「1940年東京オリンピック」開催返上、昭和天皇の当時のお気持ちとは?
■東京オリンピック開幕直前
いよいよ東京オリンピックが開幕の日を迎える。新型コロナウイルスの蔓延による無観客が決定したことで、開会式で大歓声に包まれながら入場する各国選手団も、スタジアムにこだまする歓喜の雄叫びも、直接目にすることはできない。果たして、これでオリンピックを開催する意味があるのだろうかと、今更ながら今ひとつ納得できない声も幾人か耳にした。
それでも世界の若者たちが一堂に会し、スポーツを通して魂をぶつけ合う姿は、やはり感動的だ。おそらくオリンピックが始まれば、日を増すごとに誰もが夢中になり、終われば祭りの後の寂しさとともに、「オリンピックを開催してよかったな」と思う人々が増えていることを祈るばかりだ。もし、この期に及んで中止となっていたとしたら、日本は世界で初めて二度もオリンピックを辞退した国として、歴史に汚点を残すことになった。そう、日本は一度、オリンピック開催を辞退していたのである。
■幻の東京オリンピック
昭和15年の開催が決定したのは、昭和11年8月1日から始まったベルリンオリンピックの直前に開かれたIOC総会であった。開会式を明日に控えた7月31日、次のオリンピック開催地について各国から集ったIOC委員による投票が行われた。その結果、東京36票、フィンランドのヘルシンキ27票で、東京が勝利した。
それに先立つこと5カ月前、IOC委員長が東京へ視察に訪れ、昭和天皇の謁見も許された。二二六事件によって心身ともに疲弊しておられたであろう昭和天皇にとって、オリンピック招致への協力は未来に灯る希望の光を見出したものであったかもしれない。
オリンピック開催決定の一報がもたらされた日本時間の8月1日、ちょうど葉山の御用邸で静養中であった昭和天皇のもとを、時の内閣総理大臣・広田弘毅が午後3時30分に訪ねて謁を賜ったと「昭和天皇実録」に記載がある。広田が具体的に何を言上したのかは書かれていないが、静養先の御用邸にわざわざ総理大臣自ら赴くのは異例中の異例である。これはあくまで推測だが、東京オリンピック決定をいち早く昭和天皇に伝えたく、葉山へ急いだように思えてならない。
■昭和天皇が家族でご覧になった、オリンピック・ニュース
ちなみにその9日後にあたる8月10日の「昭和天皇実録」には、こんな内容が記載されている。
十日 皇后・成子内親王・和子内親王と御夕餐を御会食になる。御食後、御一緒に活動写真を御覧になる。漫画、日食映画、朝日ニュース、パラマウント・ニュース、オリンピック・ニュース等を午後九時十五分まで御覧になり、侍従長以下の側近者・供奉高等官に陪覧を仰せ付けられる。
詳細は定かでないものの、オリンピック・ニュースをご覧になっていたということは、おおいにオリンピックに関して興味を覚えていらっしゃったことの証左でもある。そして注目なのは、「侍従長以下の側近者・供奉高等官に陪覧を仰せ付けられる」という部分だ。つまり一緒に映画を鑑賞しても良いと、昭和天皇が仰せになったというのだ。これがベルリンオリンピックのニュースであるならば、東京オリンピック開催決定の喜びを、側に仕える人々とともに分かち合いたいと、映画鑑賞にお誘いになったのではないだろうか。
■日本からオリンピック開催を返上
しかし、この大会が辞退の憂き目にあう。その原因となったのは、昭和12年盧溝橋事件に端を発した日中戦争の勃発だった。国際社会との軋轢が激化し、また国内でも戦費の増大と兵士の確保という軍部の意見が強くなり、昭和13年7月15日の閣議でオリンピック返上を正式に決定する。
ではその時、昭和天皇はどのような思いを抱いていらっしゃったのか、再び「昭和天皇実録」を紐解いてみると、剣呑な雰囲気が伝わってきた。そのことが如実に感じられるのは、閣議の3日前の記録だ。
十二日 午後四時三十五分より一時間余りにわたり、内閣総理大臣近衛文麿に謁を賜い、この日の五相会議において決定の「時局ニ伴フ対支謀略」等につき、奏上を受けられる。(中略)ガソリンを始め種々の節約につき注意を払われ、御自身の御食事についても省略のことに及ばれる。(後略)
いよいよ戦争が重大な局面に差し掛かり、資源の無駄遣いをせず質素倹約しようと、天皇陛下自ら率先して努めていらっしゃる旨が書かれている。つまり政府首脳らからの報告は時局の逼迫に終始し、オリンピック返上やむ無しといった考えに誘導されていたのではないかと考えられる。戦前の憲法でも天皇の権限は限定的であり、議会で決定したことに関して現実的に拒絶することはできなかった。まさにこのオリンピックの開催返上は、軍部の暴走と泥沼の戦争へ突き進む端緒となっていったのだ。
今回の東京オリンピックではコロナ禍という困難に直面したが、開催にはこぎつけた。しかし、「無事にー」という修飾語はつけられない。代わって「満身創痍の中で—」とでも言うべきだろう。いつの世も政治が優先する負のスパイラルは、二度と繰り返さないでほしいものだ。