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高校野球・ウワサの逸材、牧丈一郎(啓新)を見たぞ!

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

6月初旬、所用があって訪ねた新潟。たまたま開催されていた高校野球の北信越大会をのぞくと、とんでもないピッチャーがいた。啓新(福井)の、牧丈一郎である。

関根学園(新潟)を相手に、7回まで8三振無失点。大差がついたために降板したが、チームを8回コールド勝ちに導いた。4回一死二、三塁のピンチには、あるスカウトのスピードガンによると、2球連続で148キロを計時。力勝負でピンチを断ち、試合後には「リードしてもらったので、ここは抑えなければいけないと、ギアを一段上げました」と語った。

そもそも啓新とは聞き慣れない名前だが、もともとは福井女子高校として1962年に開設され、98年、共学化して改称した学校だ。野球部創部は2012年。するとその夏、1年生だけで1勝を記録し、敗れたものの敦賀気比にも1対5と善戦した。秋には、県大会で福井工大福井を下し、準決勝では翌春のセンバツに出場する春江工(現坂井)に0対1。3位決定戦は福井商に1対2とサヨナラ負けで、翌年のセンバツ切符がかかる北信越大会出場は逃したが、甲子園常連校と互角以上の戦いを演じてみせた。

率いるのは、大八木治監督である。70年夏、原貢監督率いる東海大相模(神奈川)の控え捕手として全国優勝を経験し、東海大卒業後は東海大相模のコーチ、東海大助監督を経て79年、東海大甲府(山梨)の監督に就任。81年夏の初出場から春夏13回の甲子園で17勝11敗を記録し、春2回、夏1回の4強入りと、山梨県勢の最高成績を3回マークしている。91年限りで東海大甲府から東海大高輪台(東京)に、さらに神奈川の相洋へ移り、甲子園とは縁がなくなっていたが、高校開校50周年の節目の創部にあたり、啓新に招かれた。

甲府時代の教え子・久慈照嘉(のち阪神など)が「僕の原点は大八木野球」と絶賛するように、相手を徹底的に丸裸にし、弱点を突くのが真骨頂だ。着実に力をつけると、14年夏には県4強に、秋には県3位で初めて北信越大会に進出。15年は春夏ともベスト4と上位の常連となり、そしてこの春、センバツ帰りの福井工大福井を決勝で下して、初めて県の頂点に立った。

初出場難関県・福井から目ざす夏

大八木は、創部当初を振り返る。

「2年間は、苦しかったですね。どうにか16人の1期生は集まりましたが、ボールもバットもない。かつての教え子に頼み込んで、なんとか用具を寄付してもらいました。当初はグラウンドも雨天練習場もないから、授業の合間にグラウンド手配の電話をかけまくり、これが雨になれば屋内施設の手配がまた一苦労です。練習試合で他校に出かける土日が、もっとも実のある練習でした」

だが12年の10月には、学校のそばに雨天練習場が完成。14年には学校の裏に寮が、夏前には福井市に隣接する坂井市丸岡に待望の専用グラウンドもでき、環境が整っていく。そして今回、創部6年目で初めて福井県を制したわけである。

で、北信越での大物右腕・牧だ。県大会では2試合9イニングを投げ1失点、10三振。北信越の8三振を加えれば、この春は16回で18三振ということになる。いやあ、速いですね……と水を向けると大八木監督、ちょっと不満そう。

「先々週、先週と、練習試合では152キロを出しているんで、今日は153キロを期待したのに、まだ甘い。まあ、ちょっと寒かったせいもあるけどね……」

京都嵐山ボーイズでプレーした中学時代は、NOMOジャパンで米遠征を経験した逸材。1年秋からベンチ入りし、昨秋はエースとして公式戦初先発を果たすが、チームはベスト8にとどまった。ただ、そこからの徹底したトレーニングで、球速は9キロアップ。「ボールが指にかかると、スピードが出ている感覚はある」と、本人も手応えを語る。さらに啓新には、「1年春から四番を打たせてきた。次のチームではエースで四番です」と大八木監督のいう2年生の逸材・上ノ山倫太朗もいる。

47都道府県のうち、夏の甲子園初出場がもっとも古いのは福井(94年・敦賀気比)と高知(94年・宿毛)。つまり福井は、全国でも屈指の初出場難関県というわけだ。今年もセンバツに出場した福井工大福井、坂井、さらに敦賀気比に福井商……とライバルは多く、「神奈川ならベスト8まではある程度計算できますが、福井は公立校にも力のあるチームが多い。そこに気比、福井工大福井、福井商……といった常連校も加わって、一筋縄ではいきません。むろん、"大八木に簡単に勝たせるな"という、地元の対抗意識も強いと思いますよ」(大八木監督)。 

果たして創部6年目の啓新が、福井県から夏23年ぶりの初出場を射止めるか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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