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「どうする家康」で「海老すくい」を披露する、松平氏家臣団筆頭酒井氏のルーツ

森岡浩姓氏研究家
鶴岡城跡(筆者撮影)

「どうする家康」で、大森南朋演じる重臣酒井忠次。ドラマでは石川数正とともに家康を支えている。この酒井氏は松平氏譜代の重臣で、代々家老的な立場にあった。

酒井氏の名字の地は三河国幡豆郡酒井(現在の愛知県西尾市吉良)というが、異説もある。また出自についてもいくつかの説があるが、一般的には松平氏の初代親氏の庶子広親の子孫とされている。

他の家臣と違って同族であることから、松平氏家臣団の中でも特別な地位にあった。

酒井氏のルーツ

酒井氏には、大きく左衛門尉(さえもんのじょう)家と雅楽頭(うたのかみ)家という2つの流れがある。両家ともに広親の子孫と称していることは共通しているのだが、具体的な系譜については異なっている。

雅楽頭家では広親の子は家忠のみで雅楽頭家が嫡流であるとするのに対し、左衛門尉家では広親には氏忠・政親の二子があり、氏忠の子孫が嫡流の左衛門尉家で、政親の子孫が雅楽頭家であるとしている。要するに、両家ともに自らの家こそが酒井一族の本家である、と主張しているのだ。

徳川家康の叔父にあたる酒井忠次

「どうする家康」で初回から登場し、「海老すくい」という踊りを披露する忠次は左衛門尉酒井氏の当主である。

忠次は松平広忠(家康の父)の異母妹碓井姫を娶り、以後家康家臣団筆頭の地位にあった。忠次の妻はドラマでは「登与」として登場しているだけだが、実は家康の叔母であった。

従って、忠次は家康の叔母の夫という親族でもあり、永禄3年(1560)に家康が独立するとその家老となっている。そして、家康が三河一国を統一すると吉田城(豊橋市)城主となり、東三河の国衆の旗頭となった。

天正18年(1590)の関東入国では、子家次が下総臼井(千葉県佐倉市)で3万石を領し、江戸時代は出羽鶴岡藩(庄内藩)の藩主となった。

その居城鶴ヶ岡城跡は天守閣こそ現存しないものの、致道博物館や酒井氏庭園で知られている。

雅楽頭酒井氏の家系

一方、雅楽頭酒井氏の正親は家康の祖父松平清康に仕え、その没後は広忠(家康の父)の家老をつとめた。さらに家康の家老となり、永禄4年(1561)牧野貞成の西尾城(愛知県西尾市)を落として、以後西尾城に拠って譜代に列した。

天正14年(1586)に継いだ重忠は、同18年の関東入国後、武蔵国川越(埼玉県川越市)で1万石を領し、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には上野厩橋3万3000石に転じた。江戸時代は播磨姫路藩主となった。若狭小浜藩主など一族は多い。

下馬将軍といわれた大老酒井忠清や、江戸中期を代表する画家酒井抱一は、いずれも雅楽頭酒井氏の出である。

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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