【体操】エース橋本大輝が見せた“メダルの色では計れない成長”と、見いだした“次への階段”
7日間で19演技をし、金メダル1個、銀メダル3個を獲得。決勝に進んだ全種目で表彰台に上がった。11月6日まで英国リバプールで開催された体操の世界選手権で、東京五輪個人2冠のエース・橋本大輝(順天堂大学3年)がひとまわり強くなったことを示した。メダルの色だけでは計れない成長。そして、19演技を終えて見いだした、もう一つ上へ行くための階段とは――。
■団体総合銀、個人総合金、種目別ゆかと鉄棒で銀
橋本にとって3度目の世界選手権は、10月31日の男子団体総合予選から始まった。この日は6種目に出場。あん馬で落下してまさかの11点台だったものの、それ以外は好スコアをマークし、男子団体は全チーム中トップスコアでの決勝進出となった。また、男子個人総合では予選2位で決勝へ駒を進め、種目別ではゆかと鉄棒で決勝に進んだ。
最初に迎えた決勝種目は11月2日の団体で、橋本は平行棒を除く5種目に出場した。これは日本チーム最多の種目数であり、エースの役目である。
橋本はゆかで14・500点、あん馬で14・433点と2種目連続で14点台をマークし、つり輪では13・866点と粘った。ところが、高得点が期待された跳馬でラインオーバーがあり13・866点にとどまると、中国に大差をつけられ逆転不可能となって迎えた最終種目の鉄棒では、離れ技の「リューキン」のところでまさかの落下。得意種目で13・133点に終わり、唇を噛みしめた。日本は銀メダル。中国が4年ぶりに金メダルを手にした。
■「真のチャンピオン」になるために譲れなかった個人総合の金
その2日後の11月4日にあった個人総合では、団体の悔しさをバネに会心の勝利を収めた。昨年10月の世界選手権では、東京五輪の疲労が蓄積した状態ではあったが、中国の新エースである張博恒に優勝を持って行かれていた。「真のチャンピオン」となるために、今回は金メダルを譲るわけにはいかなかった。
橋本はゆかで団体決勝を上回る14・666点を出すと、あん馬14・333点、つり輪13・866点は団体決勝と同じスコア。続く跳馬は団体決勝でミスの出た部分を修正し、14・900点の高得点をマーク。さらに平行棒ではこの日の自己最高点である15・000点を叩き出し、2位につける張に大きな差をつけた。最終種目の鉄棒は「リューキン」を抜く安全策を採り、課題だった着地をピタリと止めて、勝利を確信。会場の大歓声の中、橋本の初優勝が決まった。日本人の世界選手権優勝は2015年の内村航平以来7年ぶり、通算5人目。日本人で五輪と世界選手権を制したのは内村に続く2人目という快挙だった。
■ゆかで初めて表彰台に上がり、はっきりと成長を示した
個人総合を制してからわずか15時間後の翌11月5日午後1時過ぎから行われた種目別ゆかでは、ハッキリとした成長を見せた。G難度の大技「リ・ジョンソン(後方かかえ込み2回宙返り3回ひねり)」を切れ味鋭く決め、14・500点で銀メダル。橋本がこの種目で表彰台に上がるのは五輪、世界選手権を通じて初めてだった。昨年の世界選手権でも決勝に残っていたが、疲労で腰痛が出たため棄権していた。それから1年。疲労がある中でも力を出せたのは大きな前進だった。
こうして迎えた最終日の鉄棒。これまた疲労がたまる中での演技となったが、橋本は気力と体力を振り絞って演技を開始した。団体決勝で落下し、個人総合では回避した「リューキン」は成功。しかし、この時にバーと体が近づいたことで車輪へつなぐ動作で力を使った。そのしわ寄せが出たのが、本来なら「伸身トカチェフ+開脚トカチェフ」と連続する箇所。開脚トカチェフをつけることができずDスコアが予定の6・7点から6・4点へ下がってしまったのだ。最後の着地もわずかに動き、14・700点。実施点の高かったブロディ・マローンに0・100点及ばず、銀メダルだった。
試合後、トカチェフの連続技をできなかった理由について、橋本はこのように説明した。「リューキンが近づいて力を使ったのですが、その後のカッシーナとコールマンが良くて、結構反応が出ているなと思い、強く動かしたところ、バーに近づいてしまい、『あ、連続できないな』と思って抜きました。その瞬間に着地勝負になるとわかったので、焦らず着地を狙いに行ったんですけど、思った以上に体の反応が遅くて動いてしまいました」
■自己最多の19演技を7日間でやりきった
表彰式の後に取材エリアにやってきた橋本は、すでにさまざまな要素を頭の中で整理し終えていた。銀メダルという結果についてどのように感じているかと聞かれると、こう答えた。
「ちょっと悔しいところもあるんですけど、とにかく連戦の中、ケガなく終わることができたのは良かった。疲れのある中でベストを出すということの準備を、来年に向けて、そしてパリに向けてやっていきたいです」
エースとして多くの種目に出るのは宿命。その中で最高の結果を求めていくためには、フィジカルが100%の状態でなくても高いパフォーマンスを発揮する力が必要だという悟りを得たのだろう。振り返れば、団体決勝の後の取材で橋本が自身と内村を比較し、内村は自身の状態に応じた引き出しを数多く持っているが、自分はまだその数が少ないという趣旨のコメントをしていた。
ただ、全試合を終えた橋本の表情にはすがすがしさがあった。「やり切ったという思いはあります」と胸を張った。
「初めてこんなにたくさん演技をして、体の疲れがきついところがありました。でも、それでも通し切れるように、来年は準備していきたいですし、さらには悔しい思いも背負っているので、来年、そしてパリにつながるように、毎年、明確な目標を決めて達成していけたらいいなと思います」
■「よくやったと言いたいです」
出場した初日から最終日までの7日間に19演技をしたことについては、しみじみと、そして笑みを浮かべてこう言った。
「(自分を)褒めたいですよね! よくやったって言いたいです。本当に初めてこんなにやりました。3年前(の世界選手権)は団体総合予選、団体決勝、種目別2つ(あん馬と鉄棒)で10演技。昨年の東京オリンピックは18演技でしたが、鉄棒の前に4日間ぐらい休養があって、準備ができました。昨年の世界選手権は団体がなかったのと、棄権した種目(※種目別決勝のゆか、あん馬は腰痛と手首痛で棄権)があったから13演技。今回は初めて19も演技をやったけど、テンポよくいくことを意識してれば、最後までやり切れるのかなというのがわかりました。そこをうまく調整しながら、最後まで自分が出したい演技をやりきれるように準備していきたいなと思っています」
手にしたメダルは金1、銀3で合計4枚だが、団体で金メダルを逃したという悔しさは、今後の大きなモチベーションになる。エースだからこそ必要な、自身の体調やライバル勢との勝負に合わせたDスコアの出し入れや、着地を含めたEスコアの最適解など、戦略面の引き出しをいかにして身につけていくかという道筋も見えている様子だ。橋本がこの先へ向かって刻んでいく一歩一歩が、ますます楽しみになる世界選手権だった。