度が過ぎた一部の“熱狂”と“誤審”は2002年W杯の“負の遺産”なのか
6月が終わろうとしている。今から14年前の6月、サッカーの熱病に沸いていた韓国は熱狂の終りを名残り惜しいそうに今日6月29日を迎えた。
日本ととともに共同開催した2002年FIFAワールドカップで、韓国はポーランド、アメリカ、ポルトガルと同居したグループリーグを突破し、決勝トーナメントへ。1回戦ではイタリア代表をアン・ジョンファンの延長ゴールデンゴールで2-1で下し、準々決勝ではスペイン代表相手に延長120分の死闘を演じた末にPK戦を制した。アジア初のワールドカップ・ベスト4進出を成し遂げ、国中が熱狂に包まれた。筆者もその1か月、チームに密着したが、まさに“赤い熱狂の6月”だった。本日6月29日はトルコ代表と3位決定戦を戦った“6月の熱狂”最後の日だった。
韓国ではその快挙を成し遂げたメンバーたちを“四強戦士”たちと呼ぶのが、彼らは今でも人気者だ。今では多くが現役を引退しているが、それぞれが選んだ第二の人生には今でも注目が集る。
(参考記事:2002年W杯から14年。韓国の“四強戦士”たちは今、どこで何をしているのか)
もっとも、韓国サッカーが2002年ワールドカップで起こした快進撃が語られるとき、「誤審」問題がついて回る。決勝トーンメント1回戦のイタリア戦、準々決勝スペイン戦などは2006年にFIFAが発表した「W杯10大誤審」に加わったこともあって、一部のファンたちの間では今も疑惑の俎上に上がる。
イタリアやスペインでは韓国に良い印象を持っていない人々もいると聞いたことがあるが、意外なことにドイツでも韓国の評判が芳しくないらしい。イギリスのBBC放送が世界16ヵ国とEU加盟国を対象にした“国家イメージアンケート”で、韓国をもっとも否定的に評価したのは、イタリアやスペインはもちろん、日本でもなく、ドイツだったというのだ。
(参考記事:韓国否定派が65%!! なぜドイツは世界一の“嫌韓国家”なのか)
なぜ、ドイツの人々は韓国を嫌うのだろうか。少なくとも2002年ワールドカップの結果に恨みがあるわけではないだろう。というのも、6月25日にソウル・ワールドカップ競技場で行われた準決勝は、当時のドイツ代表のエースだったMFバラックの決勝ゴールでドイツ代表が1-0で勝利している。「誤審」があったわけでもない。
ただ、観客席に問題があったかもしれない。2002年ワールドカップと言えば、どの会場でも真っ赤に染まった韓国の応援席が記憶に残っていることだろう。中にはその美貌とグラマラスなスタイルから“応援ビーナス”と言われたミナなど、観客席からヒロインも生まれたほどだが、6万5256人の大観衆が詰め掛けた準決勝ドイツ戦のスタンドの一角には、ハングルで「ヒットラーの子孫たちは去れ!」というプラカードを掲げた人々がいたという。
この文言はかなり問題だ。一部のサポーターの行為とはいえ、熱狂に任せ酔いしれて度が過ぎた行為は批判されるべきで、スタジアムから即刻追い出すべきだったことだろう。韓国のネット住民たちも「ドイツ人の韓国嫌いはあのときの無礼が関係しているかも」と、真剣に気を揉んでいるという。
もっとも、国同士で見た場合、韓国とドイツの仲は決して悪くはない。
とりわけサッカーの世界において韓国とドイツの関係は長くて深い。ドイツ・ブンデスリーガでプレーした選手は多く、2014年9月からはドイツ人監督のウリ・シュティーリケ監督が韓国代表の指揮官に就任し、その評価を高めている。韓国サッカー界にとってドイツはヨーロッパの中でも身近で親しみがあり、模範としている国なのだ。
(参考記事:意外と長くて深い韓国サッカーとドイツの“知られざる関係”)
にもかかわらず、ドイツの人々からは嫌われているという現実。その原因の一端が2002年ワールドカップにもあると言うならば、“6月の赤い熱狂”は見方によっては“負の遺産”になったということなのか。それはそれで空しずきると思うのだが……。