手記出版「あの日」…小保方さんは何を語っているのか
突然の出版
講談社の社員も知らない極秘プロジェクトだったようだ。
2016年1月27日、STAP細胞事件の当事者である小保方晴子さんが手記を出版することが明らかになった。その名は「あの日」。
STAP細胞論文の記者会見から1月28日でちょうど2年。2014年4月の会見以来、公の場に姿を現すことなく、弁護士を通じたコメントなどでしか動向がわからなかった小保方さんが、その思いの丈を手記という形で世間に問う…
いったい何が書かれているのか。1月28日午前0時、電子書籍版を速攻でダウンロードし、読んでみた。
出版の意義
内容に触れる前に、手記が出版されること自体の意義について考えてみたい。
小保方さんはSTAP細胞事件で激しい批判にさらされた。いわば「炎上」した。もちろん、ご本人の行った研究者としての逸脱行為は問題だし、ペナルティを課されねばならない。しかし、これまで触れてきたように、研究不正は世界各地で起きており、小保方さんより悪質な例はいくらでもある。あそこまで叩かれる必要はない。
過剰なバッシングで失われた名誉を回復するために、本人が口を開くことは許されることだと思う。
また、研究不正の事例として、当事者の考えを知ることは重要だ。今後の教訓にもなる。ただし、正直に語ってくれることが必要条件となる。
始まりはハーバード
では早速手記の中身をみていこう。表現はやや拙い感じがしており、本人が書いた手記っぽい印象だ。たぶんゴーストライターは使っていないだろう。
手記は小保方さんの幼少時代から始まる。次第に科学に魅力を感じ、研究者を志す様子が描かれる。
そこまではどこにでもいる研究者だ。そんな小保方氏が、どうしてSTAP細胞論文を、世界有数の科学論文誌Natureに出すに至ったのか。きっかけはハーバード大学への留学だ。
留学中に与えられたテーマである、スポアライクステムセル(胞子様幹細胞)の性質を調べるうちに、キメラマウスの作成が必要となり、理化学研究所発生・再生医学総合研究センター(CDB)の若山照彦博士のもとで研究することになった。
小保方氏は、理研CDBで若山博士と共同研究するうちに、研究規模は次第に大きくなり、若山博士やその研究室のメンバーが加わり、総がかりで行われるようになった。一流論文誌に不採択となったことや、若山博士が山梨大学に移動になったことをきっかけに、笹井芳樹博士が論文執筆にかかわるようになり、丹羽仁史博士もアドバイザーとして関与するようになる。また、小保方氏も理研のユニットリーダーに採用される。そしてSTAP細胞論文発表につながる。
このあたりは報道もされたので、ご存じの方も多いだろう。
しかし、なぜ、STAP論文は撤回されることになったのか。
若山主犯説
小保方氏は、論文に問題があったことは認めているが、単なる勘違いだったと述べる。また、たしかに問題だったが、データはあるし、実験に問題はなかったとも言っている。
一方で、小保方氏は、ハーバード大学での研究以来、体細胞が多能性幹細胞になったマーカーであるOct4という遺伝子の発現という現象に注目しており(のちにSTAP現象と呼ばれる)、それを研究したかったが、あとから研究に加わった若山氏が、STAP幹細胞(増殖能を持つ)の作成にこだわったという。そして、STAP幹細胞を証明するキメラマウスの作成や胚の操作は若山博士や研究室の人たちが行い、自分が関与できなかったという。細胞の管理も小保方氏は行えなかったという。
だから、STAP細胞なるものがES細胞の混入であった点は、自分ではなく若山氏が関与したと述べる。また、研究者の多くがSTAP細胞の存在を疑うにいたった「TCR再構成」も、若山氏の細胞の管理の問題だと述べる。
若山氏が、研究データよりストーリーを重視し、仮説にあわないデータを意図的に除外するなど、逸脱行為をしている点を述べる。
しかし、STAP細胞の論文で挙げられた疑義は多岐にわたり、この本ではそのすべてに答えていない。
STAP細胞はあるのか
小保方氏は、狭い意味でのSTAP現象、つまり体細胞に刺激を与えてOct4の発現を蛍光発光で確認することはできたと述べ、それが200回STAP細胞を作ったという記者会見での発言につながったという。だから、いまでもSTAP細胞はあると考えている。多くの人たちが考えるSTAP細胞存在の定義より狭く考えているのだ。
検証実験に失敗したのも、検証実験にキメラマウスの作成が求められ、若山氏が関与した部分に手を出せなかったからという。
しかし、蛍光発光という現象を小保方氏が見たのは事実だろうが、検証実験や2015年のNature誌の論文で、Oct4の発現含めたSTAP現象が否定されているので、説得力はないように思う。
報道被害、バッシング被害
このように、言い訳に終始した感のある本書だが、冒頭に述べたように意義はある。それは報道、バッシングによる被害の様子がどんなものかを当事者の口から聞けるということだ。
生活に支障の出るほどの過剰な取材や、一方的なバッシングの渦中にある当事者が、どんなに大変なめにあうのか…確かに小保方氏は問題行為をしたが、ここまでひどい扱いを受けることはない。メディアに出演し、小保方氏を批判した私は、決して本人を貶めるようなつもりはなかったものの、バッシングに加担したことになるわけで、その点は申し訳なく思った。
この本から得られる教訓
この本から得られるものは、初動の重要さだ。
結局、理化学研究所が早々に論文の問題点を認め、証拠保全をし、研究不正の調査をしていたら、ここまで騒ぎにはならなかっただろう。笹井博士もなくなることはなかったかもしれない。本書の出版を含め、関係者がメディア上で意見を言い合うというのは、もはや科学ではない。
小保方氏が本書で自分に都合のよい主張を述べている点も含め、この本の出版は、科学コミュニティが研究不正に向き合わなかったことの報いなのだ。