4年ぶりのセンターマイク。宮川花子の背中を押し続けた「同情されたら終わり」の思い
夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」が1日、大阪・YES THEATERでイベント「宮川大助・花子の『おまたせ!』」を行いました。
花子さんは2019年に血液のがんの一種、多発性骨髄腫を公表。今も闘病生活を送っていますが、同イベントで4年ぶりに漫才を披露しました。
車いすを大助さんに押してもらいながら登場した花子さん。大助さんは花子さんの横に置かれたイスに座り、二人とも腰かけた状態での漫才となりました。
いわゆる普通の漫才とは見た目が違う。ただ、花子さんは言葉のキレ、間、パワーとも衰えなし。
無論、体調が万全ではない中で、あらゆる力を使って、その水準を保ってらっしゃったのかもしれません。
ただ、全ての文脈を一旦忘れて、一人の芸人さんの漫才、トークとして花子さんを見た時に、純粋に面白かった。座って漫才をやる違和感よりも面白さが勝る。それがこの日起こったことでした。
1999年にデイリースポーツに入社して芸能記者となって以来、幾度となく、取材をしてきました。その目でこの日のイベントを見て、頭に浮かんできたワードがありました。
「芸人は同情されたら終わり」
2019年、病気を公表した会見でもこのワードを強く感じましたが、その会見中、幾度となく花子さんと目が合いました。
たくさん記者が駆け付けた中で、こちらをチラチラと見るタイミング。そこに一定の法則があるよう僕は感じました。
久々に公の場に出てくる花子さん。会見冒頭、関係者が車いすの花子さんを押して入ってきた途端、現場に「そんなに体調が悪いのか」という重い空気が流れました。
さらに、余命宣告も受けるほど病状が非常に悪かったという話を花子さんが振り返り、会見場の空気がさらに重くなった時。
これまでのことを反芻した大助さんが涙を流し、花子さんもつられて涙が出そうになるのを必死にこらえた時。
そんなタイミングで花子さんの視線がこちらに向きました。目が合った瞬間を並べていくと、自ずと、花子さんが昔から口にしていた言葉が頭に浮かんできました。それが「芸人は同情されたら終わり」でした。
本来、人を笑わせる芸人が弱い姿を見せている。暗い話で空気を重くしている。さらには感傷的になっている姿を見せかけてしまった。その全てが花子さんの幹となっている“芸人論”からすると、あってはならないこと。
それを見せてしまっている腹立たしさ。悔しさ。恥ずかしさ。
当時、書いた原稿を再掲します。
「病気絡みの会見とはいえ、そして、体調が本調子でないとはいえ、芸人として不本意なことをやってしまっている」。そんな忸怩たる思いが多分に見て取れた。
花子にその感情があるとするならば、それは芸人としてたぎるマグマがまだまだあるということ。
「こんなことではアカン」
その熱がある以上、時間はかかるかもしれないが、また舞台に戻る。漫才をする。その日は必ず来ると信じている。
実際、その日が来ました。
そして、この日の花子さんのトークを細かく分析すると、これまでよりも鋭さが増していたように感じました。毒気と置き換えても良いくらいの鋭さでした。
大助さんや弟子の宮川たま子さんへのツッコミ。お客さんへのイジリ。これまでよりも強度が増していました。
車いすに座っていることを感じさせない言葉の出力。これまでの花子さんのキレに切り口の妙も加わっている。“ニュー花子”への変化を感じさせる馥郁たる毒気でした。
人生の全てを燃料にして前に進むのが芸人さん。無論、簡単なことではありませんが、大助さんと花子さんにしか作れない道があることを確信しました。
芸人とは生き様。この言葉に無限の奥行きを感じる48歳。