあってか、山田自身は自宅のある栗東市から通学できる近江を選んだ。しかし入学時からコロナで練習もままならず、最初の甲子園チャンスだった夏の大会は中止になった。

1年夏の独自大会で優勝に貢献

 山田は1年夏、滋賀の独自大会でも出場機会を与えられ、初戦の光泉カトリックとの試合で、足がつった当時の先輩エースを救援。自ら決勝打を放って1-0で勝つという華々しいデビューを飾った。入学時の主将は、中日で売り出し中の遊撃手・土田龍空(19)である。チームは山田の活躍もあって独自大会で優勝したが、タイトル写真は2年前の8月13日に撮影したもので、夏の甲子園が開催されていれば、「スーパー1年生」ともてはやされただろうことは容易に想像がつく。

秋のスタート時はロング救援

 そして一昨年のこの時期、1年秋の新チームから山田は早くもエースナンバーを背負う。多賀章仁監督(63)は当初、球威のある山田を抑えとして起用していた。正確には、近江のお家芸である継投策の最後を任されるロング救援である。しかし滋賀大会決勝で滋賀学園にサヨナラ負けして、センバツの懸かる近畿大会には県2位での出場となった。初戦の相手は神戸国際大付(兵庫1位)で、近江は3人の継投策が決まって中盤まで1-0とリードしていた。そして6回の無死1塁で、満を持して山田がマウンドに上がる。

暴投連発、足も変調で逆転許す

 この日のわかさスタジアム京都は朝から雨で、近江は夕闇迫る最終試合。試合には1番右翼手で先発出場していて、多賀監督は「寒さとぬかるんだグラウンドで、下半身に疲れがたまっていたと思う」と話すように、山田とっては酷なマウンドとなった。初球を地面に叩きつける暴投で三進されると、次の投球も暴投。わずか2球で追いつかれた。直後に再びリードするが、8回、山田は足を気にし始める。山田の変調に動揺したか、内野陣がもたつきピンチを招くと、一気に逆転を許した。9回に四球を与えたところで無念の降板となり、2-5で敗れたあとは1人、ベンチに突っ伏して泣き崩れていた。

両ふくらはぎがつって、センバツ逃す

 「冬にもっと鍛えて体を大きくして、先輩たちを助けられるようなピッチャーになりたい」。涙ながらに答える山田は、敗戦の責任を一身に背負っているようだった。マウンドに上がった直後、相手投手と踏み出す歩幅が合わず、懸命に土を掘ったが「硬くて掘れなかった」ようだ。無理をして投げているうちに、8回になって両ふくらはぎがつり始めた。これは真夏の脱水症状とは違って、気温の急激な低下による筋肉の硬直と考えられる。いずれにしても、この敗戦でセンバツ出場は夢と消え、山田にとって高校野球生活で最大の挫折となった。

秋の敗戦で闘争本能が目覚める

 山田はストイックな男である。多賀監督は「(この負けで)これじゃいかん、とスイッチが入ったんだと思う」と話す。甲子園を逃すという痛恨の敗戦が、山田の闘争本能を目覚めさせた。山田が始発電車で1時間ほどかけて彦根市にある近江へ通い、朝から自主練習していることはよく知られているが、多賀監督は「このタイミングで始めた」と振り返った。タイトル写真はちょうど2年前の山田で、現在よりかなり細く見える。身長は1センチほどしか伸びていないが、甲子園での山田をご覧になった読者も、特に下半身がたくましくなったと感じるのではないだろうか。

「チーム山田」の結果やいかに

 代表チームは、大学生との壮行試合で打線の低調が伝えられた。投手専念で抑えでの起用を明言していた馬淵史郎監督(66=高知・明徳義塾監督)も前言撤回?で、早大との試合では山田を代打起用した。代表の主将としても、積極的にコミュニケーションを取り、チーム全体が明るくなったと言われている。山田の存在感は日を追うごとに増すばかり。一行は5日、彼の地へと旅立った。「チーム山田」はどんな答えを出してくれるのだろうか。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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