民進党は韓国野党の勝利から学べるか
韓国の総選挙は大方の予想を覆し、与党「セヌリ党」が大敗した。
韓国の大手メディアは過半数(151議席)どころか、安定多数の162議席は確実と予想していた。一部には公認から漏れ、無所属から出馬し当選した国会議員を復党させれば絶対多数の180議席に届くのではと予想する向きもあった。
与党の過半数割れは事前の世論調査からは考えられなかった。野党第一党の「共に民主党」に支持率で常時、10~15ポイント前後の差を付けていたからだ。事実、選挙1週間前(4月6日)に行われた世論調査機関・韓国ギャラップの調査では「セヌリ党」の39.0%に対して「共に民主党」は21.0%と大きく引き離されていた。
加えて、野党は選挙2か月前に分裂し、「共に民主党」から離脱した20人の国会議員が「国民の党」を結成。「共に民主党」が呼びかけた野党候補一本化を拒絶し、分裂選挙に突入したことで一区一人の小選挙区(地方区)で与党が漁夫の利を得るのは確実とみられていた。
それが蓋を開けてみれば、前回の獲得議席(152議席=現有147議席)を大幅に下回り、122議席と惨敗に終わった。123議席獲得した「共に民主党」に第一党の座を奪われる始末だった。選挙後に、公認に洩れ、無所属から出馬し、当選したかつての同僚を復党させ、数の上では再び第一党の座を取り戻したものの、それでも保守系無所属議員9人を足したとしても、131議席に止まりで、169議席の野党勢力には及ばず、少数与党であることには変わりはない。
与党「セヌリ党」にとって深刻なのは一対一の地方区(253議席)で野党第一党の「共に民主党」に105対110で敗れたことだ。野党陣営は「国民の党」(25議席)と「正義党」(2議席)、さらには野党系無所属の2人を加えると地方区の獲得総数は139議席になる。仮に野党陣営が候補の一本化に成功していれば、与党はさらに議席を減らし、壊滅的な打撃を受けたかもしれない。と言うのも、「セヌリ党」が勝った51の選挙区のうち、34の選挙区で「共に民主党」と「国民の党」の合計票が上回っていたからだ。
野党は、中道左派の「共に民主党」と中道の「国民の党」が共食いしたにもかかわらず、「共に民主党」は改選前の102議席から123議席、「国民の党」は20議席から38議席と大幅に議席を伸ばした。事前の予想では「共に民主党」は80~107、「国民の党」は最高でも10増の30議席とみられていた。初選挙の「国民の党」は大躍進と言える。
総選挙の結果、来年12月に行われる大統領選挙で野党が統一候補を立てれば、政権交代は現実味を帯びる。そのことは、比例代表の政党投票率をみれば、一目瞭然だ。「セヌリ党」は政党支持率では33.5%と最も多く得票したものの、野党は左派の第三野党の「正義党」の7.23%を含めると59.51%と圧倒している。
加えて、選挙に勝てば与党の最有力候補とみられていた金武星代表(65歳)が選挙敗北の責任を取って辞任し、またもう一人の有力候補であった前ソウル市長の呉世勲議員(55歳)も落選したことで「セヌリ党」に大統領選で勝てる候補が見当たらないことも野党政権誕生の根拠の一つとなっている。
野党の勝利は、候補の公認をめぐる与党の内紛による保守層の離反や、朴槿恵大統領の独善的な政権運営に対する国民の反感など、政府与党陣営のオンゴールに助けられた面が大きい。しかし、「共に民主党」も分裂して選挙を戦ったわけだから、それだけではない。他にも勝利の要因がある。
与野党の選挙公約は優先順位の違いはあっても、バラ色の公約という点ではどれもこれも同じだ。平等な社会実現に経済民主化の推進、家計負債の緩和と私教育費の軽減、青年雇用の拡大と老人福祉の拡大、それに負担の軽減や住居安定――等々で、遜色ない。
「共に民主党」は朴槿恵政権の経済失政を浮かび上がらせ、選挙の争点とする戦術と取ったことが功を奏したと言える。韓国の借金が急上昇していること、経済が停滞していること、経済民主化を通じて財閥を規制し、中小企業を活性化させることの重要性を各候補が声を揃えて叫んだ。特に20代から30代の層を取り込むため、史上最悪の若年失業率を問題視し、朴槿恵政権を激しく攻め立てた。その結果、若い世代が野党に票を入れた。
韓国では中高年層は与党、若い層は野党というのが相場になっている。朴大統領が勝利を収めた2012年の大統領選挙では50代以上の中高年層の投票率が40.0%と、30代までの投票率(38.1%)を2%近く上回っていた。それも50代は90%、60代は80%、70代にいたってはなんと90%が投票所に足を運んだ。それに比べて、20代は65%、30代は72%に留まった。朴大統領が野党統一候補の文在寅「民主党」代表に3.6%(108万票)差で勝てたのはお年寄りが投票場に行ったからに他ならない。今回の選挙では逆現象が生じた。野党が就職難に苦しむ若い層の不満を吸収し、支持を取り付けたことが最大の勝因と言える。
それと、党が割れ、6分の1にあたる20人の離脱者が出たことで危機感から逆に党が結束し、国会での妥協を拒否し、朴政権との対決姿勢を鮮明にし、乱戦を場内(国会)から場外(選挙)に持ち込み、戦ったことも勝因の一つに挙げられる。
さらに、大都市、中でも全議席の4割近くを占める首都圏(ソウル、仁川、京畿道=122議席)を主戦場として、野党政権時代(金大中政権―盧武鉉政権)に一度は制したことのある地区に重点的に勝てる候補を擁立し、票を掘り起こしたことも大きい。
「共に民主党」は首都ソウルでは49議席中35議席、京畿道では60議席中40議席、仁川(13議席)でも7議席と首都圏を席捲した。野党が票を掘り起こしたことでソウルの投票率は59.8%と前回(55.5%)に比べ4.3%も上昇していた。全国(17道・市)でも5番目に高かった。
もう一つ注目すべきは要因は、党が割れた際に党の代表(党非常対策委員会委員長)に朴大統領の選挙対策委員長を担った「宿敵」であるはずの金鍾仁氏(76歳)を与党から大胆にもリクルートして据えたことだ。
当選4回の、元大統領経済首席秘書官を務めたことのある金鍾仁代表は西江大学経済学科教授、国民銀行理事長、保険社会部長官を歴任した経済通である。経済政策をめぐって朴大統領と袂を分かれた金鍾仁氏を党の顔に据えたことで、「共に民主党」が掲げた「経済再建」の選挙公約が国民に説得力を持って受け入れられたことが何よりも大きかった。
与党から金大中政権―盧武鉉政権の10年を「失われた10年」と叩かれたことで政権の座を明け渡してしまった野党第一党の「共に民主党」が今度は逆に与党に同じレッテルを貼って、今まさに政権を奪還しようとしている。