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男性が初恋をいつまでも引きずる理由←世界的哲学者が示唆「盗撮犯の深層心理にも通じる」

ひとみしょうおちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

私たちは科学の心理学に首までどっぷり浸かっているので、人を見るとき、まったく素直に、科学的な見方をします。すなわち、ヒトを心と身体に分けて捉えます。

その結果、たとえば男性は「女性の胸の体積に惚れるスケベ」であり、さもなくば「甘えさせてくれそう」という「彼女の心の広さに惚れたマザコン」――このような言い方がごく自然に世間に流布しています。

こういうのを哲学的には、心身二元論といいます。

心と「身体性」と身体

しかし、フランスを代表する哲学者であるメルロー=ポンティはヒトを、心と身体という二項対立で見ません。心(意識)と「身体性」と身体(モノ)という3つの視点でヒトを見ます。

たとえば中学時代に、世界の時を刻むかのように艶めくポニーテールを規則正しく揺らしながら優雅に廊下を歩く同級生に惚れた男子は、どこぞのお嬢様のような彼女の優美な「心」のあり方に惚れたのであり、かつ、女児から大人の女性へと変化しつつある彼女の「身体」に惚れたのであり、かつ、彼女の「身体性」に惚れたのだ――メルロー=ポンティの言にしたがえば、こうなります。

身体性というのは、心がもつ無意識とはまったく独立に存在する「身体が生まれながらにしてなぜか持っている文法」のようなものであり、それは十人十色であり、しかも本人は自分がどのような文法を持っているのかまったくもって無自覚である、といった類のものです。身体が自律的に「空気を読む」能力を有している、とでも言いましょうか……。

自分の世界とはなにか?

学校という空間において彼女は、ポニーテールを規則正しく揺らしながらとても優美に廊下を歩くという「ふるまい」をします。

他方、彼は、憧れの彼女をつねに目の端で追い掛け回すという劣情たっぷりの「ふるまい」をします。

学校という同じ場所、同じ時、同じ年齢、同じ条件(例えば、定期試験の前日など)に置かれている2人がこうも違うふるまいをする――このことをメルロー=ポンティは「その人が持っている身体性がおのずとそうさせている」と分析するのです。

本人にもそれが何なのか判然としない身体性とは、いわば「その人固有の世界が開かれている地点」のようなものです。

私たちは、なぜかわからないけれど、気づけば自分の世界を持ってしまっています。ここでいう自分の世界とは、あなたが毎日生きているその世界のことです。

その世界は、あなたにその気がなくとも、明らかにあなた固有のものです。

あなたが仮に、多くの人と集団生活をしていても、あなたの視点に立てる人はあなたしかいません。そうですよね? 仮に誰かがあなたの膝の上に乗っても、両者の視点は前後の位置と高さが異なるはずです。

また、あなたは(というか誰しも)過去に起きた自分だけの経験をもとに「今ここ」を認識しています。

したがって、あなたの世界はあなただけのものです。

こんなにもたくさんの人がいるにもかかわらず、あなたの認識する世界はなぜか、あなたという極めて特異な地点からのみ開かれたものであり、それは日を追うごとにその独自性を増しているのです(孤独だ)。

誰しもあなたの代わりにあなたを生きられないというのはそういうことです。

さらに驚くことに、あなたのその世界がどのように開かれたのか、あなた自身も知らないでしょう。ましてやあなたに憧れる彼になど、知りようがないのです(超孤独だ)

例えばこういうこと

わかりづらいですか? それは例えばこういうことです。

渡辺美里さんの歌に「言いだせないまま」という歌があります。中学生くらいの男子が、憧れの女子を前にして、なぜか何も言い出せない……彼は今日こそは「好き」と言いたいと思っています。しかし、「彼女はどんなことに感動する人なのだろう」「彼女は学校から帰ったら毎日どんな生活を送っているのだろう」などと妄想はいくらでも湧いてきますが、肝心の二文字がどうしても言えない。あげく、彼女がなぜかふと遠くへ消えそうな気がしてひとり切なくなる……そういったシチュエーションの歌詞です。

この男子の深層心理を先のメルロー=ポンティの言にそって解釈するなら、彼は彼女固有の身体性に憧れていると言えます。

「好き」と言いたければ言えばいいのです。しかし「なぜか」言えない。「彼女は学校から帰ったら毎日どんな生活を送っているのだろう」と不思議に思うのなら彼女に尋ねるといい。しかし「なぜか」尋ねられない。

それは意思が弱いからでもなく、ましてや彼が女々しい「ヘタレ」だからでもありません。

その理由は彼の身体性にあります。

彼は「そういう類の女子」を前にすると、なぜか言葉というものが出なくなるという身体性を有しているのです。彼の身体における「世界を認識する能力」はなぜか、得も言われぬ彼女の身体性に焦点を合わせてしまっており、しかもその焦点が固定されてしまっているのです。

同時に、彼女の身体性が、彼に何も尋ねさせないようにしています。つまり彼女は、無意識のうちに身体から「なにも尋ねないでね。私は私の人生を歩いている途中だから」という雰囲気を発してしまっている。まったくもって無自覚のうちに。

盗撮犯の深層心理

ちなみに、この解釈を拡大させると、盗撮犯の深層心理が説明可能になります。

ある特定の女性のスカートの中を執拗に写メる盗撮犯もいますが、一般的には、盗撮犯は複数の女性を撮影します。3人くらい撮れば「あとは見なくてもわかる」と考えるのが普通でしょうが、「被害者」が100人を超えるケースも珍しくありません。ということを、みなさんよくご存知でしょう。

彼は何を知りたいゆえにどんどん盗撮するのでしょうか。

自分が美しいと思った女性の尻という「モノ」ではなく、彼女の「世界の開かれ方」すなわち彼女も意識していない彼女独自の身体性がどのようなものか見たいから、どんどん盗撮するのです。

しかし、当たり前のことですが、身体性はつねに写真に写りません。それはモノではなくコトだからです。

だから彼は、さらに好奇心(やる気?)が湧いてき、目を皿のようにし、さらに盗撮を重ね、ある日「超リアルなこの世の住人」に腕をグイっと捕まれるのです。「自分なにしてんの? 自分で言うてみ。せやな、盗撮やな。現行犯逮捕な。ゴラァ! 暴れるな!」

男性が初恋をいつまでも引きずる理由

「世界」に興味を抱きはじめる頃、すなわち思春期に、憧れの女子の身体性に(身体に、ではなく、身体性に)なぜか惹かれてしまった男性は、その後何十年もそのことに苦しむことになります。

その理由は2つあります。

1つには、自分がなぜ初恋の人に惹かれ続けるのか、その理由が自分でわからないからです。それはつまり、自分の身体性、すなわち自分の世界の開かれ方にまったく理解が及んでいないからです。そんなものがあるとすら彼は知らないのです。

私たちは「ロリコン」と「ヘタレ」という言葉しか用意されていない科学の心理学が優位な「情緒的な」世界に住んでいるのであり、ごく普通にメルロー=ポンティの哲学を学ぶ機会を持たないのですから、まあ無理もない話でしょう。

今1つは、どのような女性と交際しようと、彼女の世界の開かれ方、すなわち彼女の身体性は、ほとんどの場合、まったく理解できないからです。

本人にも理解できないものは、ふつう、他人に理解できるはずがないからです(ちなみに私は、チアガールを見たら無性にもの悲しい気分に襲われますが、それは彼女らが持つ身体性と私の持つ身体性の「食い合わせ」がそうさせるのだろうと推測できますが、それが何を意味するのか、まったくわかりません)。

だから男性は、初恋の相手を、ではなく、初恋の相手の「こと」をいつまでも引きずるのです。

「こと」というのは身体性です。魅惑的な初恋の相手の魅惑的な「世界の開かれ方」がいつまでもミステリアスかつ魅惑的なまま理解できないゆえ、いつまでも引きずるのです。

つまり彼は、初恋の相手の心や肉体ではなく、「神が偶然にも彼女にだけ持たせた、何らか素晴らしいもの」、すなわち彼女の身体性(の謎)に、いつまでも恋し続けるのです。

おちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

8歳から「なぜ努力が報われないのか」を考えはじめる。高3で不登校に。大学受験の失敗を機に家出。転職10回。文学賞26回連続落選。42歳、大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なぜ努力が報われないのか」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道主宰「哲学塾カント」に入塾。キルケゴール哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミー主宰。

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