映画『コルク』と『ザ・ビースト』が警告する、田舎に住もう!が甘くないわけ
コロナ禍+リモートワーク+自然志向+持続可能性なんてのが一緒くたになって、田舎への移住がスペインでもブームになっている。
それに冷や水を浴びせる2作品が登場した。
■コルク収穫のダブルブラック状態
まずは映画『コルク』(原題Suro)。
この作品で学べるのは「都会の常識は通用しない」ということ。
田舎と都会の常識が違うのは当たり前だが、スペインでは「都会の常識」のカテゴリーに「法律」まで含まれる。つまり都会は法に守られているが、田舎は守られていない。極端に言えば「田舎はアウトローで、無法者がいる」。
例えば、コルクの収穫は大変な重労働である。
斧を木の幹に突き立て、斧をねじ込みながら皮を剥いでいく。コルクの林は傾斜地にあって機械を入れられない。人が一本、一本剥ぐしかない完全手作業である。キツくて危険だから誰もやりたがらない。
となると、当然そこへは移民が流入することになる。それも一切の書類を持たず、公的には存在しないことになっている不法移民が。
雇い主側もちゃんとした労働契約などしない。合法的な労働契約には合法的な書類が要る。よって、不法移民を雇うなら不法で不当な契約でしかあり得ない。報酬は手渡しで、社会保険はなし、税金の申告ももちろんなし。闇作業に闇金。
雇う方がブラックなら雇われる方もブラックなのだが、それでもいい、それでしか働けない、という不法移民たちと不法雇用主との間には暗黙の了解が成立している。
もっとも、力関係は搾取する不法雇用主の方が、搾取される不法労働者よりもはるかに上なのは言うまでもない。
■ブラックな現実をあなたは訴えますか?
『コルク』は、移民法も労働法も通用しない漆黒の闇が今もあることを教えてくれる。舞台は、バルセロナのあるカタルーニャ地方北部の山村である。
そこへ都会人が移り住み、「違法だ!」とか「人種差別だ!」とか「反人道的だ!」とか訴えたらどうなるか?
村の労働基準局に駆け込み、このダブル違法を訴えるべきだろうか?
現実的には、黙認するしかないのではないか。
訴えれば雇用主はお縄になるが、不法移民もお縄になり、最悪の場合、後者は強制送還になる。そんなことは誰も望んでいない。おせっかいな都会人、ということで双方から恨みを買うことになるに違いない。
自分たちはブラックな収穫グループを使わないが、隣人が使っていることには目をつむる。彼らはずっとそうして来ているし、トラブルになりたくないので。そうやって最低限の正義感を満足させる。
牧歌的なはずの田舎生活は、こうして良心の呵責に苦しむ居心地の悪いものになる。
さすがに、日本ではこんな現実はないだろう。だが、スペインにはある。
もう一本の映画『ザ・ビースト』もそう教えてくれる。
■自分たちが掟。そんな隣人とどう付き合う?
移住してみたら、唯一の隣人が相当におかしい家族だった。野蛮で、排他的で、暴力的で……。と言っても、『13日の金曜日』のジェイソン一家が住んでいるわけではない。
彼らは殺人鬼でも何でもない。移住者がやって来る前は、普通に仲良く暮らしていたはずなのだ。ただ、一家は彼らのルールの中で生活しており、そのルールを壊す新参者に対して牙を剥いているのである。
所有地はもちろん、周りの山も野原もすべて自分たちのもの。法律的にはすべての居住者が平等な権利を持つのだが、そんな法律よりも自分たちの掟が最優先……。理不尽である。
だが、過疎の村には役所も交番もなく、法を守らせる番人がそもそもいないのである。
無法地帯に家族のルールだけが存在する。
さらに悪いことに、農機具としての斧や鎌も、狩猟道具としての銃もそこら中にある。一方、移住者の方はエコロジストで、平和主義者で、平穏な老後を夢見てやって来た……。
舞台はスペインの北西部ガリシア地方。
恐ろしいのは、これが実話に基づいた作品だということだ。それもそんなに前のことではなく、十年ちょっと前に起きたことだ。
いろいろあるなぁ、この国は。
■東京国際映画祭で3冠の『ザ・ビースト』
もちろん、これらは映画であり、フィクションである。暗いエピソードに焦点を当てただけで、すべての田舎や移住生活がそうではないのは言うまでもない。
結局、ネガティブな田舎を描くことで問われているのは、我われのモラルなのだ。普遍的なはずのモラルが通用しない場所があって、そこであなたはどう振る舞うべきなのか?
理想主義的な自分の甘さと都会人の傲慢さを揺さぶってくれる2作品だ。
日本公開はともに未定である。『ザ・ビースト』の方は昨年の東京国際映画祭で最優秀作品賞、最優秀監督賞、男優賞を受賞しているので、先に公開されるかもしれない。
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭