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南海トラフ地震の「発生シナリオ」を考えてみる ー【その1】地震の発生まで

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
内閣府防災のホームページより

西日本内陸で地震活動が活発になる

 過去の南海トラフ地震では、地震発生の30年ほど前から西日本の内陸で地震活動が活発になりました。昭和には、1944年に東南海地震、46年に南海地震が起きましたが、このときも、25年北但馬地震、27年北丹後地震、30年北伊豆地震、43年鳥取地震などが起きていました。直後にも、45年三河地震や48年福井地震が起きました。何れも内陸直下の活断層がずれ動いた地震です。

 現代も、1995年兵庫県南部地震以降、西日本の内陸での地震が多発しています。2000年鳥取県西部地震、04年新潟県中越地震、05年福岡県西方沖地震、07年能登半島地震、新潟県中越沖地震、11年長野県北部の地震、静岡県東部の地震、14年長野県北部の地震、16年熊本地震、鳥取県中部の地震、18年島根県西部の地震、大阪府北部の地震などです。その前の昭和後半の30年間と比べて地震が多発しており、気がかりです。いずれ、南海トラフ沿いでの地震が発生すると思って準備していた方が良さそうです。

東日本大震災の1か月前にはM5クラスの地震が頻発していた

 日本海溝沿いと南海トラフ沿いとでは地震の起き方が異なるかもしれませんが、参考にはなると思いますので、地震発生前の活動を見てみましょう。2011年東北地方太平洋沖地震が発生したのは3月11日、その1か月前に、震源域周辺でM5クラスの地震が多数発生していました。福島県沖で2月10日と27日にM5.4とM5.2の地震、三陸沖では16日にM5.5とM5.3、22日と26日にM5.2の地震が起きました。さらに三陸沖で周辺では、M7相当のスロースリップ(ゆっくり滑り)が続いて起きました。

 万一、同様のことが南海トラフ沿いで起きたら、普段と異なるゆっくり滑りと認定されて、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表される可能性も考えられます。最近では、南海トラフ沿いも含め多くのセンサーが設置されているので、これらの異常現象が検出される可能性は十分にあります。ただし、同様の現象が起きても大地震につながらないことが多々あります。かつてはこのような高精度モニタリングは行われていませんでしたから、南海トラフ地震の前後に同様のことが起きたかどうかは知られていません。こういったときに、専門家はどんなコメントを出すでしょう。明確なことが言えない中で、国がどういった形で情報提供をすべきか、難しい問題です。

東日本大震災の2日前にM7.3の地震が発生した

 東北地方太平洋沖地震では、地震発生51時間前にM7.3の地震が、32時間前にM6.8の地震が震源域で起きました。そして、その周辺では余効すべりも発生し、M9.0の本震が起きました。2016年熊本地震(M7.3)でも28時間前にM6.5の地震が隣接する活断層で発生しました。やはり、震源域内や震源域近傍でM7クラスの地震が発生したら、さらに大きな地震が発生する可能性が増すと考える必要があります。

 南海トラフ沿いの地震では、震源域周辺でM7以上の地震が発生した場合には、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されます。この場合、1週間にわたって注意を心掛けることになっています。ただし、1週間経ったら安全というわけではありません。ちなみに、前回や前々回の南海トラフ地震の時にはこのような前震の発生は知られていませんので、地震は突発すると思っていた方が良いかもしれません。

南海トラフ沿いでの多様な地震発生パターン

 南海トラフ沿いでの地震の起き方は多様です。昭和の地震は2年の時間差で1944年東南海地震と46年南海地震が起きました。駿河トラフ沿いには破壊が及ばなかったため、想定東海地震説が唱えられました。1854年の安政の地震は約30時間の時間差で東海地震と南海地震が発生し、さらに約40時間後には豊予海峡地震も起きました。1707年宝永の地震ではほぼ同時に南海トラフ沿いの全域で地震が起きたと考えられています。津波堆積物調査の結果によると、宝永地震よりもさらに大きな地震が起きた証拠も見つかっています。東北地方太平洋沖地震と同様にトラフ軸の大滑り領域が同時に破壊したのかもしれません。

 地震の発生の仕方は多様で、次の地震の起き方は全く分かりません。東西が分かれて起きる場合(半割れ)も、どちらが先に破壊するのかも分かりません。ですが、片方で起きたら、他方で地震が続発する可能性は高まります。ただし、その時間差は分かりません。また、前震やゆっくり滑りなどの顕著な前兆現象がなく突発する可能性もあります。

M8クラスの地震が起きると臨時情報(巨大地震警戒)を発表

 南海トラフ沿いの震源域のプレート境界上でM8以上の巨大地震が発生したら、短い時間差で続いて巨大地震が発生する可能性を踏まえて、警戒度を高める仕組みが南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)です。南海トラフ地震の予想被災地の中には、地震発生後に高い津波がすぐに到達して、避難の時間が不足する場所があります。こういった場所は、予め事前避難対象地域に指定して、住民に1週間の事前避難を促すことになっています。

 なお、高齢者等、避難に時間を要する人を対象とした高齢者等事前避難対象地域も指定されます。その他、土砂災害の危険度の高い場所に住んでいる人や自宅の耐震性に不安のある人などは自主避難することになります。ただし、1週間の根拠は、住民の避難期間の限界から定められたもので、1週間経ったら安全になるわけではありません。また、被災前ですから、避難に必要なものは自ら調達することが前提になっています。昨年度末から徐々に事前避難対象地域が指定されはじめており、名古屋市も近々指定予定です。ただし、未だに、南海トラフ地震臨時情報のことが十分に周知されていないようで、混乱が予想されます。

 南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されたときには、先発地震の被災地が甚大な被害を受けているため、被災地支援に全力を挙げつつ、後発地震への備えをすることになります。被災地支援をしっかり行うには、日本社会を維持できていることが大前提になります。後発地震の予想被災地では、支援の在り方や社会活動維持のための方策を考えておく必要があります。

万一、南海トラフ沿いの震源域の片側で地震が起きたら

 南海トラフ沿いの震源域の片側で地震が起きた場合を考えてみましょう。先発地震が突発なのか、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)の発表中か、それとも注意期間を経た後なのかによって、地震時の社会の準備状況は異なります。

 地震発生後、緊急地震速報が発せられ、続いて、震度速報、大津波警報が発表されます。地震発生直後は、震源域の広がりは分かりませんから、大津波警報は南海トラフ地震の震源域全体が破壊したと考えて広域に発表されます。従って、太平洋岸の津波浸水の恐れのある場所では、速やかに緊急避難場所に避難することになります。ただし、震源の位置や震度速報の震度分布から、半割れか全割れかは、ある程度の判断はできると思われます。

 その後、長周期地震動階級が発表され、30分後くらいに、南海トラフ地震臨時情報(調査中)が発表されて、気象庁で検討会を開催する旨を報じます。検討会で、プレート境界上のM8以上の地震だと確認されると、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が2時間程度で発表され、大規模地震の発生可能性が相対的に高まっている旨などが発表されます。その後、時間と共に大津波警報や津波警報が徐々に解除されますが、解除には相当の時間を要すると思われます。

 津波警報が解除されても、事前避難対象地域の人は自宅に戻ることなく、安全な場所に1週間避難することになります。さらに1週間経っても後発の地震が起きない場合は、避難は解除されますが、さらに1週間、地震の発生に注意をしながら通常の生活を送るよう呼びかけが行われます。

後発地震が発生するまで

 先発地震の大津波警報の発表中や、巨大地震警戒中に後発地震が起きた場合には、後発地震による津波の犠牲者を相当数減らせることが期待されますが、後発地震がすぐに起きるという保証はありません。むしろそれ以降に発生する可能性の方が高いと思われます。先発地震の後には、余震や誘発地震が頻発し、各地は揺れ続けます。万一、内陸直下で誘発地震が起きれば、震度7の揺れが局所的に襲い、甚大な家屋被害が発生します。昭和の地震では東南海地震の1か月後に三河地震が、安政の地震では2日後に豊予海峡地震が発生したことを思い出したいと思います。また、富士山のことも気がかりです。宝永の地震の49日後には富士山も噴火しています。今と同様の状況であれば、感染症の問題も考えなければいけません。

 後発地震の予想被災地の住民は、先発地震の被災地の悲惨な状況が近い将来に自分にも訪れると感じ、次の地震がいつ起きるのか、ビクビクしながら生活を続けることになります。もしも社会活動を停止してしまうと、活動を再開する理由を見つけることが難しくなり、日本社会が衰退します。歯を食いしばって社会活動を継続する必要があります。

 日本社会がうろたえれば、国際社会は、日本は危険だと判断し、大型船舶の入港を控えたり、為替相場や株式相場が混乱したりすることになります。こういった事態は何としても避ける必要があります。そのためには、いつ地震が発生しても困らないよう徹底的に事前対策をしておくしかありません。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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