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沖縄で「命の塩」をつくる会社 人のために頑張る経営が不正をなくす

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

 世の中、不正だらけである。毎日このようなニュースばかり聞いていると、さすがにげんなりしてくる。楽観的な人間である筆者ですらそうなのだから、日本中はもっとよくない空気に包まれていることだろう。

 景気というものは、まずもって、企業や個人が現況の経済についてどう感じているかという気分のことだ。冗談ではない。経済がよく動いている状態、つまり好景気は、よしやるぞと思って、実際に動いている人がたくさんいるから、全体として好景気になるのである。これを客観的視点で表したとき、景気とは売買や取引などの経済活動の情況のことだと言うことができる。ようするにまぁ、ダイナミズム、勢い、活力といったものを維持できるかどうかが、経済を左右するのである。マスコミの皆さんもそのあたりを踏まえて、もっと前向きなニュースも流してほしい。

 企業の不正は、われわれをいやな気分にさせる。日本はもうダメだという、悲観的な感情を呼び起こさせる。すなわち企業の不正は、個々の企業や、その取引先の問題であるばかりでなく、日本全体の活力を左右する問題なのである。

 後ろ向きなことばかり言っていても仕方ない。ニュースは突出した事実を取り上げる傾向があるから、不正を犯した企業がとくに目立つようになる。しかし、あまり目立ってはいなくても、日本にはよい会社がたくさんある。この記事では、われわれ日本人が元気になるような、そんな会社の話を取り上げたい。

沖縄で「命の塩」をつくる会社

 ノーベル経済学賞を受賞したマイケル・フェルプスは、近代の資本主義が発達したことによって、人類史上はじめて天井知らずの賃金上昇と雇用拡大が実現され、仕事から満足を得る人たちが増えたと述べた。近代経済の負の面は多々あるが、生活の向上と安定を実現し、それによって生の満足といったものに目を向けられるようになったことは、一つの大きな成果であったといえよう。

 ところでフェルプスは、経済的観点のうちに、人間の「よき生」の観念を編入させようとしている。彼にしたがえば、どうやら近代に沸き起こったイノベーションへの活力は、人間の「よき生」を追求しようと努めていた人たちがいたことによる。われわれが目指すべき企業の姿とは、それにかかわる人間が、人間らしくあることのできる企業であるように思われる。

 今年の9月上旬、筆者は両親を連れて、沖縄に行ってきた。昨年は妹の子供たち三人も一緒だったから、両親はあまり楽しむことができなかったかもしれないと思ったからだ。どこに行こうかと聞いてみたところ、海に入るとかではなく、観光がしたいとのことだった。しかも父としては、人生において意味のある観光がしたいとのことだ。さすがである。よく考えたのち、筆者はある会社の見学に、両親を連れていくべきだと考えた。それは、イノベーションによって「命の塩」をつくることに成功した経営者のいる会社である。

株式会社ぬちまーすは、1997年、沖縄県うるま市の宮城島で創業された会社である。商品名もぬちまーすというのだが、「ぬち」は沖縄の言葉で「命」、「まーす」は「塩」のことだ。名前負けしているということはなく、独自の技術によって生成されたぬちまーすは、世界一多くミネラルを含む塩として、ギネスに認定されている。人間は、母なる海から生まれた。汚染されていない沖縄の海の成分を存分に含むぬちまーすは、まさしく「命の塩」と呼んで差し支えないだろう。

 同社の高安正勝社長によれば、どうやら海水は、赤ちゃんが育つ羊水と同じミネラルバランスらしい。それをそのまま塩にできれば、人間にとって一番いい塩になるだろう、ということだ。製法は、濃縮ろ過した海水を細かい霧として室内に散布し、それに温風を当てることで水分を蒸発させる、というものである。そうすると、海水に含まれるすべての海洋ミネラル成分が、空中で瞬間的に結晶化し、雪状になって降り積もっていく。実際に工場を観てみたが、部屋中に真っ白に塩が堆積していて、美しい雪景色が描かれていた。

 なぜこのような塩をつくることができたのだろう。それは、高安社長が、心から人のために尽くしたいと思っているからだ。こちらのインタビューに、高安社長の次のような言葉がある。「僕は「儲けよう」と思ったことは一度もない。「人類を救おう」とずっと思っていて、そのために作ってる。」ビジネスとは、自らの思いを実現することである。自分の人生と、いま行っていることを、ひとつにすることである。悪人として他者に覚えてもらいたいと思っている人などいない。そうであるからビジネスとは、他者に貢献することで、自分の人生を充足させるための手段にほかならないのである。

 そのように考えるとき、人は目の前に立ちふさがる困難にも負けず、どうにかして前に進み続けることができるようになる。高安社長は、最初の頃は誰にも相手にされず、銀行の融資すら受けられなかった。工場をつくるために8億円というお金が必要だったが、借りられない。8年かけて、国際的な賞をとるなどの実績を重ねていくうちに、ようやく開発金融公庫が、4億というお金を融資してくれたわけだ。自分のやっていることは、世の中を変える、正しいことのはずだ。だから、諦めずに前に進む。そのような本気の姿勢が、高安社長にはみられる。

 工場のある場所には「果報バンタ」という、海の展望のきれいな場所がある。沖縄の言葉で「幸せ岬」というらしい。周辺にはガジュマルやソテツが根付いており、沖縄の天、地、海の3つの神様の集まる「三天御座」もある。どうやらこの場所は、いわゆるパワースポットのようだ。筆者は思うのだが、おそらくここの管理は、高安社長自身と一緒に社員の方々も、自主的に行っているのだろう。よく整備が行き届いていて、自分の仕事に対する愛着がみられるからだ。人間が、人間を救おうとしてつくられた「命の塩」。ぜひご賞味願いたい。

よき経営、誰かのために頑張る経営

 株式会社ぬちまーすの企業理念には「人類を救う塩を作って、人類に奉仕する」とある。この理念のために、社員は仕事を行うのである。ゆえに、企業理念はよく浸透していないといけない。トップがつねにそれを体現し、社員にメッセージとして伝えていなければならない。嘘であってはいけないのだ。

 よく、どこそこの会社が不祥事を起こしたというが、会社は不祥事を起こさない。不祥事を起こすのは、会社の中の人間である。企業倫理という言葉もあるが、元来、倫理とは、人間が人間として守り行うべき道のことだ。だから、一般に企業倫理といわれるものは、企業という社会において、守るべき人の道のことである。ようするに、企業がどうこうとは関係なく、人の道を守ってさえいればよいのである。

 人の道を守るためには、自分の仕事を行うことである。自分が、自分としてやろうと思える仕事、誇りをもって従事することのできる仕事をやることである。日本の職人が自分の仕事に手を抜かないのは、それが自分自身を表すものだからだ。仕事をそのようにとらえられれば、小さなことにも目を配るようになり、自ずと不正はなくなっていくだろう。

 企業における仕事は、個人の仕事ではない。ここで大切なことは、自分の仕事が、結果としてどのように世の中に、つまり人に貢献しているかを意識することだ。自分のいまやっている仕事は、そのためにある。基本的に仕事とは、それが全体のために必要であるから、仕事として設けられている。自分の仕事は、たとえそれが全体のうちの小さな一部であっても、それがなければ誰かを喜ばせることはできないのである。だから、手を抜くことはできない。企業理念やビジョンに掲げてある目的を達成し、そして人の喜びをつくるために、今日もわれわれは自分の仕事を行うのである。

 最後になるが、不祥事があった企業の社員の皆さんには、それでやる気をなくさないでほしい。ここからまた新しく、前を向いて、自分の仕事をしたらよいだけである。自らの「よき生」のために、これからも誇りある仕事をしてほしいと、心から願っている。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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