「30-50」あるいは「20-60」を達成した選手たち。アクーニャJr.は史上初の「30-60」へ
6月30日、ロナルド・アクーニャJr.(アトランタ・ブレーブス)は、4回裏に二盗を決め(続く三盗は失敗)、7回裏にホームランを打った。
ブレーブスは、これが81試合目。アクーニャJr.は、20本塁打と37盗塁を記録している。ここからの81試合も同じだとすると、シーズン全体では40本塁打と74盗塁となる。「40-70」なら、ナ・リーグとア・リーグの史上初。「40-50」や「30-60」を達成した選手もいない。
残りのシーズンを健康に過ごすことができれば、少なくとも「30-60」にはたどり着くのではないだろうか。この記録を達成するのに、あと81試合で必要なのは、10本塁打と23盗塁だ。
ホームランと盗塁を10ずつで区切ると、いずれか一方が「30-60」より1段階下の「30-50」あるいは「20-60」を達成した選手も、その人数は多くない。むしろ、少ない、と記したほうが正確だろう。
なお、延べ8人のうち、1985年のリッキー・ヘンダーソンと1986年のリッキーとエリック・デービスは、数値からすると「20-80」だが、60盗塁を記録した時点で「30-60」のうちの後者(盗塁)は到達なので、ここでは「20-60」として括っている。
彼らのうち、リッキーは「20-60」を3度達成している。1986年と1990年は、どちらもあと2本塁打で「30-60」だった(1986年は「30-80」)。「30-60」まであと2、残りが2本塁打、2盗塁、1本塁打と1盗塁のいずれかに迫った選手は、リッキーだけだ。
ただ、リッキーは、1シーズンに30本以上のホームランを打ったことがない。28本塁打がシーズン最多だ。
一方、デービスは、1986~87年に、それぞれ「20-60」と「30-50」を達成している。「30-60」には、1986年が3本塁打届かず、1987年は10盗塁少なかったので、あと2本塁打のリッキー以上に近づいたとは言えないが、連続する2シーズンのうち、どちらかに30本塁打と60盗塁に到達していることからすると、リッキーよりも「30-60」に近かった選手という見方もできる。実際、そうだった気がする。
なお、1991年以降は、「30-50」も「20-60」も途絶えている。リーチをかけたのは、それぞれ2人だ。ハンリー・ラミレスは2007年に29本塁打と51盗塁、マイク・トラウト(ロサンゼルス・エンジェルス)は2012年に30本塁打と49盗塁を記録し、「30-50」まであと1に迫った。ホゼ・レイエスは2006年に19本塁打と64盗塁、ジョナサン・ビヤーは2016年に19本塁打と62盗塁。こちらは、2人とも、ホームランをあと1本打てば「20-60」だった。