パンチドランカー症状に苦しむ名チャンプ……
1年ぶりにフィラデルフィアを訪れると、「間も無く当地は吹雪に見舞われます。6インチ(15.24 cm)から11インチ(27.94cm)の雪が積もるでしょうから、どうか十分にお気を付けください」なるアナウンスが流れていた。
滞在3日目、案の定、一面の銀世界となる。ご覧の写真のように、ホテルの駐車場からレンタカーを動かすのが一苦労となった。受付係にスコップを借り、雪掻きすること1時間、何とか道路まで車を動かす"雪道"を作る。
毎年の事なのだろう。フィラデルフィアの雪対策は万全で、国道や高速道路には除雪車が頻繁に行き交い、ホテルのパーキングさえ抜け出せば、問題なく運転できた。
今年の冬も私は、元世界ヘビー級チャンピオン、ティム・ウィザスプーンを訪ねた。※ティム・ウィザスプーンについて詳しく知りたい方は、是非、拙著『マイノリティーの拳』(光文社電子書籍)をご覧ください。
フィリー訪問の第一の目的はティムへのインタビューであったが、今回は、この地で誕生した何名かの元チャンピオンにも会いたいと思っていた。だが、コロナ禍において、なかなかアポイントメントを入れることは難しく、期待したほどの成果は上げられなかった。
それ以上に私は、ショッキングな事実を聞かされることとなる。
「彼にインタビュー? 100%無理だ。今、どんな状態か知らないのか? 家族とだって、まるで会話にならない。残念ながら、重度のパンチドランカーだよ。俺より一つ年上で、育った地域も近い。彼の実家が5thストリート、我が家は7thにあったからね。
高校生くらいになると互いのストリートにあるギャング集団に加わるヤツも多く、縄張り争いだのドラッグ売買のテリトリーだのと、殺し合いが起こるようになった。まぁ、俺はそういったグループには入らなかったけど、マジな話さ。彼は不良として有名だったぜ。でも、ボクサーになってからは認め合い、励まし合う関係だった。今、名前を聞く度に胸を痛めているんだ……」
ティムは、そう言った。
"彼"の名はジェフ・チャンドラー。WBAバンタム級タイトルを9度防衛。日本人挑戦者、村田英次郎と3度も拳を交えた男である。
2007年10月、私はチャンドラーをインタビューしていた。1981年4月5日の村田英次郎との第1戦について質すと、元チャンピオンは快活に振り返った。
「一瞬、集中力を欠いてしまったところにムラタの右ストレートを喰らった。ファーストラウンドだったね。 あんな強いパンチは貰ったことが無かった」
1回1分8秒に村田が放った1発で、チャンドラーの腰が落ちる。しかし、チャンドラーは身長169センチに対して181センチという長いリーチで巧みにクリンチし、危機を乗り越える。
「とにかく自分のボクシングをしなければと思った。ムラタは上手く、素晴らしいフットワークを見せた。バックステップが速く、捕まえられなかったよ。あんな動きをする選手は初めてだった。
当時、私は26戦25勝(11KO)1分け。勝てなかったのはデビュー戦のみ。それは経験不足だったからさ。ムラタこそ、最強の相手だったね。流石は指名挑戦者だと唸らされたよ」
東京にやって来て、蔵前国技館のリングに上がったチャンプは、引き分けで防衛を果たし、フィラデルフィアへ帰って行った。
その8カ月後のリターンマッチは、ニュージャージー州アトランティックシティーで行われた。
「お互いにドローじゃ納得いかないだろう。初戦の反省を生かし、ムラタ以上のフットワークで対抗する作戦を立てた。もちろん、そのために必死でトレーニングしたさ。毎朝10マイル(16キロメートル)走り込んだよ。
でも、ムラタに1戦目程の怖さは無かった。9ラウンド位から動きが鈍ったね。クラマエでの彼は、まったくペースダウンしなかったのに」
第13ラウンド、チャンドラーは右アッパーを村田の顎にぶち込み、2度のダウンを奪う。そしてKO勝ちを収めた。
1983年9月、チャンドラーは再び東京の地を踏む。村田は東洋太平洋王座を12度防衛し、またしてもトップコンテンダーとして挑んできた。
「第1戦、2戦のムラタはライオンをイメージさせるファイターだったが、3度目は衰えていたね。実は、私自身もバンタムの体を作るのに苦労するようになっていたんだ……」
2、3、10ラウンドと、計5回のダウンを奪ってチャンドラーは防衛する。結局、WBAバンタム級タイトルを9度防衛したチャンドラーだが、2度目、4度目、8度目の相手が村田英次郎だった。
10度目の防衛戦を、最終15ラウンドTKOで落とした後、チャンドラーは白内障を発症し、リングを去る。
私のインタビューに応じた2007年は、小学校の警備員として生計を立てている、と話していた。
ティムはしみじみと語った。
「ジェフも俺もゲットーの出だ。黒人にはチャンスが無いってことを思い知らされ、グローブを握ったのさ。生きていく術としてボクシングを選び、世界チャンピオンになったってのに、体に受けたダメージに悩まされちまう。何て表現したらいいんだろうな……言葉が見付からないよ」
2度世界ヘビー級王座に就いた男の言葉と、チャンドラーの現状が哀しく胸に突き刺さった。