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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告の近況と、報道をめぐる議論

篠田博之月刊『創』編集長
2年前のやまゆり園事件は日本中を震撼させた(写真:ロイター/アフロ)

植松被告の精神鑑定が異例の延長に

 相模原障害者殺傷事件の植松聖被告の精神鑑定が異例の延長という事態に至っている。身柄を立川拘置所に移送して3月から行われていた鑑定は、7月第2週に数日間にわたる都内松沢病院での様々な検査を経て、7月中に終わる予定だった。それが8月に入っても問診が続けられ、延長となっているのだ。最終的にくだすべき診断内容について、精神科医がこれは簡単ではないという判断をしているためのようだ。

 2017年に出された第1回の精神鑑定の診断は「自己愛性パーソナリティ障害」だった。第2回の鑑定でも刑事責任能力ありという結論になる可能性は高いのだが、第1回鑑定の「自己愛性パーソナリティ障害」については、精神科医の間でも異論が出ている。

 典型的なのは創出版刊の『開けられたパンドラの箱』の中で、精神科医の香山リカさんと松本俊彦さんが語っているやりとりだが、松本さんはその診断についてこう指摘している。

「彼を鑑定した先生も、それがドンピシャだと思って診断を下したわけではないでしょう。当てはまるものが一番多そうな無難なところで自己愛性パーソナリティ障害としたように思えてなりません」

 私ももう植松被告とは20回以上の面会を含め、相当やりとりしているが、かつて12年つきあった宮崎勤死刑囚(既に執行)などよりも精神鑑定は難しいケースではないかと思う。鑑定結果が裁判の大きな争点になることは必至だから鑑定医も苦慮しているのかもしれない。

 『開けられたパンドラの箱』刊行後も、私は植松被告に2度接見しているが、相変わらず彼はいろいろな人との接見を重ねている。7月前半には事件から2年という節目の報道のために新聞・テレビの記者が連日接見を行っていた。その接見報告も含めて、事件から2年後の7月のマスコミ報道について検証しておきたいと思う。

新聞・テレビの両論併記報道に感じた疑問

 その7月の新聞・テレビの報道では、私が編集・出版した『開けられたパンドラの箱』についても相当、俎上にのった。発売前には、植松被告の手記を1冊にまとめた単著だと勘違いして、差別的な考えを拡散するものだとして出版を中止せよという声も少なくなかったが、刊行後はさすがに誤解に基づく意見は見かけなくなりつつある。

 出版の是非については、抗議する側と編集部の意図を両論併記するという報道が大半だった。こういう難しい事件について報道のあり方を議論するのは大事なことなので、最初は私も歓迎していたが、あまりにもそのパターンが続くのには次第に疑問を感じるようになった。両論併記しているメディアは中立で第三者だという前提で、自分のところは報道についてどう考えるのかという表明が全く見られないのだ。

 植松被告の動機や主張をどう報道すべきかというのはかなり難しい問題で、新聞・テレビなどのメディア自身にもそれが問われているにもかかわらず、多くの両論併記報道には、自分のところに火の粉が飛んでこないようにという意識が感じられた。

 そもそも今回の本を刊行したのは、障害者が事件によって感じた恐怖が解消されないまま、事件そのものが風化していく現実に危機感を持ったためだ。そういう現実に一番責任があるのは、まさにメディア自身ではないかと批判したのがこの本なのだが、それについての報道もまた他人事のように見えた。実際には報道の現場で悩んでいる記者も多いはずなのだが、両論併記で他人事ふうな報道をやっているメディアには、「いったいあなたのメディア自身はどう考えているのか」と問いかけたくなった。(写真は東京新聞だが、朝日や読売もその点では同じだ)

両論併記も各紙続くとさすがに(筆者撮影)
両論併記も各紙続くとさすがに(筆者撮影)

抗議や騒動に巻き込まれることにビビッてしまう空気

 出版後、多くの人からたくさんの意見をもらったが、考えさせられたのは、下関市立中央図書館の西河内靖泰館長からのこういうメールだ。西河内さんは、これまでも差別表現などと図書館の自由をめぐって多くの発言をしてきた人で、月刊『創』とも長いつきあいだ。

 《この度、創出版で発行された『開けられたパンドラの箱』の本は、うちの図書館でも入れましたし、個人でもアマゾンで注文して入手しました。職員もみて、なんで事前に騒がれたんでしょうか、そんなに問題になるような内容とは思えませんが、といっていました。》

 《いつもですと淡々と購入するのが普通なのですが、事前に出版を止めろという抗議があったことがニュースで流れましたので、図書館に入れるのを躊躇するところがあったとことは否めません。現に私あてに、いくつかの図書館から問い合わせや相談がありました。私のところでも、“どうしましょうか”と聞かれましたが、“なんら問題なし”、むしろ、予約も入るし、積極的に買っておくべきものと答えておきました。》

 《図書館の自由の原則からは、判断にブレはないはずなのですが、どうしようかと考え出していることに、私たち図書館界としては無視できない問題点も浮かびあがってきます。自分たちの仕事に誇りを持ってやっているなら、堂々としていればいいのに、何か言われたら、抗議されたらどうしようと思っているのです。ビビること自体が、障害者に対する偏見ではないかと、私は思うのですが。》

 《私のところに相談をくれた図書館の方は、日本図書館協会自由委員の私が40年以上にわたって障害者運動に関わりのある者だとわかって、なにかしらホッとしたような反応をすることがあります。この反応から、皆さん、はっきりおっしゃられませんが、何を心配しておられたかの本音が垣間見えた感じがします。》

本を読んでくれた神奈川県知事や障害者関係者のコメント

 障害者の家族やその運動に関わってきた人たちがこぞって今回の出版に反対しているかのような、対立を煽るだけの一部報道には本当に疑問を感じたが、この問題についてコメントしたいろいろな人の声には、考えさせられたものが多かった。

 津久井やまゆり園のある神奈川県の黒岩祐治知事は、事件から2年の追悼式の後の会見でこの本について訊かれてこう答えている。

 「この本は植松被告の考え方がすばらしいんだとか、なんの評価もせずそのまま出すということではなくて、どうしてこういうとんでもない考え方をしているんだというのを問い続けるという本だと思いました」

 神奈川県知事という責任ある立場のコメントで、実際に本を読んだうえでの率直な感想だと思う。

また相模原事件を学会でも取り上げたという井上英夫・金沢大学名誉教授(社会保障法)は静岡新聞の取材にこう答えている。

 《差別的主張が広まることも懸念されるが、「障害者は不要」という植松被告の考えは多くの人の心にある。これを認めた上で、なぜ彼は殺すという一線を越えたのかを解明すべき。相模原事件は特殊な例ではない。どこでも起こりうる普遍性がある。横浜市の旧大口病院で入院患者が殺害された事件も植松氏の動機と根は同じではないか。類似犯罪が今後も起こる危険性は十分にある。遺族の気持ちや障害者家族の意見はよく分かる。配慮は必要だが、施設や行政、遺族も情報を出し合ってよりオープンな議論をすべき。植松被告の手記は議論の材料に重要。出版はしなければならない。》

 もちろん配慮は必要だが、それでも出版はやるべきだという意見だ。

 メディア法が専門の服部孝章・立教大名誉教授が読売新聞に応えたコメントはこうだ。

《捜査段階での供述は全てが公になるわけではないので、背景を知るには主張を記録する必要がある。むしろ、出版の差し止めは表現の自由の幅を狭め、危険だ。》

 横浜で障害者福祉に40年間関わってきた岩坂正人さんからも「関係者は必読です。機会をみて横浜で掘り下げる場を持ちたいと思っています」というメッセージが届いた。そのほかにも障害を持った人たち自身や福祉に関わってきた人たちから多くの支持の声が届いている。

 障害者家族や関係者にもいろいろな意見はある。それは健常者と言われる人たちにもいろいろな異なる意見があるのと同じことだ。それを単純な対立構図でまとめあげるような報道を行うことからは、議論も生まれず萎縮を生むだけだ。

犠牲者の遺族をめぐるこの1年の注目すべき変化

 7月26日は相模原事件から2年目だった。それを機に、新聞・テレビが大きな特集を組んだ。総じていうと、1年前よりは、真相解明に一歩近づこうという記者たちの意思が感じられたといえる。

 大きな違いのひとつは、6~7月に主なマスコミがほとんど植松被告に面会取材を行ったことだ。昨年は、植松被告がマスコミとの接見を基本的に拒否していたこともあって、夏頃の段階で植松被告に接見できていたのは『創』だけだった。

 そしてもうひとつ大きな変化は、犠牲者19人の家族が、実名は出していないが、少しずつ取材に応じるようになったことだ。

 出色なのは、7月26日付の朝日新聞と読売新聞だ。いずれも犠牲者の家族の声を大きく取り上げている。読売新聞に登場した50歳代の女性は、事件で兄を亡くしたが、講演会に出かけて家族会前会長の尾野剛志さんの話に勇気づけられ、この6月、初めて取材に応じることにしたという。尾野さんの話は、『開けられたパンドラの箱』にも収録されているのでぜひ読んでほしい。

 一方、朝日新聞の取材に応じているのは、植松被告に何度も面会している男性だ。姉を殺害されたのだが、事件に向き合おうと面会を重ねている。記事は朝日新聞デジタルで読むことができる。有料記事だが、お金を払っても読む価値があるものだ。

https://www.asahi.com/articles/ASL7P5HXBL7PULOB00X.html

 一部を引用しよう。

 《初めての面会は、事件から1年を前にした昨年6月。姉(当時60)を殺害された男性はそのころ、「死刑にしてほしい」と思っていた。だが今回の面会で、かつてのような憎しみは湧いてこなかった。

この1年で変わったことが、もう一つある。

 事件の報道に接するたび、「遺族が被害者の実名を明かさないから、被害者は命を奪われただけでなく、この世に存在した事実さえ消し去られている」と言われている感じがして、葛藤を覚えるようになった。当初は匿名を選択していた。でも、殺害された姉は単なる「入所者の女性」ではなく、個性ある一人の人間だ。実名を出すことは、生きた証しを残すことにもなる――。

 家族の了承を得られた姉の名だけを、明かすことにした。》

 この6月に3回目の面会をした時の植松被告の様子はこうだった。

 《押し黙る場面もあった。事件前に戻れたら同じことをするか、と尋ねたときだった。しばらくして「やらないかもしれない」と絞り出すように言い、「今の(拘置所での)状況が楽しくないから」と続けた。将来について聞くと、「外に出るイメージ、自分が生き残っているイメージが湧かない」……。

 「青空はいいよ」。男性は25分間の面会時間の最後に告げた。退室まで、植松被告は深々と頭を下げ続けていた。

 「彼はやっぱり普通じゃない。何を考えているかわからないし、本音を言えば怖い」。男性は言う。その一方で「私も彼も、変わってきたのかもしれない」。

 これからも面会を続けるつもりだ。「会う義務があると思うし、この先も自分の気持ちが変わらないか確かめたい」》

犠牲者遺族の近況を伝えた朝日・読売の記事(筆者撮影)
犠牲者遺族の近況を伝えた朝日・読売の記事(筆者撮影)

 19人の犠牲者の遺族たちは確かに現状でも実名を伏せたままではあるが、彼らも立ち止まっているのでなく、この1年間、悩みながら事件と向き合い、前へ進もうとしているのだ。

真相を解明しないといつまでも恐怖が続く

 この事件については、障害を持った人たちがいまだに恐怖にかられている一方で、それ以外の人たちは事件そのものを忘れつつあるという風化が進んでいる。恐怖をなくすための一番の方策は、きちんと真相を解明することだ。真相がわからないままだと、恐怖はいつまでも払拭されない。だからジャーナリズムの果たすべき役割は極めて大きいのだ。

 犯罪は何らかの意味で社会への警告なのだが、2年前のあの事件が提示した深刻な問題に、この社会が何も立ち向かうことができないでいるという現実は、相当深刻だと言わなければならない。

 なぜ障害者施設の職員が障害者を殺害するという惨事が起きたのか、植松被告はどうしてそういう考えに囚われるようになったのか、そもそもそれは彼自身が精神的な疾病に冒された故なのかそうでないのか。そういう事件の解明を進めないと、恐怖と風化はますます進むだろう。

 この1年間、植松被告への取材を続けてきて、わかってきたことはたくさんあった。

 例えば、彼が犯行につながる考え方に傾いていくのは2016年2月になってからなのだが、短期間に一気にそうなっている。何らかの病気を発症したのではないかという印象が拭えないのだ。しかも、彼はその考えに今も固執しており、その固執の仕方もいささか異様と言えないことはない。このへんを精神医学的にどう考えるべきかは今後、もっと議論を深めるべきだろう。

 問題は、今回の本の中で精神科医の松本俊彦さんが指摘しているが、「仮に病気であったとしても、それは社会のいろいろなものを吸い取りながら形成される」ということだ。植松被告が2016年2月に急速にそのような考えに傾倒していったきっかけのひとつが、テレビでトランプ大統領候補を何度も見たことと、イスラム国の人質殺害のニュースだったことは、本人自身が語っている。排外主義的な風潮や、力によって物事を解決しようという空気が拡大していることと、植松被告の犯行はつながっているように思えるのだ。

 今回の本に掲載して話題になっているのが、植松被告が獄中で何カ月もかかって描いたストーリー漫画だ。それは世界中で戦争が行われ、環境破壊が続くという人間社会に絶望し、それを暴力的に破壊するという筋書きだ。

 植松被告の母親がプロのホラー漫画家であることは既に知られている。植松被告は獄中でイラストやマンガを描くことに集中していくのだが、もしかするとそれは小さいころから見ていた母親の影響かもしれない。

 戦後ある意味でタブーとされてきた障害者差別の問題や、そもそも植松被告自身に精神障害があるのかどうかが大きな争点になるという、この事件は本当に深刻で難しいものだ。『開けられたパンドラの箱』は、そこに正面から向かったもので、それゆえに賛否を含めた大きな議論になった。本は反響を呼んで、発売から1カ月たたずに3刷まで増刷を重ねている。本を読んだ人たちの意見や感想も、今後、月刊『創』で取り上げ、さらに議論を続けたいと思っている。

  『開けられたパンドラの箱』の詳しい中身は、下記の創出版のホームページをご覧いただきたい。

http://www.tsukuru.co.jp

相模原事件について議論する場を今後も

 この10月8日(月曜日だが祭日)午後1時から、新宿のロフトプラスワンにて、『開けられたパンドラの箱』を素材に、相模原事件についての議論を行うことにした。出演は、私のほかに、元やまゆり園職員の西角純志さん、精神科医の香山リカさん、その他関係者だ。凄惨なこの事件が何を提起したのか、私たちはこの事件から何を教訓にすべきなのか、時間をかけて議論したいと思っている。

 興味がある人はぜひ参加して一緒に考え、議論していただきたい。ロフトプラスワンの場所などは下記だ。

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/access.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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